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公爵家の財務長官  作者: 多上 厚志
第三章
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 朝まだき。陽が昇っていない時間。

 春の足音が聞こえだしたばかりの時季では、まだ差し込むような寒さがあった。

 吐く息が白い。

 かなり着込んできたのだが、それでも上着を通して、冷気が肌を刺した。


 春樹は、ニコ、シータと共に、森の中の道を歩いていた。三人の前には、アバーテ伯爵とゲオルグが肩を並べて歩いている。昨夜は、伯爵は言葉通りに領主館に泊まっている。伯爵は従者を五人連れていたが、今朝の教会行きには一人も連れてきていない。

 元々、人を連れて行動するのが嫌いなのか、それとも教会に向かうに当たっては、従者をぞろぞろ伴うことが、礼儀にもとるのか。春樹には判断がつきかねた。


 シャリシャリと地面を踏む音が、木々の隙間を渡っていく。


 教会へ向かう道だと知っているからか、空気が一歩進むごとに清浄なものへと塗り替えられていくような感覚があった。


 昨夜、アバーテ伯爵、ゲオルグとは、話す機会がなかった。

 春樹が、消火活動が一段落するまで現場で手伝っていたからだ。

 またシータとニコとは、少しイエナの素性について聞いたが、どちらも首を傾げるばかりだった。ただ、ニコによれば、イエナがこの街に姿を見せるようになったのは、2年程前ということだった。つまりイエナは、ビエントの街の生まれではない。それはシータも同じだし、ニコも違うらしい。春樹にいたっては、街どころか、言語も違うところの生まれだ。


 前を歩くゲオルグと伯爵は、無言だった。

 両脇に伸びる木々は、松の仲間の針葉樹だ。日本語表現では、(クリプトメリア)、とこの国の人達は呼んでいるのだが、日本の杉を知っている春樹には、松のお化けのようにしか見えない木だ。

 このように森深いところを歩いていると、はじめてこの国に来たときのことを思い出す。

 あの時も、ゲオルグの背中を追って歩いた。今は、隣にシータとニコがいた。

 当時のような、心細さはない。


 教会までの道のりはそれなりにあるようだった。

 木々の隙間から見えるビエントの街並みがかなり小さくなっている。


 人里離れたこんな道を、イエナが毎日歩いているのかと思うと少々心配になってくる。昨夜などは、すっかり日が落ちてから、イエナは帰っていたのだ。


(これからは、私が送ってやったほうがいいだろう)


 ただ、この国の人達はびっくりするくらい夜目が利くので、春樹が行くと逆に足でまといになってしまうかも知れない。

 となると、ニコにやってもらう方がいい。万が一、暴漢に襲われたような場合にも、ニコは春樹の10倍役に立つに違いない。


(さっそく、今夜からは、ニコに送ってもらおう)


 春樹は、黙々と足を動かしながらそう決めた。


 なかなか目的地はなかなか見えなかった。


 耳が痛くなるような、静けさが周囲に満ちていた。

 五人が歩く音だけが、こだまのように響いている。時折その音に混じるのは、鳥の鳴く声と、葉なりの音だけだった。

 風景も変わらない。

 もし絵で描くとすれば、緑の絵の具ばかりが減ってしまいそうな景色が延々と続いていく。むき出しの地面には、ところどころに石が転がっていて、気をつけないと足首を捻挫してしまいそうだ。

 春樹は足に力を込めて、前を見据え歩き続けた。


 しばらくすると、遠くから川のせせらぎが聞こえてきた。それに釣られるように、鳥の鳴き声が増えてきた。

 低い声、高い声、長い声、短い声。

 様々な楽器が奏でる交響曲のように、その声は森に響いた。鳥の声を伴奏にして、水の流れる音はますます大きくなっていく。


 冷えていた体が、温まってきた頃に、不意にそれは目に飛び込んできた。


「あれが光の聖霊(ソーラ)の教会ですよ」


 ニコが小声で囁いた。


 木の連なりが切れたかと思うと、視界が突然開けた。そこは、一辺が100メートルはあろうかという人工的に作られた空間だった。足下に視線を落とすと、一面に小石が敷かれている。

 そして頭の上には、一点の曇りもない水色の大きな空を広がっていた。


 その海のように深く青い空の下。白い広間のような空間の真ん中に、春樹にとっては見慣れたものがあった。

 しかし、それはあってはならないものだった。


(嘘だろ)


 言葉がでない。

 目で見ているものが、信じられない。それはこの国に突然放り込まれた時に受けた衝撃と酷似していた。


 足先から、頭の上に向かって電気が走るような感覚だ。


 石が敷き詰められた広場の中央にあったもの、それは鳥居だった。

 どこからどう見ても、鳥居なのだ。


 その鳥居の先には、川があった。

 川には、立派な木の橋が架かっている。朽ちたそれではなく、毎日手入れがされているのが分かるほど、磨き上げられた風格のある木製の橋。


 橋の向こうの袂には、もう一つ鳥居が立っている。

 さらに奥に、春樹の背丈程度の高さの板塀があった。その板塀の上には、社務所、本殿、拝殿らしき家屋が、はっきりと見て取れた。


(これは教会じゃない)


 神社だ。

 春樹は、頭を抱え込みたくなった。この建築物を見て、教会という日本人はただの一人もいない。


 存在感のある、鳥居に春樹は視線を置いた。

 これだけで、もう教会ではない。

 本殿とおぼしき建物の屋根には、角のような千木があり、俵のような鰹木が並んでいる。屋根の素材は茅葺きだ。


 春樹はしばらくの間、その場に立ち尽くしていた。

 ゲオルグ達は、慣れた様子で、鳥居へと向かっていく。


「さぁ、ハルキ様も」


 シータが春樹の隣に立つ。

 その様子から、シータも光の聖霊(ソーラ)の教会を見たことがあったようだ。


(ほんと、まだまだこの国のことはわからないことばっかりだ)


 春樹はかすかな高揚を胸に覚えながら、歩き出した。



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