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公爵家の財務長官  作者: 多上 厚志
第四章
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 空気が湿り気を帯びた夕刻。


 ようやくラヌゼの街が見えてきた。

 山裾に広がった街並みは、ビエントよりも規模が大きく。人口も十倍ほどになる。

 ウェントゥス公爵領と、ソル公爵領をつなぐ中継都市としてかなり発展している。


 ダニエルゼは、窓から顔を出して、外の空気を浴びる。


「シータ、お疲れ様です」


 隣を歩いているシータに話しかける。

 シータは、面倒そうにダニエルゼに顔を向けた。


「ダニエルゼ様はいいよ。馬車の中だから。私は一日、歩きっぱなしだよ」


 その会話に、少し伯爵が眉を顰めた。ダニエルゼに対する会話としては、気安すぎるというのだろう。だが、ハルキ、ニコ、シータはこれでいい、と伯爵には伝えている。そう言っても、ハルキなどは他のものがいると、かなり堅い口調で話す。

 それに呼び方も、旅の間は、ダニエルゼで通すことを四人の間で確認している。


「お腹がペコペコ」


 馬車から顔を出したダニエルゼに対して、ニコが腹をさすって見せた。


「今夜は、ごちそう……ですか」


 ダニエルゼが馬車の中の伯爵を見ると、伯爵は苦笑しながら頷いていた。

 ニコが胸の前で手を握りしめて喜びを表すと、ダニエルゼも心の中で喝采を上げた。正直、旅の食事のまずさには飽き飽きしていたのだ。


 今夜ぐらいは、いいものが食べたい。



 ☆



 伯爵の屋敷は、さすがに豪奢な作りだった。ニコの背よりも高い塀がぐるりと周囲を巡っており、その端が見えないほどだ。門のところには、二人の門番が立っていて、馬車に向かって頭を深々と下げた。


 馬車の中から、伯爵が鷹揚に手を振ると、門が重々しい音を立てて開かれた。


 とっぷりと日が暮れた中を、馬車は門をくぐった。


 屋敷の前で、使用人がずらりと並んで、出迎えてくれた。


「公女殿下をお迎えできて、屋敷のもの一同感無量でございます」


 ダニエルゼが馬車から降りると、すぐに老齢の男が一歩進み出て、頭を下げた。ダニエルゼも、一通り習った礼式を思い出しながら、優雅に見えるように膝を折った。


「お手間を取らせますが、一晩よろしくお願いします」

「どうぞ、こちらへ」


 伯爵がダニエルゼの前に立って、中へ誘う。ハルキ達は付いてこずに、玄関の脇に留まっている。


 どうやら、ダニエルゼ一人で対応しないといけないようだ。


(面倒くさいなぁ)



 ▼



 ダニエルゼは貴族の社会のことに疎い。


 母は、クリスト公爵の侍女をしており、公爵のお手つきで妊娠した。母は結婚していなかったために、ダニエルゼは母の実家で祖父母に育てられた。

 公女としてソル家に迎えられたのは、十一歳になったときだ。後になって知ったのだが、ダニエルゼが公爵の血を引くことは、公爵自身には秘められていたようだ。どういった思惑で、そのようになったのかは未だにダニエルゼ知らない。

 今まで、父はいないと思っていたところを、突然自分の父が公爵だと言われても、頭は着いてきても、心は着いてこなかった。公爵である父のことは、尊敬はしているが、好きでも嫌いでもなかった。

 ソル家に入ったといっても、ダニエルゼは街の小さな屋敷に住むように言われた。そこに乳母であるソーニャがやってきて、ダニエルゼに貴族社会の礼儀や、ニホン語を教えてくれたのだ。

 ソーニャは口うるさい乳母であったが、ダニエルゼを大切に育てくれた。

 また、公都の中の学校にも通った。特に貴族を集めたというわけでもないその学校で、ダニエルゼは自由に過ごしていた。時に、公女であることなど、ダニエルゼ自身が忘れてしまいそうなぐらいだった。思い出すのは、何ヶ月かに一度、城に出向いて公爵に近況を話す時ぐらいだった。

 城では、何度か兄や姉と会う機会はあったが、長兄のルーク以外は、澄ました顔をした嫌な奴だった。公妃などは、ダニエルゼと視線も合わせなかった。

 こちらとしても、特に仲良くしたかったわけではないから、まったくダニエルゼは気にしなかった。


 十三になったとき、また転機があった。城に住むように言われたのだ。ここからは、ダニエルゼとしては、あまり思い出したくもない日々だ。貴族達の追従を毎日、聞かされて、作り笑いを浮かべてばかりいた。たまに城のテラスに出て、手を振ってみせると、領民が歓声を上げた。この人々のこれからの行く末に、ダニエルゼ自身が責任を負っているかと思うと、気が重くなった。ダニエルゼにとって不思議なことに、兄や姉は、そのことをなんら重荷に思わないようだった。


 だから、光の聖霊(ソーラ)の教会に、入るように言われたときはほっとしたものだ。その裏に、何らかの政治的なやり取りがあるだろうことは、ダニエルゼも理解はしていたが、そんなことはどうでも良かった。また、イエナ、という戒名を与えられたのも嬉しかった。

 hiena(イエナ)とは、ソル公爵家の初代公爵の名前である。ソル公爵領の子供ならば、枕元で聞かされるおとぎ話として誰もが知っているヒロインだ。「冬」(イエナ)を意味するその名前は、公爵家では女児に名付けることが禁止されている。名乗ることが許されるのは、戒名としてだけだ。俗名としては許されていない。恐れ多い、ということだ。



 ▼



 アバーテ伯爵に導かれて、ダニエルゼが通されたのは、ベッドのある寝室だった。


「こちらでおくつろぎください。一時間ほど後に、呼びに参ります。簡単ですが、晩餐のご用意をさせていただきますので」


 ダニエルゼは、今すぐベッドの上に体を投げ出したいぐらいの気持ちだったが、ぐっと我慢しながら、伯爵に向き直った。


「できれば、この部屋で夕食を取りたいのですが」

「申し訳ございません。今夜は、伯爵領の主立ったものに、声をかけております。お疲れのところ、大変恐縮ではございますが、お顔だけでも皆に見せていただけませんでしょうか」


 とはいえ、顔だけ見せて、はい終わり、というわけにはいかないだろう。


(あーー、飯食うときぐらい、自由にさせてくれよー)


 内心のつぶやきは、毛ほども見せずにダニエルゼは、にっこりと笑って見せた。


「分かりました。喜んで、ご一緒いたします」


 いずれ公都についたら、このような晩餐が何度となく開かれることになるだろう。

 そこでの対応が、次期公爵への第一歩となる。晩餐会に慣れることは、公都での社交をこなす上でも、必要なことだ。


 だったら、とダニエルゼは覚悟を決めた。


(やってやんぞ)


 と。



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