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公爵家の財務長官  作者: 多上 厚志
第三章
52/103

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 ふわり、と柔らかな空気が流れた。


 シータの髪が風に舞い、ニコが心地よさそうに目を細める。

 空気が馥郁と香った。


 白い、と思った世界は、淡いピンク色の桜が並んだ庭だった。


 それは不思議な場所だった。目に入るのものは、すべて桜の木。風がそよぐたびに、花びらが舞い上がる。花びらが地面の上をなめらかに滑って、絨毯のように広がっていた。


 見渡す限りの桜だった。一体、何本あるのか、わからない。

 いくら光の聖霊の教会が広いとはいっても、この空間はおかしい。どこか別世界に迷い込んだような、物理法則が通用しない場所。


『ここは、光の聖霊(ソーラ)の神域』


 イエナが振り返って手を広げた。

 そんな芝居がかった仕草が様になる。そんな空間だ。


 遠くに見える山、近くに見える丘、自分が立っている庭、目に入る木はすべてが桜の木だった。一本の葉桜もなく、すべてが均一に満開の桜なのだ。


 とにかく目に入るすべてが、桜色。

 しかしその柔らかい色は、目に優しく、こころまで染みこんできて、お腹の中が温かくしてくれた。


 左を見ても、桜。右を見ても、桜。振り返ると、建物はそのままだった。でも、その向こう側にある山も、桜だ。

 不可思議で、神秘的な場所。

 この世界の聖霊というものが、ここまで人知を越えているとは、春樹は想像もしていなかった。


 ニコは春樹と同じように、周りを見回しては、感じ入ったように息を吐き出している。

 その横では、シータがじぃとイエナを睨んでいた。


 私は、貴族を信用しない。


 シータが負の感情を押し出した言葉を出すことはあまりない。


『シータ。黙っていて悪かった』


 だから、イエナはもう一度シータに謝った。その言葉に対して、シータはどう答えるべきか悩んでいるようだった。視線は落ちつきなく動いている。


『いえ……イエナが悪いわけじゃない。さっきのは失言だった』

『昔、何かあったの』


 聞いたのは、ニコ。シータは一度口を堅く結んだが、思い直して口を開いた。


『私の両親は、貴族に殺された』


 絞り出すようなシータの言葉。


『そして、私は奴隷になった』


 シータの瞳が暗く濁った。

 その瞳に映っているのは、目の前にある桜の木ではなく、かつて苦しんだときに見た光景なのかも知れない。


 花吹雪が、四人の間を駆け抜けていく。


 シータの言葉を重いものだったが、庭全体に舞い落ちる花びらが、少しずつシータの瞳から暗然とした色を拭いとっていってくれるようだった。


 シータは吹っ切るように、笑顔を作って見せた。


『でも、良いこともあった。こうしてみんなに会えたし、あのままの方が幸せだったとは言い切れないし』


 シータがどのような経緯で、ビエントまできたのか春樹は聞いたことがない。根掘り葉掘り聞くことではない。シータが話してもいい、と思えるまでそっとしておくのが良い、そう春樹は考えていた。

 兄を捜すという思いを、シータがまだ胸に抱いているのは分かっている。捜す手伝いをすると約束したことも、春樹は忘れていない。


『ここは凄く神秘的なところだ』


 ニコが胸に迫ったように、首を巡らした。

 露骨な話題の転換だったが、誰もそのことを咎めなかった。シータは強く瞬きをしてから、首を大きく縦に振った。


『本当にそう。こんな風景が見られただけでも、朝早く山道を登ってきた甲斐もあった』

『確かに、そうだな』


 春樹も、心の底から同意できた。

 見渡す限りの桜の木と、天から降る桜の花びら。髪をなぶる風は、暖かで心地良い。


 イエナは蜂蜜色の髪を、手ぐしですきながらゆっくりと歩いて行く。

 その後ろでは、シータが後ろ手に手を組みながら、のんびりと続く。その表情からは、さきほどの暗さは綺麗に消えている。

 ニコは楽しくて仕方がないといった風に、口笛を吹いている。


 のんびりとした、いつまでも続いていくような時間だった。


 道はなく、イエナが好きなように歩き、そのイエナの後ろに好きなように三人が続いた。

 木を右に避けるのも、左側を通るのも好きにしながら、近づいたら離れたりして各々が散策を楽しむ。遠くにイエナの背中が見えるのを確認しながら、春樹も桜林を愛でながら悠々と散歩を楽しんだ。

 ふとシータの姿が見えなくなったかと思うと、いつの間にか隣を歩いていたりした。ニコの口笛が、桜の木々を渡って、健やかに伸びていく。

 イエナはたまに振り返っては、遅いぞっ、とか叫んでいたが、春樹は手を振ってあしらったりした。


 そんな時間をどれほど過ごしただろうか。


 イエナが大きな桜の前で、待っていた。


『これが、光の聖霊(ソーラ)のご神体』


 それは堂々たる桜の木だった。幹はとても太かった。大人が三人ほど集まって手をつなごうとしても、恐らくはつなぐことができないほどの胴回りだ。

 背丈も、周囲の桜と比べると二倍ほどありそうだ。

 見上げても、梢がくすんではっきりと見えないほどだ。


 大地に根ざし、大きく枝を伸ばしたその姿は、威風堂々として、その神威で周囲を照らしている。


 四人は声もなく、大木の前に並んだ。


 風に揺れて、さわさわと枝が鳴った。

 花びらは音もなく舞い降りて、くるりとダンスをしてみせる。


『なぁ、知ってるか』

 

 春樹は、桜の木に近寄って、木の幹に耳を当てて見せた。


『こうすると、木の声が聞こえるんだ』



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