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公爵家の財務長官  作者: 多上 厚志
第二章
42/103

42


 わけがわからない。


 春樹は、喉の渇きを唐突に感じた。


「なぜ……」


 絶句。

 舌が、喉の奥に引っ込んだまま出てこない。うまく言葉が頭の中で、組み立てられない。


「カルロは奴隷だ」


 また、奴隷だ。

 それが一体、なんだというのだ。


「主人の財産を盗めば、死罪と決まっている」


 罪に軽重なんてものはない。だとしても、そうだとしても、カルロがしたことは横領だ。それで死刑になるというのだろうか。


「つまり、カルロは死刑だけど、レヴァンやエリックは死刑にはならないということですか」

「そうだ。業務上の横領であるから、10年以下の苦役か、罰金又は身体刑となる」


 春樹は首を振った。


「アホか」


 春樹は何度も首を振った。

 ゲオルグは何も、言葉を掛けてこない。


「どうして奴隷だけ、そんなに罪が重くなるんだ。それにカルロが死刑って」


 それでは、春樹がカルロを殺したようなものだ。

 春樹は日々カルロを死刑にするために、帳簿を調べて、売上を調べていたことになる。


「今日の正午に執行される」

「待ってください。何も死刑に」


 しなくても、と続けようとしてゲオルグの目を見て何も言えなくなった。


「ソル公爵領は、法治下にある。それを曲げることはできない」


 些かも、な。

 そうゲオルグは言葉を落とした。

 ゲオルグの教室に、カルロはずっと通っていた。そしてカルロは優秀な生徒でもあった。春樹が思う以上にゲオルグも無念なのだ。


「正午だ。正午に広場で執り行われる」


 そう言い残して、ゲオルグは背を向けた。

 ゲオルグを飲み込むようにして閉じられた扉を、春樹はじっと見つめる。


 重くなった部屋の中をあえぐように、椅子までたどり着いても、まだ閉じられた扉から春樹は目をそらすことが出来なかった。


 春樹はただじっと、扉を見つめていた。


 それだけしかできなかった。



 ☆



 行きたくない。

 その思いが、春樹にはあった。

 だが、それはカルロに対しての裏切りであるように、春樹には思われた。


 足を引きずるようにして、階段を降りる。階段がもっともっと長ければ良い、そう思いながら階段を降りる。

 地の底まで続いていたらいい、それなのに階段は一階のところで切れている。


 そこには、奴隷商人を殴り飛ばしたときと同じように、またイエナがいた。


「なんや、しけた面してるな」


 イエナの顔には、泣き笑いのような表情。笑おうとして、失敗したそんな顔だ。


「ハルキは、売上の不正をしている犯人を見つけた。それだけやろ」


 春樹には、それに答える元気がなかった。

 気遣われるのが、逆に重い。


 イエナに対して、肩をすくめてみせて廊下を歩く。

 その隣に、イエナがついてくる。


 廊下を右に曲がり外に出た。

 夏も終わりだというのに、広場はうだるような暑さだった。


 すぐに春樹の目に入ってきたのは、中央に据えられた断頭台だ。


(断頭台って)


