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公爵家の財務長官  作者: 多上 厚志
第一章
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「まず、考えないといけないことはなんだ」


 意識して、声に出した。

 空を見上げる。


「時間はわからないけど、まだ昼だ」


 太陽は、中天にある。

 ここが異世界であるかどうか、といった問題はひとまず横に置くこととする。

 そして、春樹が知っている常識で判断する。


「太陽が高いということは、夜になるまでには時間があるということ」


 夜になるまでに、寝る場所を確保しないといけない。

 季節は、初夏といったところだろうか。肌寒いことはないが、暑くもない。冬ではないのはありがたいが、夜はかなり冷え込むだろう。凍死するまでの気温になるのか、それは分からない。

 そうだ。

 春樹は野宿をしたことがない。満天の星空のもとで、眠りについたことは一度もないのだ。テントで寝たことはあるが、野宿とは比較にならない。

 雨はしのげず、霜も防げない。空気も密閉されていないから、自分の体温による保温も見込めない。

 どんな状況になるのか、全く分からない。頭でいくら考えても、体験してみないと分からない。


 ただ、と、春樹は、視線を目の前の建物に向けた。

 黒ずくめの建物だった。

 ちょうど、お椀を伏せたような形の扉がある。よく見ると、丸い輪の取っ手が見える。引くのか、押すのか。

 取っ手の位置から見て、住んでいる人は、春樹と同じような体格だろう。


 人……本当に、人間があそこに住んでいるのか。


 そこまで思考を巡らせて、春樹は頭を振った。


(まて、私の考えは明らかに飛躍している)


 確かに、突然、こんな場所に現れたのは事実だ。これが夢ではないとすれば、今の状況が異常事態なのは間違いがない。

 しかし、その他は、いたって普通ではないか。

 太陽が二つあるわけでも、空に竜が舞っているわけでもない。ただ、知らない場所に突然きた、という事実があるだけだ。

 今までしたことのない経験をして、少しナーバスになりすぎている。


 辛いケーキを食べたからといって、ドーナツまで辛くなったと考えるのは間違いだ。


 ここは、春樹が住んでいた日本とは地続きの、或いは地続きではないかも知れないが、海を渡ればある場所だ、と考えることとする。

 そうしなければ、行動の基準ができない。

 人と会ったときに、挨拶をするものなのか、頭を下げるべきなのか、笑顔を見せればいいのか、そんな簡単なことさえ、決めることができなくなる。

 だから、決めた。

 普通に、日本にいるときのように行動しよう。


 春樹は、少し離れた場所にある、建物に目を向けた。

 あの建物は、一見、教会のように見えるが、山小屋のようにも思える。それ以外の可能性は、捨てよう。


 今、春樹は、道に迷っている。いや、端的にいえば、遭難している状況だ。

 そんな中で、目の前に建物があったらどうかるか。

 答えは一つ、道を尋ねる、だ。


 春樹は、拳を握りしめた。爪が、手のひらに食い込むのがわかる。


(簡単なことだろ)


 そう簡単なことだ。

 一歩二歩と、足を交互に前に出して、建物の前に立って、コンコンコンと三度ノックすれば良いんだ。コンコン、と二度では駄目だ、それはトイレだ。


 深く空気を吸い込み、春樹は建物に向かって歩き出した。

 建物が、近づいてくる。

 当たり前だ。


 その当たり前のことが少し怖い。

 近づくと、黒い材木を重ね合わせて、建てられた建築物であることが見て取れた。基礎の部分には、横木が貼られており、窓はあるがガラスははめられていなかった。

 屋根に特徴があった。

 屋根が、木切れを敷き詰めたものだったのだ。春樹の持っている屋根という印象は、瓦葺きが大半だった。観光で白川郷に行ったときに、茅葺きの屋根を見たが、板葺きの屋根は、ぱっと思いだせない。


 さて、と春樹は腰に手を当てた。

 ついに、というには少々大げさだが、建物の前に春樹はたどり着いた。


 ここまで来て、ようやく目に入ったのだが、建物の脇には、いくつか石作りの墓があった。

 最初に推測したとおり、教会なのかも知れない。その墓に書いてあるのは、日本語ではない。遠くて読み取るまではできないが、アルファベットが書いてあるように見えた。


 文字があるなら、大丈夫。

 そこには、理性があり、文化がある、と思いたい。


 春樹は、覚悟を決めた。

 そして、右手を軽く握って、扉をノックした。


 低いノックの音。

 想像したよりも、小さな音だった。扉が湿っているのだ。これでは中に人がいたとしても、気がつかないかも知れない。


 春樹は、もう一度扉を叩いた。

 今度は、さっきよりも一段と強く。

 低い音なのは変わりがないが、周囲に響き渡るような大きな音がした。


 だが、中からは何の反応もなかった。

 留守なのかも知れない。

 これ以上、叩くのは少し礼儀に反するように春樹には思えた。


 ならば、と、扉を押してみると、スッと奥に向かって開かれた。

 少し躊躇って、春樹は唾を一度飲み込むと、そのまま力を込めて扉を押した。


 そこは、想像通り教会のようだった。

 明るい場所から、暗い場所にいきなり入ったために、目が細くなるのが自分でわかる。空気も、少しひんやりとしている。使われていない建物や部屋に特有の、かび臭さがない。住んではいないかも知れないが、誰かが出入りはしているのは確実だろう。

 

 正面の通路の左右対称に、長いすがならび、奥には白い教卓があった。


 そして正面に掲げられているのは、この建物の屋根の上と同じオブジェ。

 通常の教会であれば、十字架がある場所にそれはあった。

 

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