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公爵家の財務長官  作者: 多上 厚志
第三章
47/103

47



「うぉあ」


 トドのようなうなり声を上げて、ニコが腰を下ろした。

 その顔は煤で汚れていたが、表情にはどこか満足げな色があった。


 空はすっかり暗くなっていた。

 一方で、キャンプファイヤーを何百倍にもしたような、建物を燃やす巨大なかがり火が燃えている。

 その建物の脇に春樹達は、腰を下ろしていた。春樹達を遠巻きにして、野次馬が立っており、まだまだその数が増えているようだった。


 確認したところ、もう建物には人は残っていないということだった。

 とりあえず、燃える建物には、これ以上近づかないようにして、春樹達は一息ついた。


 燃え広がらないようにするためなのだろう。火災で燃えている建物の両脇の建物を、街の人達が壊し始めていた。何十人もが連携して、バケツリレーの要領で壊す建物に優先して水を掛けている。

 すでに消火活動は組織立って行われており、春樹達が割り込む必要はないようだった。


『みんな無事か』


 イエナが心配そうな声を上げて、近づいてきた。

 その歩き方を見て、春樹は安堵する。

 どこも怪我をしていないようだった。もっとも前髪は火に焼かれて縮れており、履いた布靴は、不自然に破けていたりして、決して無事とはいえない格好だ。

 とはいえ、五体満足だ。上出来に違いない。


『ハルキ。助かった』


 イエナは、真っ直ぐな目をしたまま、真っ直ぐに頭を下げた。


『あれ、てっきり余計なことはするな、とか怒られるかと思ったんだけどな』


 春樹がおどけた様子でからかうと、イエナが苦笑いをした。


『アホ。命の恩人にそんなこというわけあるか』

『まぁ、たしかに』


 そう合いの手をいれて、シータがイエナと春樹の間に割って入った。銀色の髪が炎を反射して、きらきらと光った。


『ハルキ様の機転がなければ、イエナは死んでた。ねっ』


 視線で話を向けられたニコは、たくましい肩をすくめて見せた。


『それは、そうだったかも知れませんね。でも結果的に、全員助かった。そして、全員助け出すこともできた』


 それで良いでしょう、とニコが、みんなを見回した。


 イエナを含めた逃げ遅れた人達を助けたのは、春樹やニコ、そしてシータの3人だ。

 ただ本当の意味で、逃げ遅れた人達を助け出したのは誰か、と言われれば、答えは一つ。

 イエナだ。

 少なくとも春樹はイエナが動いたから、動いたのだ。本当に評価され、称賛されるべきなのはイエナ一人だろう。


 暗い天には、月が掛かっている。

 その周りには、小さな星が幾千と輝いている。その星々は、まるで月からの光を受けて光っているように春樹には思えた。自ら輝く人間というのは、本当に一握りなのだ。


 春樹が空を見上げていると、にわかに野次馬の壁が割れた。

 早足で姿を見せたのは、ゲオルグだった。

 その隣には見かけない男が立っている。年の頃は、50前後といったところだろうか。長髪を首の辺りで束ねており、こんな街には似つかわしくない豪奢な服装を身につけている。頭に帽子をかぶり、右のこめかみから長い布を垂らしている。

 その男を制するように、まずゲオルグが進み出た。


「ハルキ。無事か」


 春樹を見かけたゲオルグが抱きつきそうな勢いで、迫ってくる。だが、その顔がすぐに引きつったものに変わった。

 視線の先は、春樹の脇にいるイエナに注がれる。


「イエナ様」


 驚愕を含んだ声を上げて、ゲオルグは小走りになると、イエナの前に跪いた。

 春樹は、その様子に息を止めた。


(ゲオルグ様が片膝をついた)


