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公爵家の財務長官  作者: 多上 厚志
第三章
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 第三章より、日本語の表記に『』の括弧を使用して、現地語である共用語に「」、こちらを使用します。

 慣れるまで、作者も逆に書いてしまいそうですが、読者の皆さんもご注意下さい。




「ねずみ、できました」


 シータが小さな声で宣言する。そして、完成した鼠の折り紙を机の上に鎮座させた。その頬にかすかに得意げな色が浮かんでいるのを春樹は読み取った。

 その隣では、イエナが面白くなさそうに口を曲げた。


「なぜ、私のはどう見てもイノシシなのでしょうか。これは、差別だと思います。教えるハルキに問題があるのではありませんか」

「まてまて、シータにもイエナにも同じように教えているだろう」


 同じように教えているのだが、イエナはとことん不器用で、猪どころか、お腹を壊したアルマジロのような物体になっていた。


 窓からの夕陽が部屋を明るく照らしている。

 領主館の二階、春樹の部屋だ。体になじんだ椅子に座って、春樹とシータ、それにイエナが折り紙を折っている。


 冬の寒さも幾分か和らぎはじめた3月の終わり。

 日本にいたのなら、確定申告が終わって4月以降の3月決算の申告準備をしながら、ほっと息をついている時期だ。


 カルロの最期を看取ってから、半年が過ぎていた。

 秋がきて、冬がきて、そして春がこようとしている。


 その間に、春樹は完全に共用語をマスターしていた。毎日のように、ニコやイエナ、シータと話していたため、自然とうまくなっていった。公的な書面で国へ提出するものは、日本語で作成し、内部的な書面は共用語で作成する。そのどれも、春樹はすでに理解して、一人で作成することができるようになっている。

 ゲオルグが春樹の仕事に対して、注文を挟まないようになっていた。


「ハルキ、折り紙がうまくできない理由はなんだと思いますか」


 イエナがずいっと春樹の前に、顔を寄せてくる。

 春樹はびっくりして体をのけぞらせた。まだ幼さが残っているとはいえ、イエナも女の子だ。

 距離感は保たないといけない。


「それは、何度も言っているだろ。一つ一つの折り目を綺麗にして、角と角をズレないようにきっちりと合わせることだ」


 少し照れながら、春樹は答える。


「そうやっているではないですか」

「やってない。だから、そうなるんだろ」


 イエナは、アルマジロもどきをいじりながら、唇を尖らせた。


「やっているではありませんか」

「イエナはがんばってる」

「ですわよね。シータは分かってくれてます」


 イエナがニコニコしながら、シータの頭を撫でる。

 二人に冷たい視線を向けられても、肩をすくめるしかない。イエナは折り紙が下手だ。それもどうしようもないレベルで下手なのだ。

 こればっかりは、教え方云々ではない……と思う。


「今日もニコはこないみたいだな」

「とにかく訓練第一ですからね」


 ニコは、カルロがなくなってから、剣の訓練に集中するようになった。また座学では、兵法学を重点的に勉強している。


 イエナは、窓から差し込む日差しの傾きを確認して、短い髪を手で払った。


「そろそろお暇いたします」


 イエナが優雅な所作で頭を下げる。今日はずっと、イエナはお嬢様モードだった。このところ、夏の間のような、姐さん風のイエナを見ることが少なくなった。

 共用語を話すとお嬢様。日本語を話すと姐さん。この二重人格的なイエナの態度にもすっかり慣れてしまった。


 春樹は、シータと一緒に領主館の玄関まで、イエナを見送りに向かった。

 広場は、買い物をする街の人達で賑わっていた。


 市場を朝だけではなく、夕方にも開くようにゲオルグと春樹で相談して決定したのだ。いまの所、売上の1割を場所代として徴収している。申告制のため、どこまで正しく申告されているかは、不明だ。


 市場は、威勢のよい声が飛び交っていた。


「さぁさあ、湖で捕れたばかりの新鮮な魚はどうだい」

「ソールから運んできた都のはやりの服はどうだ。見てみろ、この綺麗な染まり方」

「ツェンクス山麓の高所でしか採れない薬草を見てってくれ」


 市場の規模はそれほど大きくはないが、景気の良い声を聞くのはそれだけでちょっと嬉しくなるものだ。


「それでは、失礼します」


 イエナはにこやかな笑みを浮かべて、人混みをかき分けるようにして歩き出す。

 帰る先は、湖畔にある教会だという。山にあるのは、風の聖霊(ウェント)を奉る教会で、湖畔の教会は、光の聖霊(ソーラ)の教会らしい。らしい、というのは、まだ春樹も行ったことがないからだ。日本で、ごく平凡な生活を送っていた春樹には、どうも教会というのは敷居が高い。神社やお寺は、信者じゃなくとも行く機会はあったが、教会は日本では一度も入ったことがなかった。


 非常におかしな話ではあるが、この国に来て風の聖霊の教会に入ったのが、春樹にとって初めての体験だった。


(教会で暮らすってどんな感じなんだろ。それに湖畔にあるのに、水の聖霊(アクエリアス)の教会じゃないってのも、なんとなく不思議だ)


 イエナが、光の聖霊(ソーラ)の教会で、何をやっているのか、春樹は知らない。毎日のように街にきて、ゲオルグの授業に出て、春樹と一緒に勉強をしているのだから、修道女ということはないだろう。

 だとすると、一体イエナは教会で何をやっているのか。


(まぁ、親戚がいて、ただ居候しているだけなのかも)


 それに、イエナ様と呼ばれる、理由もよく分からない。

 街の人達に聞いたところ、ゲオルグからの通達で、「様」を付けるように言われているようだ。

 ゲオルグに聞いても、笑ってごまかされるだけで答えてくれない。イエナに直接確認したら、『私は様付けなんていらねぇ、って言ったんだ』という言葉が返ってきただけだった。


(イエナのあとを付けるっていうのも、ストーカーみたいで嫌だしな)


 ぼんやりとそんなことを考えながら、春樹がイエナの背中を見送っていたときだ。


 市場の喧噪をかき消すような絶叫が響いた。


「火事だっ」


 首を巡らすと、街の東に煙が上がっているのが見えた。


 不吉な黒い煙は、伸び上がるように天に向かって手を伸ばしていた。


「ハルキ様」


 シータが隣で息を呑むのが分かった。

 春樹もこの国に来てから、火事は初めての経験だ。


 その煙を見て眉を顰めるものや、声を上げているもの、また煙に向かって走りだしたもの、様々な反応が広場には見られた。


 その走り出したグループの先頭にいたのは、イエナだった。


「行ってみよう」

「はい」


 シータに声を掛けて、春樹も走り出した。


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