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わけがわからない。
春樹は、喉の渇きを唐突に感じた。
「なぜ……」
絶句。
舌が、喉の奥に引っ込んだまま出てこない。うまく言葉が頭の中で、組み立てられない。
「カルロは奴隷だ」
また、奴隷だ。
それが一体、なんだというのだ。
「主人の財産を盗めば、死罪と決まっている」
罪に軽重なんてものはない。だとしても、そうだとしても、カルロがしたことは横領だ。それで死刑になるというのだろうか。
「つまり、カルロは死刑だけど、レヴァンやエリックは死刑にはならないということですか」
「そうだ。業務上の横領であるから、10年以下の苦役か、罰金又は身体刑となる」
春樹は首を振った。
「アホか」
春樹は何度も首を振った。
ゲオルグは何も、言葉を掛けてこない。
「どうして奴隷だけ、そんなに罪が重くなるんだ。それにカルロが死刑って」
それでは、春樹がカルロを殺したようなものだ。
春樹は日々カルロを死刑にするために、帳簿を調べて、売上を調べていたことになる。
「今日の正午に執行される」
「待ってください。何も死刑に」
しなくても、と続けようとしてゲオルグの目を見て何も言えなくなった。
「ソル公爵領は、法治下にある。それを曲げることはできない」
些かも、な。
そうゲオルグは言葉を落とした。
ゲオルグの教室に、カルロはずっと通っていた。そしてカルロは優秀な生徒でもあった。春樹が思う以上にゲオルグも無念なのだ。
「正午だ。正午に広場で執り行われる」
そう言い残して、ゲオルグは背を向けた。
ゲオルグを飲み込むようにして閉じられた扉を、春樹はじっと見つめる。
重くなった部屋の中をあえぐように、椅子までたどり着いても、まだ閉じられた扉から春樹は目をそらすことが出来なかった。
春樹はただじっと、扉を見つめていた。
それだけしかできなかった。
☆
行きたくない。
その思いが、春樹にはあった。
だが、それはカルロに対しての裏切りであるように、春樹には思われた。
足を引きずるようにして、階段を降りる。階段がもっともっと長ければ良い、そう思いながら階段を降りる。
地の底まで続いていたらいい、それなのに階段は一階のところで切れている。
そこには、奴隷商人を殴り飛ばしたときと同じように、またイエナがいた。
「なんや、しけた面してるな」
イエナの顔には、泣き笑いのような表情。笑おうとして、失敗したそんな顔だ。
「ハルキは、売上の不正をしている犯人を見つけた。それだけやろ」
春樹には、それに答える元気がなかった。
気遣われるのが、逆に重い。
イエナに対して、肩をすくめてみせて廊下を歩く。
その隣に、イエナがついてくる。
廊下を右に曲がり外に出た。
夏も終わりだというのに、広場はうだるような暑さだった。
すぐに春樹の目に入ってきたのは、中央に据えられた断頭台だ。
(断頭台って)
ははっ。
乾いたような笑いが、喉からもれた。時代錯誤な、と思い、いや時代錯誤なのはここでは春樹自身なのだ、と思い直した。
正しくは世界錯誤、というべきなのかもしれない。
断頭台は、二本の背の高い鉄柱で支えられていた。その二本の鉄柱の間には、幅が1メートルはあろうかという鉄板のような刃がぶら下がっている。
その刃が錆びていた。
錆び付いている原因を思い、春樹の背中をムカデが這い回るようなおぞけが走った。
刃の下には、丸い穴が開いた木板がはめられている。
昨夜カルロ達を引っ立てた男の一人が、穴の手前に大きな籐のかごを置いた。そのかごに入るものが何か、ということを考えて目の前が暗くなる。
何かの冗談だと思いたい。
領主館から出てきたシータが、春樹の隣に立った。
シータは、どこか決意を込めたような目をしていた。それが春樹と一緒に見届けるという覚悟だと、春樹は思った。
勝手な思い込みだ。だが、そう思うことで少し救われるような気がした。
首を巡らすと、イエナは、領主館の玄関のところから、広場に視線を注いでいた。
シータは、特に春樹に話しかけるわけでも、手をつなぐでもなく、ただ黙って、春樹と一緒に断頭台を見つめている。
広場の向こう側には、デニスがいた。その横には、ニコ。
二人と視線が合い、会釈だけを交わした。街の人達は遠巻きに、広場をぐるりと囲んでいて、小さな声でぼそぼそと何かを話していた。
それがひどく耳障りだった。
責められている。
そんな気がした。
ざわついていた広場が、一瞬、静まりかえった。
音もなく、ゲオルグが領主館から出てきていた。そして中央に進み出る。
『それでは、これより罪人の処刑を執行する』
石畳の上の影は、小さくとても濃い。
見上げると、太陽は中天にかかっている。
額から、粘りのある汗が滲んできて、右手でそれを拭った。
シータが心配そうに、こちらを見上げているのが分かる。春樹は、シータにほほえみかけた。
きっと、ぎこちない笑いになっているだろう。
それでも、シータは安心したのか、広場へと視線を戻した。
湖に続く道から、カルロが現れた。
彼の両脇を、刑務官が固めている。
声を上げて、この場から逃げ出したい衝動がわき上がってくる。自分自身を押さえるために、握りしめた両手にじっとりと汗をかいていた。
