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ダニエルゼは、なる気マンマンだった。
何になる気かって、それはもちろん、次期ソル家の当主。つまりソル公爵だ。
少し前まで、そんなつもりは全くなかった。
だが、桜園の誓いを経て、本当に公爵領の未来の憂えるのならば、自分が公爵にならなければならない、そう思ったのだ。
ハルキは、別に公爵になる必要はない、と言う。次期公爵側に付くことができればいい、というのだ。
(何、ぬるいこと言ってんだ)
公爵にならないのであれば、公都に行く意味などない。
時間の無駄ってものだ。
自分の権力と、財力を膨らませることしか考えないような、貴族どもがいるところに戻ろうってんだから、覚悟を決め、そしてやるべきことは妥協しない。
太陽は真っ青な空に、真っ直ぐにのぼっていく。
時間は、朝の六時を回ったところだ。
光の聖霊の教会を出たところで、ダニエルゼはすうっと空気を吸い込む。
朝のくっきりとした空気が、胸に満ちる。
いつ見ても教会を出たさきにある橋は、とても威厳がある。そして、朝はその中でも一番、神秘的な時間だ。
この時間帯に橋を渡るのが、ダニエルゼはとても好きだ。
橋の真ん中に立つと、太陽に向かって手を合わせると目を閉じた。光の聖霊への祈りの儀式だ。
瞼の上からでも、太陽の光を感じる。体中に力がみなぎってくる。
しばらくして、ダニエルゼは瞼を上げた。
そして吠えた。
『よっし、やってんやんぞー』
両手を太陽に向かって、突き上げた。
そこに横やりが入った。
『なにをやるっていうんだ』
苦笑交じりの声が、側で聞こえたかと思うと、後頭部に衝撃が走った。
『いったぁ』
ぼやいて振り返ると、ハルキがダニエルゼの頭の上に手刀を降ろしていた。
『朝から、一人で阿呆やるな』
『阿呆はどっちや、本気で痛かったやないか。少しは加減しぃな』
ダニエルゼは後頭部をさする。
『悪い、あまりにも突っ込みどころが満載だったから』
ハルキが悪びれもせず、そう返すものだから、ダニエルゼはツンと唇を尖らせた。
『私の神聖な宣誓にケチを付けるとは、何様のつもりや』
『はいはい』
ハルキがひらひらと手を振って見せた。その態度に、頭に血が上る。
『あ、ハルキ、分かってんだろうな。私がいるから、お前の誓いも近道になってんやからな』
『それも、イエナが公都でうまく立ち回ったらの話だろ』
ふふん、とダニエルゼは鼻を鳴らした。
『まぁ、まかせときぃな。二ヶ月後には、公爵になってるから』
この言葉に、黒髪を揺らしながらハルキが心底呆れたように、ため息をついた。
『お前なぁ、自分の爵位継承順位わかってるのか』
『おう、分からん』
『十五番だよ』
ハルキが平然と言い放った。
ダニエルゼは体をのけぞらせた。
『嘘だっ。いくらなんでも、そんなに低くはないだろ』
『アバーテ伯爵の説明をイエナは全く聞いてなかったのか』
『説明なんて受けてないやろ』
ハルキがあからさまに呆れた体で、首を振って見せた。
この人を小馬鹿にした仕草が許せん。
『わかった。お前が人の話をまったく聞いていないのは、よくわかった』
『ああ、そうだな。悪かったよ。んで、どうして私が十五番目になるんだよ』
『ソル公爵家の爵位は、男子が優先的に継ぐことぐらいは知っているんだろうな』
『それぐらいは、知ってるぞ。それでも、十五番ってことはないだろ』
ハルキが面倒そうに説明を口にした。
『いいか。……まず、兄であるルーク、ベルマン。次に、現公爵であるクリスト公爵の兄であるルスト。弟であるエーゴット、トラリッツがいる。これだけで、すでに五人だ。そうして、イエナの伯父達の子供も男子である場合は、イエナよりも上位となる。それらが、四人いる。そうして、ルストの子供達には、すでに男子の孫がいるために、更にイエナの上位となる。それが四人だ』
並べ立てられて、一瞬イエナは理解できなかった。
しかし冷静になって、指を折って考えてみると、ハルキは十三人しか数え上げていないではないか。
『だったら、十四番目だろ』
『姉のアグネリアがいるだろ』
『そういや、いたなそんな奴が』
そうだ。そんな名前だった。いけ好かない、鼻に掛かったしゃべり方をする女だった。
まっすぐな金色の髪と、生まれの良さだけを生きがいにしているような女だ。
『なんだ、アグネリアと昔に何かあったのか』
よっぽど嫌そうな顔でもしていたのか、ハルキが心配そうに覗き込んでくる。
『いんや、よく知らない女さ』
ダニエルゼは、頭の中に残っていた映像を意識の外に蹴飛ばした。
『んじゃまぁ、さっさと公都へと向かいますか』
そう今日は、公都に向けて出発する日なのだ。