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公爵家の財務長官  作者: 多上 厚志
第二章
40/103

40



 春樹は、ゲオルグに一度、視線を投げた。

 ゲオルグが硬い表情のまま、首を縦に振る。続いてデニスを見ると、こちらは沈鬱な顔を見せて、ゆっくりと首を振って見せた。


 春樹は、小さく息を吐き出した。


 夏の夜、もうかなり遅い時間だというのに、またセミが鳴きだした。

 一匹のセミが、悲しげに昼のけだるさを惜しむように、鳴いている。


 春樹は、資料の中からもうひとつの損益計算書を出した。

 これで、すべての損益計算書を見せたことになる。


 仕入  6,512   売上  10,050

 給料  2,512

 利益  1,026


『これが、メニュー変更から、三日前までの本当の損益計算書です』


 本当の、というところにニコやカルロが不審そうに眉を顰めた


『さきほどご覧にいれた損益計算書と並べていただくと分かりますが、売上だけが変更されて金額が大きくなったものです。カルロがいうように、利益率という意味では、メニュー変更前から下がっていますが、それでも利益が1,026出ているというのが実情です』

『実情です、といわれても』


 カルロが戸惑ったように、口を開く。


『売上については、このように』


 と、売上を記載した紙の束を見せる。


『毎日つけてますので、これを根拠にした損益計算書が正しいに決まっているではないですか』

『なるほど、これに基づいているから、こちらの損益計算書が正しいと、そういうわけですね』


 春樹は損失の出ている損益計算書を指さした。それと、さきほど出したばかりの利益の出ている損益計算書を並べた。

 そして、春樹はおもむろに自分の服のポケットから紙束を取り出して、テーブルに置いた。

 この資料が、もっとも大切なものなので、他の資料とは一緒に保管していなかったのだ。


『これを見てください』


 春樹が取り出した紙束を、カルロがめくり、エリック、ニコとレヴァン、イエナの順番で確認する。ゲオルグとデニスには、一度だけだが資料を見せているのだが、いま一度簡単に中身を見せた。


「なんじゃこりゃ」


 イエナが日本語でぼやいた。

 だが、春樹に視線で促されてすぐに通訳の役割に戻る。


『この資料は、売上を記録したものです』


 内容としては、カルロ達売上担当者がつけていた売上表と、全く同じ形式の資料だ。

 ただ当然、その内容は違う。


『同じ日付のものを並べてみます。まずは、売上担当者がつけたもの』


 8月5日 5キルク・33  10キルク・9


『5キルクの料理が、33人前。10キルクの料理が9人前という記録ですね。そして、こちらが私が作成した資料です』


 8月5日 5キルク・42  10キルク・11


『私が出した売上資料のほうが若干数字が大きいのがわかりますか?他のすべての日付についても、同じように私がつけていた売上資料のほうが大きくなっています』


 春樹は見やすいように、二つの売上表を日付順に並べて見せた。

 カルロが呆れたように息を吐き出してから、肩をすくめた。


『この数字の根拠はなんですか。売上の数字なんていくらでも、作ることができるでしょ』

『そういいたくなる気持ちは分かります。でもこの数字にはすべて裏付けがあります』

『だから……どうやってこの数字を出したんですか』


 カルロが明らかに焦りを見せていた。

 いらいらとした調子で、机を叩いた。


『私が調理場の食器洗いをしていたのは知っていますよね』

『それは、分かっている。もったいぶらずに早く教えて下さい』


 春樹としても、もったいぶるつもりは毛頭ない。ただ物ごとには順序というものがあるのだ。


『つまり、私は、一日中食器を洗っていたわけです。私以外、食器を洗っていた人は、いないですよね』

『当たり前だ。それが担当なんだろっ』


 カルロはいらついた口調で、吐き捨てた。


『だから私は数えたんです』

『何を』

『食器をです』

『食器って皿でも数えていたっていうの……』


 カルロがそこで、絶句した。

 分かったのだろう、春樹が何を数えていたのかを。


『私は毎日、数えていました。箸とフォークを』


 10キルクの料理は、すべて和風料理。そのため、かならず箸が一膳。

 5キルクの料理は、すべて洋風料理。そのため、かならずフォークが一本。


 春樹がメニューを変更したのは、表向きは売上の計算を間違えないため、としていたが、もちろん嘘だ。本当は、売上担当でないものが、売上を把握するために、メニューを変更したのだ。


