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公爵家の財務長官  作者: 多上 厚志
第二章
33/103

33

 デニスの食堂の皿洗いを始めて、五日が経った。

 目覚めて部屋の中で出勤の準備をしていると、足が酷く疲れていることを自覚した。


「慣れてくるとは思うけど、慣れるまでが大変そうだ」


 独りごちて、春樹は首を振った。

 慣れるまで、一ヶ月かかるとすれば、この足の張りと一ヶ月つきあうことになるのだ。

 これから、寝る前にストレッチをしよう、と思いながら、服に袖を通しているところに、ノックの音がした。


どうぞ(ピグリテリス)


 おずおずと入ってきたのは、シータだった。

 綺麗な銀髪が、耳の横で揺れている。

 シータは急激に、驚くような変化を見せ始めていた。


 シータは美人だった。

 それも、とびきりだ。


 着た切り雀で、まともに体も洗っていない、そして栄養状態も最悪。そのような状況では、どんなに綺麗な女の子でも、美しく見えるはずが無い。

 そして身ぎれいにして、肌を磨き、しっかりと休息をとるようになれば、本当の姿が見えてくる。


 みにくいアヒルの子、その物語のラストを思い起こさせるような変身だ。


 銀色の瞳、銀色に流れる髪、整った顔立ち。

 瞳は、光の当たり方で、グレーにも、ホワイトにも見える。どこか、鳥のような、鋭い輝きがある。髪は、肩口でばっさりと切られているが、伸ばして整えれば、川のせせらぎのようにきらめくだろう。

 肌がささくれていた頬や額も、なめらかになりつつあって、もともとの器量のよさが顔を覗かせていた。


「おはようございます。ハルキ様」

「おはよう」


 春樹は、椅子に座り、シータも向かいの椅子にちょこんと腰掛けた。

 そして切り出した。


「いつから、学校くるの?」


 そうきたか、と思った。

 デニスの食堂で皿洗いをしていると、デニスの教室に参加することができない。ニコやカルロは休みの日に学校に行けるが、春樹はそのような時間はない。帳簿を連続的にチェックする必要があるからだ。


「うーん、二ヶ月後」


 シータは、頭の中で、春樹の言葉を翻訳していたようだが、しばらくして、がっかりした顔を見せた。


「分かりました」


 悄然と部屋から出て行こうとするシータを、春樹は呼び止めた。


 そして、春樹はつたない共用語で、夕方から寝るまでの時間に勉強をしようと伝えた。シータは春樹に共用語や地理を、春樹はシータに日本語と計算を、互いに教え合う時間を取れば、お互いに有益だと思ったのだ。

 シータがそもそも共用語の文字を理解していないのも、春樹が学ぶのと同時に覚えていけば一石二鳥とも言える。


「今日からね」


 春樹の提案を嬉しそうに受けたシータは、そう言い置いて出て行った。

 春樹もシータが嬉しそうにしていたので、笑って見送った。

 そして、今日から夕方に何を勉強しようか、と考えながら、デニスの食堂に向かうための身支度を始めた。



 ☆



 朝御飯を食べた客がひけて、昼食の客が来るまでのぽっかりと空いた時間。

 厨房にも一仕事を終えた抜けた空気が漂っていた。デニスは休憩と言って、厨房には姿が見えず、従業員も食堂の隅で雑談をしていた。

 春樹も厨房から外に出て、空を見上げる。


 青い空、そして強い風。


 ゲオルグが言っていたように、強い風には慣れてしまった。逆に風が吹いていないと、風がないな、なんて思ってしまうようになった。


(慣れというのは、有り難いな)


 井戸の横の木組みのベンチにすわって、春樹がぼんやりとしていると、ニコとカルロが並んで厨房から出てきた。


『おつかれ』


 春樹が手を上げると、ニコも手で答えて隣に座った。カルロは座らず、井戸の水をくみ上げると、コップで水を掬いとって喉を潤した。

 カルロがコップを持って、振り返った。


「飲むか」

「ああ、飲む。ニコもどうだ」


 春樹はカルロから、コップを受け取りとニコに回した。ひとつのコップを回して飲めるほど、春樹はニコやカルロと仲が良くなっていた。

 カルロは一巡したコップを持って、空を仰いだ。


「早く、店を持ちたい。このままここで、売上げの勘定をしているだけでは、十年経っても変わらない」


 ぼやくのは、いつもカルロだ。カルロは、かなり野心家だ。学校で見せる冷めた一面は、ぼんやりとした毎日を過ごしている友人たちへの、軽蔑からきているようだ。

 大商人となって、公爵領の枠を越えて、大公国ロドメリア全土をまたにかけ、そして国を超えて貿易をする、といのうがカルロの夢なのだ。

 そして、食べ物や商品がすべての人達に適正価格で行き渡るようにしたい、というのだ。

 正直、最初聞いたときは、冗談だろう、と思った。春樹もこの国が決して平穏な状況ではないというのは把握し始めていたし、ビエントの町の地理的な場所は、ひとことで言えばどがつくほどの田舎である。

 もちろん、カルロはそんなことは先刻承知の上で話しているのだ。


「ニコもそうだろ」

「まぁな、剣の腕、試したい」


 物騒なことをニコは言う。

 ニコは日本語があまり得意ではないからか、春樹といるときは基本寡黙だ。しかし夢を語るときはそれなりにしゃべる。


「きっと、あと少しで、剣の時代がくる」


 ニコは、騎士となり、ソル公爵家の騎士団長となって、圧倒的な軍備を敷いて戦争のない世界を実現したい、と話していた。奴隷が騎士、というだけで、笑われる。或いは、騎士階級のものがきけば、無礼とも取られかねない。奴隷の分際で、不敬だというわけだ。

 春樹が知る限り、ニコが騎士になる道など、まったく無い。

 カルロの大商人になる、という夢よりも、荒唐無稽の夢だ。しかし、ニコは悲観など全くしていない、とにかく時間があれば剣の稽古をして、腕を磨いている。もし騎士になれないのなら、自分で傭兵団を組織しても良い。とにかく戦争のない世界にしたい、というのがニコの夢だ。

 ゲオルグが言うには、ニコの剣の腕は、かなり学校の中でも突出しているらしい。だが、そんなことでどうにかなるレベルの話ではない。国を、いやこの世界そのものの成り立ちを根本から、変えようとする夢だ。


 そして、二人の場合は、そもそも奴隷である、というのが、なにより大きな障害だ。

 この二人と話していると、春樹も感化されてきて、何か自分もやらないといけないような気になってくるから、不思議だ。


「ところで、帳簿の調査はどうなんだ」


 カルロが、どこかあざ笑うかのようにそう切り出した。

 



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