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公爵家の財務長官  作者: 多上 厚志
第二章
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 春樹は、昨日、デニスにいくつかのお願いをした。


 そのひとつが、食器洗いとして、厨房に入らせてもらうことだった。

 もともとデニスは、帳簿についての調査をしていることをかくしてほしい、という要望だったが、ニコの事件があったために、隠す気がなくなった。

 春樹が厨房に入ったのも、不正を見つけるためだ、としている。


 不正を見つける、というくだりで、デニスはニコが盗んだということに対して、疑念をもっているというようにも、思える。

 一方、春樹は、今だからこそ、春樹が経理不正に対する調査をする、ということを公表するのは避けてほしかった。春樹が食堂の経理に不審を抱いて調査をしているということを、明らかにしてしまうと、不正を働いていた人間が、行動を止めてしまう可能性が高い。


 しかし従業員に春樹の目的が明らかになってしまった以上、不正の調査を春樹が行っているということを、みんなが知っていることを前提に、行動するしかない。


 準備があるから、ということで昨日は頼んだだけで、春樹の出勤は今朝からにしてもらった。

 昨日の朝に散歩したときにも感じた、町を歩くと湖から流れる清涼な空気を感じた。ビエントの町は、湖と共に息づいているのだ。

 日差しはまだ町には落ちていないが、山脈の連なりの向こうに太陽の気配があった。

 昨日より、時間が遅いために、道行く人達がちらほらと見られた。それらの人が春樹と目で挨拶をする。


(こんな空気を感じられるのなら、毎朝早く働くのも悪くない)


 気分が晴れやかなのは、朝の空気のせいだけではない。

 春樹は、昨日、一日使って帳簿を確認した結果、売上げに不正があることは間違いない、という確信を得ていた。


 売上げの集計をしてみたのだ。


 考えてみれば当たり前のことだ。いくら単式簿記だからといっても、地道に調査をすれば、それぞれの数字の変動について把握することは無理ではなかったのだ。

 具体的にいうと、帳簿に出てくる売上げの金額を足し上げて、前年と当年の比較してみたのである。

 毎月の売上げを足し上げて、月ごとの比較をしていくと、それはもう見事なものだった。

 ちょうど、1割。今年の二月から、リンゴの皮をむくように、売上げが減っていた。


 売上げが、不正の元凶、これは間違いがない。

 では、誰が売上げを抜いているのか。


 そのしっぽをつかむために、何をすべきか。


 防ぐのなら簡単ではある。

 一番良いのは、春樹を売上げの担当にしてもらうことだ。だが、春樹の共用語のレベルでは、客との会話が覚束ない。

 それに春樹が売上げを担当して、仮に経理の不正がなくなったとしてもそれは根本的な解決にならない。

 犯人を突き止めなければ、別の手段でお金を抜かれるだろう。


 そのために春樹は、いくつかの手当を考えて、昨日デニスに進言をしたのだが、それが実行されているか、それを確認しなければならない。



 ☆



 春樹が厨房に入ると、デニスが仕込みをしていた。


『おはよう、ハルキ』

『おはようございます。デニスさん』


 挨拶程度であれば共用語の会話も、ハルキはすでに不自由はない。

 デニスは手を止めて、ハルキに木製のメニューを指し示した。そのメニューを手に取って、春樹は頷いた。


 春樹は、デニスの食堂のメニューについて、改善を申し出ていたのだ。

 それは、値段設定。

 キルク以下の貨幣単位がないため、細かい端数こそないものの、食堂のメニューの値段は4キルクから11キルクの8段階、つまり1キルク刻みで値段が分かれていたのだ。

 これでは、不正をするつもりがなくても、結果的に不正を働いてしまうことになりかねない。

 そもそもが、計算が苦手な人間が売上げの勘定を任せられているのだ。数字を簡単にするに越したことはない。

 そのため、春樹は10キルクと5キルク。この二つの値段に統一するように、デニスに提言した。

 それを受けて、デニスはメニューを一新してくれたのだ。

 メニューは、提案通り、10キルクと5キルクの料理ばかりとなっていた。デニスの店は、定食屋なので、いくつも料理を頼む客はいない。そのため、必ず5キルクか10キルクのどちらかの料理を食べて帰ることになる。

 そうすると、勘定計算はとても単純となる。


 10キルクの料理は、すべて日本食と思える料理だ。

 この国には、和食の食文化があった。普段、町の人達が食べるものよりも若干高級になることが多いが、手が届かない料理ではない。

 しかもそれは、箸を使って食べるのだ。

 もちろん、うまく使えないものもかなりいるが、それでも、笑いながら箸を使って食べる。一種の、エンターテインメントとして箸を使うというのが定着している。逆に春樹のように完璧な箸さばきができるものが少ない。


 一方で、5キルクの料理はすべて洋風だ。そのため、パンが主食で、フォークとスプーンで食べる。スプーンは料理の内容によってはない場合もあるが、必ずフォークは供される。それが文化のようで、春樹から見れば、手で食べてよさそうな料理もあるが、意地でもフォークを使いたいようなのだ。

 それが文化ということなのだろう。

 春樹も初めてピザを食べたとき、なんとなく違和感をもったものだ。


 春樹は、デニスにメニューを返して、厨房の奥にある木製のシンクの前に陣取った。

 ここが今日から、春樹の職場となる。

 学生時代に、工事現場や、家庭教師のバイトをしたことがあるが、社会人になってからは椅子に座ってする仕事しかしたことがない。

 一日の立ち仕事に耐えられるか分からないが、慣れれば大丈夫だろう。


 デニスの食堂の厨房は広い。


 日本で食堂の厨房というと、せせこましく作られていて、料理人が体を横にしながらでないとすれ違うことができないようなイメージだが、ここは違う。


 その広さは、30畳程度はあった。

 漆喰が塗られた壁には、フライパンや、鍋がぶら下げられており、数えてみると、23個もある。

 石タイル張りの床は、綺麗に磨かれており、水が外に向かって流れるように傾斜がほどこされていた。

 石の竈が4つあり、その脇には薪が綺麗に並べられている。日本でのガスや電気の料理とは違い、手間がかかるうえに水道光熱費も馬鹿にならない。

 春樹の担当となる流し台は、厨房の隅っこにあった。

 すぐに外に出られる場所だ。

 食器洗いに使う水は、外にある井戸から汲んでこなければいけないので、なるべく外に近いほうがいいのだ。あまりに大量に汲み置いておくと、水の中に菌が発生してしまうからだろう。恐らく、理屈はわかっていないが、置いておいた水が痛んでしまうことを経験上知っているのだ。


『おはようございます』

『おはよー』


 元気のよい声が、食堂から聞こえてきた。他の従業員が出勤してきたのだ。


 春樹は食堂に出て頭を下げた。


『おはようございます』


 二人の男の従業員は、デニスから話をすでに聞いていたらしく、手を上げて春樹に笑いかけた。

 そして恐らくは、春樹が共用語があまり話せないのも伝えてあったのだろう。

 春樹の肩を叩いて、すぐに自分の仕事に取りかかった。


 さっそく春樹もデニスに請うて、春樹の仕事を具体的に教えてもらうこととした。



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