 最初は、この変更にデニスは猛烈に反発した。だが、何のために変更が必要なのかを話し、ゲオルグからの口添えもあって、どうにか承服してもらったのだ。


 箸とフォーク、これさえ数えれば、ホールで売上を数えていなくても、どれだけの料理が提供されたか分かるのだ。


『何か反論はありますか』


 カルロの唇がわなわなと小刻みに震えていた。

 もう、わかっている。勝負はついていた。


『これが本当かどうかは、わからないだろう。俺たちがつけた売上を見たあとで、数を加えればいいんだから』


 だから、これは悪あがき。


『カルロ。私は、あなたたちの売上の数字を見る前に、デニスに私が数えた売上を渡していました。そうですね、デニス』


 デニスは、力強く頷いてから、カルロに諭すように話しかける。


『ハルキには、お前達がつけた売上表は見せていないのだ。その上で、二つを見比べると、常にハルキがつけていた売上表のほうが、若干数字が大きかったのだ』


 デニスは力なく首を振った。


『カルロ、諦めろ』


 カルロと、レヴァン、エリックがお互いに視線を交わした。

 最後に、一矢報いようとしたのだろうか、カルロが絞り出すようにわめいた。


『そもそも食器を洗いながら、正しく箸を数えたりできるものじゃないだろ。作業をしながら、数えたりするから、ずっと数え間違えていたんだろ』

『ああ、そのことですか』


 春樹は、自分の口元に笑みが浮かぶのが分かった。


『それはカルロのいう通りでした。洗いながら、数えるのはかなり難しかった。数えていた数字が、はじめのうちはよくわからなくなってしまいました』


 カルロは意外そうに目を大きく開いた。


『だったら、この数字は、信用できないだろ』

『だから、私は途中から、ラリアナの実を食べることにしたんです』


 これには、カルロだけではなく、集まっていた人達の顔のすべてに疑問符が浮かんだ。

 ラリアナの実を春樹はなぜ毎日食べていたのか。


 その本当の理由を、春樹は採ってきてくれるイエナにも話していなかったのだ。


『ラリアナの実ですが、じつは箸やフォークを洗う度に、一個食べてたんです。そして、足下の二つあった缶に種をはき出してました。左は箸、右はフォーク。箸を一膳洗うと、一つの種を左の缶に。フォークを一本洗うと、一つの種を右の缶にという具合です』


 春樹の厨房の様子を思い出して、ニコが頷いている。


『こうすれば、洗いながら数えなくても、缶に残っている種を数えれば、まちがいなく売り上げた数が分かります』


 春樹の言葉を聞いたカルロは、それでも何度か口を開きかけたが、結局は口をつくんだ。


 そして、カルロは、椅子に座り込んでじっと床に視線を落とした。

 レヴァンとエリックも、黙り込んで項垂れていた。


 夏の夜。

 鳴いていたセミは、いつの間にかいなくなっていた。

 夏の夜の重苦しい静寂が食堂に満ちる。


 突然、その静寂を破るように、食堂の扉がけたたましい音をたてて開かれた。


 領主館でたまに見かける体つきのよい男達が、そこにはいた。

 総勢で5人。

 男たちはゲオルグに一礼をすると、カルロ、レヴァン、エリックを手際よく拘束すると、連れ出していった。

 遠ざかる足音と入れ替わるようにして、食堂に静寂が戻ってくる。


 あとに残された面々は、浮かない表情のまま、椅子の上でため息をついた。


 イエナは、椅子をきしませながら体を揺すると、ぽつりと呟いた。


「よく、腹を壊さなかったもんや」


 その言葉が、長い夜の幕引きだった。

いつも読んでいただきありがとうございます。

第二章はあと数話で終了となります。


年末から、5月末頃に掛けて仕事が繁忙期となりますので、更新が滞ることがあります。それでも、週一の頻度は、維持いたしますので、のんびりと待っていただければと思います。

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