 ははっ。

 乾いたような笑いが、喉からもれた。時代錯誤な、と思い、いや時代錯誤なのはここでは春樹自身なのだ、と思い直した。

 正しくは世界錯誤、というべきなのかもしれない。


 断頭台は、二本の背の高い鉄柱で支えられていた。その二本の鉄柱の間には、幅が1メートルはあろうかという鉄板のような刃がぶら下がっている。

 その刃が錆びていた。

 錆び付いている原因を思い、春樹の背中をムカデが這い回るようなおぞけが走った。

 刃の下には、丸い穴が開いた木板がはめられている。


 昨夜カルロ達を引っ立てた男の一人が、穴の手前に大きな籐のかごを置いた。そのかごに入るものが何か、ということを考えて目の前が暗くなる。


 何かの冗談だと思いたい。


 領主館から出てきたシータが、春樹の隣に立った。

 シータは、どこか決意を込めたような目をしていた。それが春樹と一緒に見届けるという覚悟だと、春樹は思った。

 勝手な思い込みだ。だが、そう思うことで少し救われるような気がした。


 首を巡らすと、イエナは、領主館の玄関のところから、広場に視線を注いでいた。


 シータは、特に春樹に話しかけるわけでも、手をつなぐでもなく、ただ黙って、春樹と一緒に断頭台を見つめている。


 広場の向こう側には、デニスがいた。その横には、ニコ。

 二人と視線が合い、会釈だけを交わした。街の人達は遠巻きに、広場をぐるりと囲んでいて、小さな声でぼそぼそと何かを話していた。

 それがひどく耳障りだった。


 責められている。

 そんな気がした。


 ざわついていた広場が、一瞬、静まりかえった。


 音もなく、ゲオルグが領主館から出てきていた。そして中央に進み出る。


『それでは、これより罪人の処刑を執行する』


 石畳の上の影は、小さくとても濃い。

 見上げると、太陽は中天にかかっている。


 額から、粘りのある汗が滲んできて、右手でそれを拭った。

 シータが心配そうに、こちらを見上げているのが分かる。春樹は、シータにほほえみかけた。

 きっと、ぎこちない笑いになっているだろう。

 それでも、シータは安心したのか、広場へと視線を戻した。


 湖に続く道から、カルロが現れた。

 彼の両脇を、刑務官が固めている。


 声を上げて、この場から逃げ出したい衝動がわき上がってくる。自分自身を押さえるために、握りしめた両手にじっとりと汗をかいていた。


 ゆっくりとカルロが広場への道を歩いてくる。

 前を通り過ぎるカルロと目が合った。


 木のうろのような目をしていた。


 罵声でも浴びせてくれたほうが、春樹はまだ救われた。ただカルロは無言で、断頭台まで連れて行かれた。


 あらがう仕草もなかった。

 すべてを諦めたような、そんな態度だった。


 広場はしずまりかえっていた。

 誰かが唾を飲み込む音が聞こえた。そして、誰かのため息。張り詰めた空気が広場に満ちていた。


 そんな中で、ニコがカルロに声を掛けた。


『カルロ。すまない』

『いいさ』


 二人の間で、そんな短いやり取りがかわされた。一緒に食堂で働き、一緒に教室に来ていた仲だ。

 春樹の知らない絆もあるのだろう。

 その絆も、今日、切れてしまうのだ。


『ニコ、お前が騎士になるところ、見たかったよ』


 今日、昼飯食べに行こうぜ、そんな風な軽い言葉がカルロから漏れた。

 それがカルロが最後に発した言葉だった。

 カルロは、断頭台の木の輪に首を通された。


 もったいぶるようなことは、何もなかった。

 ゲオルグが手を上げて、それを振り下ろした。


 広場に、鉄と鉄がかち合う甲高い音が、わめき散らすように鳴り響いた。

 それで終わりだった。


 馬鹿みたいに真っ赤な血が流れている、それだけが目の端に映った。


 ニコがうずくまって、石畳を叩いていた。デニスは力無く、首を振っていた。街の人達は、蜘蛛の子を散らすように広場から消えていく。

 ゲオルグの姿は、広場にはすぐに見えなくなった。


 血のにおいが、風に流されてきた。


 春樹はそのにおいに耐えきれなくて、シータをその場に残して領主館へと向かった。


「ハルキ様」


 シータの声が背中に届いたが、振り返ることはしなかった。


 玄関のところで、イエナが目に涙をためて嗚咽をこらえていた。


 春樹は何も言うことができずに、二階へと駆け込みベッドに倒れ込んだ。


 なぜカルロは、売上を横領したのか。

 なぜデニスは、売上の不正を見つけてしまったのか。

 なぜ春樹は言い訳ができないほど、徹底的にカルロを糾弾したのか。


 そして、なぜカルロは死ななくてはならなかったのか。


 いくつもの、なぜ、が春樹の頭の中を、ぐるりぐるりと回っては、沈んだり浮かんだりした。


 どうすれば正解だったのか、そしてこれからどうするのが正解なのか。


 人の命は還らない。


 では、なくなった人の命をこの国に、この世界にどうやって生かしていけば良いのか。


 カルロの死を価値のあるものにする。

 それこそが、カルロの命を奪ってしまった春樹の使命なのではないか。


 春樹はベッドに突っ伏したまま、必死になって答えを求め続けた。



 ◆



 風を追うもの、または風追い人。


 その言葉を聞いたとき、現代に生きる我々は、「夢を追いかける若者」のことだ、と考える。

 風=夢。

 それが今では当たり前となっている。けれど、どうしてそうなったのか、案外知らない人は多い。


 実は、風のことを夢と指すようになったのは、中世のビエントの街に現れた偉人達に由来する。


 かの偉人達が、まだビエントの街にいた頃に、街の人達から、風を追うものと呼ばれていたからだ。


 今でこそ、トンネルが開通して、首都ソールから2時間も電車に揺られれば到着する。だが、当時のビエントは、ソル公爵家の領地においては、最も交通の便が悪い街であって、言ってしまえば酷い田舎だった。


 そこで生まれた綺羅星のような賢者や聖人、そして英雄。歴史の教科書に出てくる偉人達の名前を、受験生時代に必死に覚えた人達も多いだろう。

 風のことを、夢というようになった由来がビエントにあることは知らなくても、彼らのことは誰でも知っているだろう。


 中でも、最も有名なのは、鷹王(アシピテル・レキシス)であることは、異論がないところに違いない。


 この国の遙か未来を見通し、全てを洞察し、そして狙った獲物は決して逃さない。

 そんな鷹の目を持つという絶対的な王。


 今でも、鷹王の関連書籍が年間に100冊は出版されると言われている。

 その内容は、人生をたどった小説や、語録を集めた教育書や、自己啓発書まで多岐にわたっている。


 さて話は戻って、風の話だ。


 ビエントの街は、現代でも風が強い街として有名だ。

 ビエントに住むと、風の強い日に、風が強いことは気にならないが、風がない日には、風がないことが気になって仕方がないという。


 そんな街のことだ。

 もともと、風という言葉はあまり良い意味で使われていなかった。


 もちろん、風の聖神(或いは当時は聖霊とも)を守護者とする山の街であったから、あまりに露骨に非難することはなかっただろうが、それでも風というのは、実態のない厄介ものとする風潮はあったようだ。


 その街で、風を追うもの、と呼ばれていた若かりし頃の鷹王たち。どういった風に街の人達から見られていたかを想像すると、なかなか愉快だ。


 一つの言葉をたどって、そこに発見と想像とを足し合わせて、楽しむことができるのは我々のような歴史学者の特権だ。

 

これで、第2章は終了です。


次回より、第3章となります。


ブックマークをしていただいている皆さん。

『公爵家の財務長官』を読んでいただき、本当にありがとうございます。

皆さんのお陰で、ここまで書き上げることができました。


来年も、よろしくお付き合い下さい。

それでは良いお年を。


平成27年12月31日 多上 厚志

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