 ゲオルグは、この街の頂点にある人物だ。そのゲオルグが頭を垂れている。周りに視線を巡らすと、ニコ、シータだけではなく、街の人達の顔にも驚きが浮かんでいる。


「おやめ下さい。街中ですから」


 イエナがゲオルグを仕草で止める。

 ゲオルグを制止するイエナの言葉使いは目上の者に対する者だ。だが、いまの光景と、イエナの振る舞いをみていると、イエナの方が立場が高いように見えた。


「そのお姿。まさかイエナ様が火事の救済にあたられたのですか」

「ご不満ですか」


 言葉は丁寧であったが、イエナの眉が少し斜めになる。機嫌が悪くなったのをゲオルグは感じ取ったようだ。普段の授業で見せるような、おどけた様子でゲオルグは頭を軽く振った。


「いえいえ、ご立派でございますとも」


 それでも、授業の時とは全く違う丁寧な言葉で、ゲオルグは受け答えをした。

 そのゲオルグと並ぶように、帽子の男が洗練された所作で片膝をつくと、イエナに頭を下げる。


「ご無事でなによりでございました」

「お久しぶりです。アバーテ伯爵」


 ちょっと待ってくれ。

 そう突っ込みたくなった。


(いま、アバーテ伯爵といったか)


 業務の中で、名前だけは見たことがある。

 というよりも、ほぼ毎日見ている。なにしろ、ゲオルグの書面の提出先の大部分は、アバーテ伯爵宛なのだ。

 ビエントの街は、ソル公爵領下のアバーテ伯爵が統治する街だ。

 大公国ロドメリアは、五大公爵家が治めている。大公の地位は、ソル、アクワ、バスキ、イグニス、ウェントュスの公爵家の互選で選ばれる。今はウェントュス公爵が、大公の地位にある。

 公爵家の下に、多数の貴族が集い支えている。

 その貴族の一人が、アバーテ伯爵だ。


「以前お話した件で、いま一度お時間をいただけないでしょうか。ダニエルゼ様」


 瞬間、イエナのまなじりが上がった。


『その名で呼ぶなっ』


 空気が震えるような、日本語での恫喝だった。消火活動をしている人達も振り返るような、大きな声だった。

 これにはアバーテ伯爵も驚いたようで、深々と頭を下げ直した。


「失礼いたしました。イエナ様」


 イエナは、目を細くしてアバーテ伯爵を見つめる。春樹は、息を詰めて二人を交互に見やった。シータは、どこか楽しむような表情で観察をしている。


「まぁよい。しかし、話は今からでなく、明日聞こう。この時間はすでに教会に戻っていなければならぬ。教会には心配しているものもいよう。それに」


 と、イエナは周囲に視線を投げた。


「このような場で、話すことでもあるまいし、また迷惑であろう」

「承知しました。今夜は、領主館に泊まることにいたしまして、明朝、ゲオルグ殿と共にお伺いいたします」


 殊勝にアバーテ伯爵が頷くのをみて、イエナはゲオルグに顔を向けた。


「ゲオルグ様、こちらの後始末は大変でしょうが。私はこれで失礼させていただきます」


 建物を壊す作業はまだ続いていたが、燃え移る危険はすでにないように見えた。


「わかった。人命救助、ご苦労だった」

「いえ、当然のことをしたまでです。付け加えて言えば、本当に人を助けたのは、私ではなく、ハルキ、シータ、ニコの三名です。私は彼らに助けられただけなのです」

「そうか」


 ゲオルグは立ち上がると、三人の肩を順番に叩いた。


「ご苦労だった」


 この言葉に、ニコが胸をつかれたように飛び上がった。


「いえっ。ただ夢中で、行動しただけです」

「それができるのが大切なのだ」


 ニコは本当に恐縮したように、居住まいを正した。ニコにとって、ゲオルグは崇拝する対象なのだ。


「それでは」


 イエナはすっかりいつもの調子に戻って、優雅に一礼をすると踵を返した。

 そして数歩進んだところで、振り返った。


「アバーテ伯爵。明日、教会を訪ねる際には、ハルキ、ニコ、シータも同伴させてください」


 そう言い置いて、イエナは宵闇の道を歩き去った。



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