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公爵家の財務長官  作者: 多上 厚志
第二章
31/103

31



 やはり、言葉が通じないというのは致命的だった。ニコを庇おうとしても、春樹には説明ができないのだ。

 激高して冷静な判断ができないデニスに、日本語でどんなに言いつのっても無駄だった。


 領主館の自室で、春樹は息をついた。

 すっかりなじんだ木製の椅子に腰を落ち着けて、春樹は蝋燭に火をともした。

 その揺らめく炎も、もはや見慣れたものだ。

 春樹は、一度座り直すと、蝋燭がグラデーションをつくる部屋の中で、思考を巡らす。


 デニスは話の通じない男ではない。

 明日、冷静に理詰めで話をすれば、分かってくれるはずだ。

 日本にいたときの習い性で、春樹はニコを弁護するための要点を紙に列挙する。


 そもそも食堂の一日の売上げが、1000キルクもないこと。

 食堂で100キルク貨幣を使う客など、それほど多くはないこと。

 小銭を両替して、100キルク貨幣にすることも可能だが、両替はニコの仕事ではなかったこと。

 また、その場合、小銭が全く残っていないのが不自然であること。

 盗んでいたお金をため込むにしては、隠し場所がおかしいこと。

 また、日々盗み続けていたのだとすると、今更、ポケットという目につきやすい場所から見つかるのが不自然であること。


 こうして書き出してみると、明らかに不自然であり、ニコが犯人ではないのは、明らかに思われた。


 ゲオルグか、イエナを間に挟んで、デニスに説明すればきっと分かってくれるはずだ。

 問題はその先にある。

 売上げの集計を担当していたニコを狙った今回の事件は、春樹にとって指針となった。

 デニスのいう、帳簿の不正というものが、売上げにあるというひとつの証明と考えられたのだ。ニコが担当しているのは売上げだ。そのニコを貶めるのは、売上げの担当からはずす流れになる。事実、結果的にそのようになった。それで誰が得をするのか、新しく売上げの担当をするものがでれば、最初に考えられるのはその人間だが、そうはなっていない。

 では、どうなったのか。

 元々、売上げを担当していたものが、集計する機会が増えたのだ。

 これは十分に予測することができたことだ。なにしろ、計算できるものが一握りしかいないのが、この国なのだ。ニコの首を飛ばしたからといって、代わりものが簡単に見つかるわけではない。

 今までの売上げ担当者の担当日を増やして、急場をしのぐというのは既定路線だろう。

 食堂の売上げを担当していたものは、4名。ニコがやめて、3名。その中に、売上げを抜いているものがいる。


 だが、その証明が難しい。

 売上げをレジのようにつけているわけではないからだ。


 これに対処する方法を春樹は、すでに考えてあった。

 だがそのためには、いくつか準備が必要だ。



 ☆



 翌日、春樹は朝早く目が覚めた。

 もともと日本でも、朝は早いほうだった。ようやく、普段の生活リズムを体が思いだした、とも思えた。

 春樹は、足をベッドから降ろして、靴を履いた。

 ゲオルグや召使いたちを起こさないように、忍び足で館の廊下を抜ける。

 外に出ると、朝の爽やかな気配が髪をなぶった。


「ふぅ」


 春樹はぶらぶらと、足が赴くままに町の中を進む。

 煉瓦造りの家が建ち並ぶ、町並みは幻想的だった。


(ここはどこなんだろう)


 今更な疑問が春樹の胸に浮かんだ。

 土を踏みしめながら、春樹は歩く。通りには誰もいない。けれども、建物の中ではすでに人が活動を始めた気配があった。

 それはあたかも、町の胎動のようだった。

 朝の空気、かすかな人の気配を吸い込みながら、春樹は湖へと向かった。


(ここがどこか、なんて本当はどうでもいい)


 春樹が日本にいたことに、必然性などなかった。

 ならば、ここにいることにも、必然性などないのだろう。結局、春樹ができることは、今いる場所で、自分ができることに真剣に向き合う、それだけなのだ。


 風が、湖から流れてくる。

 体だけではなく、心まで、洗い清めてくれそうな、わずかに湿り気を含んだ微風だ。


 ふと、春樹は、その風の中に匂いが含まれていることに気づいた。

 わずかに甘い、そんな空気だ。誘われるように、湖に向かった。


 透き通った湖面を、風が奔っている。


 湖の空気を、風と一緒に吸い込んで、春樹は胸を張った。


 もしかしたら、春樹のせいで、誰かが不幸になるかも知れない。

 しかしそれは、ニコを救うために必要なことだ。誰かを不幸にして、誰かを助ける行為が正しいことなのか、春樹には分からなかった。


 だが、やらなければならない。

 それが、春樹にいま与えられている仕事なのだから。



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