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「いいですよ」
「何がいいですよ、だ。ハルキには、承認する権利も拒否する権利もねぇよ。私が教えてやるんだから、ありがたがって拝むのが筋ってもんだぁな。それから……」
イエナはどこか得意げな顔をしてみせてから、ポケットから木の実を取り出した。
「これやんよ」
それは、淡い赤色をした木の実だった。大きさは、小指の先ぐらい。イエナは同じものをもう一つポケットから取り出すと、口の中に放り込んだ。
やってみろ、とイエナが促すので、春樹も真似て口に入れる。
グレープフルーツみたい。
というのが、春樹の感想だった。柑橘系の味だ。
「ラリアナの実だ」
赤い実の中には、種が一つ入っていて、これは食べられないようだ。イエナはペッと地面に種をはき出した。
続けて渡されたラリアナの実を、春樹はマジマジとで観察する。見た目は、リンゴをミニチュアにしたように赤い。だが触ってみると、弾力があって、プニプニとしている。手触りは、ブドウのようだ。
春樹は、今度は口に入れずに、表面をかじってみた。
ジワリと、酸味のある果肉が口の中に広がる。
「うまいな」
「だろ」
春樹の言葉にイエナは、満足そうに頷いた。
「まだまだあらぁ」
イエナのポケットから、信じられないぐらいの大量の実が出てきた。
「どこから、こんなに取ってくるんだ」
「今の季節は、ちょいと山に入ったら、いくらでもとれんよ」
これだけ春樹に渡しても、まだまだストックがあるようで、イエナは今度は三つまとめて実を口に入れて咀嚼する。
そして、うまい具合に、種だけを三つ口から飛ばした。
なんとなく、カッコイイ。
「それで、どうよ。帳簿の調査のほうは」
「まあ、なんとかやってるけど。まだ調査中ってところだな」
「おいおい。私にもだんまりかよ」
イエナが唇を尖らせて見せた。
「まぁ、しゃあないか。ハルキも思うところはあるんだろうしな」
んで、とイエナは言葉を継いだ。
「ハルキはこれからどうすんの」
「どうするって、何が」
「シータの兄を捜すの手伝ってやるっていってんみたいやけど、それが終わったらどうすんだ」
「そんな先のことまで考えていないな。とにかく、食堂の不正を突き止めないと」
「はぁあ」
イエナが語尾を上げた。
「そんなに会計の知識持ってんのに、何ちっちぇこと言ってんだ」
「なんだ、ニコ達みたいに夢を語らないと駄目か」
「ああん、夢だぁ」
そこでイエナは呆れたような声に、少しの怒りをにじませた。
「ニコやカルロが話しているのは、夢なんかじゃねぇ。あれはなぁ」
イエナは良く聞けとばかりに、春樹の顔をのぞき込んだ。
「あれはなぁ、志ってんだ。志のひとつも持てねぇで、てめぇは何のために生きてんだ。何のために、会計を修めたんだ」
(何のためにって……それは税理士になるためだろ。そして……それから……)
春樹は頭を振った。
(何をしたかった……なんてものはなかった。何かをしたくて、税理士になったわけじゃない。ただ、食いっぱぐれないためだ。特に、やりたいこともなかったから、母の真似をして、税理士になったんだ)
飯の種となる資格を取得して、生活に困らないようにするため。
それは、税理士となる理由として、不純なものではないはず……だ。なのに、そう言ってしまうことは躊躇われた。
春樹は、黙ったまま、フォークをこする手に力を込めた。
イエナは言いつのった。
「分かってんのか。どこでそんだけの会計知識を手に入れたんか、知らねぇがな。てめぇの会計の知識は、この国で一番なんだぞ。その知識を無駄にしたら、もったいないだろう」
(この国で一番って)
言い過ぎだろう。
決して大きいとはいえない食堂の売上げの不正を突き止めるのに、ひぃひぃと言っているレベルなのだ。
「まぁ、いいやな」
イエナは、自分の膝の土を払った。そして、片方の眉を上げた。
「とにかく、私もその帳簿をつけている責任があるんやからな。手伝ってほしいことがあったら、遠慮のう言えや」
「はいはい」
春樹はフォークを洗う手を止めずに答えた。ふと遠ざかるイエナの後ろ姿を見る。
あれっ、と首を傾げた。
その背中は、どう見ても、少女のものだ。
それはそうだ、イエナはまだ16歳のはずなのだから。けれど、さっき話していたときは、自分よりも年輪を重ねた女性のようだった。
その背中に向かって、春樹は声を掛けて呼び止めると、ラリアナの実について一つのお願いをした。
長かったですが、第2章は終わりに近いです。
まだ、メインキャラクターが揃っていません。
のんびりお付き合いください。