ゆっくりとカルロが広場への道を歩いてくる。
前を通り過ぎるカルロと目が合った。
木のうろのような目をしていた。
罵声でも浴びせてくれたほうが、春樹はまだ救われた。ただカルロは無言で、断頭台まで連れて行かれた。
あらがう仕草もなかった。
すべてを諦めたような、そんな態度だった。
広場はしずまりかえっていた。
誰かが唾を飲み込む音が聞こえた。そして、誰かのため息。張り詰めた空気が広場に満ちていた。
そんな中で、ニコがカルロに声を掛けた。
『カルロ。すまない』
『いいさ』
二人の間で、そんな短いやり取りがかわされた。一緒に食堂で働き、一緒に教室に来ていた仲だ。
春樹の知らない絆もあるのだろう。
その絆も、今日、切れてしまうのだ。
『ニコ、お前が騎士になるところ、見たかったよ』
今日、昼飯食べに行こうぜ、そんな風な軽い言葉がカルロから漏れた。
それがカルロが最後に発した言葉だった。
カルロは、断頭台の木の輪に首を通された。
もったいぶるようなことは、何もなかった。
ゲオルグが手を上げて、それを振り下ろした。
広場に、鉄と鉄がかち合う甲高い音が、わめき散らすように鳴り響いた。
それで終わりだった。
馬鹿みたいに真っ赤な血が流れている、それだけが目の端に映った。
ニコがうずくまって、石畳を叩いていた。デニスは力無く、首を振っていた。街の人達は、蜘蛛の子を散らすように広場から消えていく。
ゲオルグの姿は、広場にはすぐに見えなくなった。
血のにおいが、風に流されてきた。
春樹はそのにおいに耐えきれなくて、シータをその場に残して領主館へと向かった。
「ハルキ様」
シータの声が背中に届いたが、振り返ることはしなかった。
玄関のところで、イエナが目に涙をためて嗚咽をこらえていた。
春樹は何も言うことができずに、二階へと駆け込みベッドに倒れ込んだ。
なぜカルロは、売上を横領したのか。
なぜデニスは、売上の不正を見つけてしまったのか。
なぜ春樹は言い訳ができないほど、徹底的にカルロを糾弾したのか。
そして、なぜカルロは死ななくてはならなかったのか。
いくつもの、なぜ、が春樹の頭の中を、ぐるりぐるりと回っては、沈んだり浮かんだりした。
どうすれば正解だったのか、そしてこれからどうするのが正解なのか。
人の命は還らない。
では、なくなった人の命をこの国に、この世界にどうやって生かしていけば良いのか。
カルロの死を価値のあるものにする。
それこそが、カルロの命を奪ってしまった春樹の使命なのではないか。
春樹はベッドに突っ伏したまま、必死になって答えを求め続けた。
◆
風を追うもの、または風追い人。
その言葉を聞いたとき、現代に生きる我々は、「夢を追いかける若者」のことだ、と考える。
風=夢。
それが今では当たり前となっている。けれど、どうしてそうなったのか、案外知らない人は多い。
実は、風のことを夢と指すようになったのは、中世のビエントの街に現れた偉人達に由来する。
かの偉人達が、まだビエントの街にいた頃に、街の人達から、風を追うものと呼ばれていたからだ。
今でこそ、トンネルが開通して、首都ソールから2時間も電車に揺られれば到着する。だが、当時のビエントは、ソル公爵家の領地においては、最も交通の便が悪い街であって、言ってしまえば酷い田舎だった。
そこで生まれた綺羅星のような賢者や聖人、そして英雄。歴史の教科書に出てくる偉人達の名前を、受験生時代に必死に覚えた人達も多いだろう。
風のことを、夢というようになった由来がビエントにあることは知らなくても、彼らのことは誰でも知っているだろう。
中でも、最も有名なのは、鷹王であることは、異論がないところに違いない。
この国の遙か未来を見通し、全てを洞察し、そして狙った獲物は決して逃さない。
そんな鷹の目を持つという絶対的な王。
今でも、鷹王の関連書籍が年間に100冊は出版されると言われている。
その内容は、人生をたどった小説や、語録を集めた教育書や、自己啓発書まで多岐にわたっている。
さて話は戻って、風の話だ。
ビエントの街は、現代でも風が強い街として有名だ。
ビエントに住むと、風の強い日に、風が強いことは気にならないが、風がない日には、風がないことが気になって仕方がないという。
そんな街のことだ。
もともと、風という言葉はあまり良い意味で使われていなかった。
もちろん、風の聖神(或いは当時は聖霊とも)を守護者とする山の街であったから、あまりに露骨に非難することはなかっただろうが、それでも風というのは、実態のない厄介ものとする風潮はあったようだ。
その街で、風を追うもの、と呼ばれていた若かりし頃の鷹王たち。どういった風に街の人達から見られていたかを想像すると、なかなか愉快だ。
一つの言葉をたどって、そこに発見と想像とを足し合わせて、楽しむことができるのは我々のような歴史学者の特権だ。
これで、第2章は終了です。
次回より、第3章となります。
ブックマークをしていただいている皆さん。
『公爵家の財務長官』を読んでいただき、本当にありがとうございます。
皆さんのお陰で、ここまで書き上げることができました。
来年も、よろしくお付き合い下さい。
それでは良いお年を。
平成27年12月31日 多上 厚志