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公爵家の財務長官  作者: 多上 厚志
第二章
28/103

28

 春樹は唸っていた。

 爪先で、コツコツと机を叩く。

 領主館の二階にある春樹の自室だ。すでに日は落ちており、机の上では蝋燭が揺らめいている。蝋燭立ての縁には、黒いすすがついていて、じりじりと音を立てる。

 机には、デニスの帳簿と、証憑資料が広げられている。帰ってきて、さっそく資料の精査を始めたのだが、これがどうにもうまくない。


 うまくない、というのは、間違っているというわけではない。すべてが、しっかり正しく起票されているということだ。

 うまくないのは、春樹の監査だ。

 正しく、間違いなく、起票されているのは良いことなのだが、それでは春樹の作業価値がない。

 帳簿が間違いがない、ということを保証するのも、ひとつの価値ではあるものの、今はそんなことを求められているわけではない。

 間違えている、別の言い方でいえば、何らかの意図的な操作が行われている帳簿に関して、事実を反映していない箇所を突き止めるのが春樹に課された仕事なのだ。

 この場合、そもそも間違いがないのではないか、と疑うことにさほど意味はない。実際に間違いがあるかないかは、差し置いて、間違いがあることを前提に春樹は作業をすすめるしかないのだ。

 これはそういった類の依頼だ。


 実は、春樹は帳簿の間違いについて、ひとつの推量を持っていた。


 それは、メリッサがお金を抜いているのではないか、というものだ。

 誰かが、悪意をもって、帳簿を操作することよりも現実的で可能性が高いと考えていた。メリッサには、帳簿改竄する意志はなく、単純にデニスのお金を貯めておいてあげるつもりで、お金を抜いているというのはありえる話だ。


 これは日本にいたときもあった話だ。

 旦那の金使いが荒いから、社長の奥さんが会社から金を抜いておこうとしたことがあった。


「若先生、問題無いでしょ。別に税金、ごまかす気もないんだから」


 いや、あるから。


「消耗品費にでもしておけば」


 得意げにそう言われても、春樹とはどうしようもない。それを架空経費という。


「それじゃあ、貸付金にでも」


 春樹は苦笑した。


「貸付金にしたら返してくださいね」


 このように、社長の奥さんという人種は安易にお金を抜こうとするものなのだ。そもそも会社のお金などという意識はなくて、帳簿をつけるのは単にお金を計算をしているという程度の認識しかない。だから、会社のお金は自分のお金だし、そこからお金をもらって何が悪い、という考えなのだ。


 だから、春樹は、メリッサがお金を抜いているのではないか、と考えのだ。

 帳簿の差し引きが合っているのは、先日確認済みのため、実際に取引先に渡した以上のお金を支払ったように記載されている可能性が高いと踏んでいた。

 つまり、取引先に支払った金額が100キルクの場合に、150キルク支払ったと帳簿に記載する方法だ。具体的には、領収書には、100キルクとあるのに、帳簿に150キルクと書いてあるパターンだ。

 だが、預かった証憑を確認する限り、そのような事例は一度も見当たらなかった。すべての取引先が、きっちりと領収書を発行しているわけではないから、断言できるわけではないが、残されていない書類をチェックはできないから、これはどうしようもない。


「さて、どうするか」


 支払いが駄目なら、売上げが抜かれている可能性を考慮しなければならないが、売上げのチェックは正直不可能。

 売上げについては、売上げの台帳、請求書記録、レジの履歴を確認するのが、日本での方法だ。だが、デニスの食堂にはそんなものはない。

 前日の現金残高と、当日の現金残高の差額を出して、それから仕入れ等の支払いを差し引いたものを売上げとしているだけだ。元々が何の根拠もない数字なので、内容の確認のしようがないのだ。


 春樹は、机の上に広げた帳簿にため息を落とした。

 根拠のない数字だからこそ、一番怪しいが、根拠のない数字だからこそ、確認のしようがない。

 日本で、税務調査を受けたときのことを思い出す。

 そもそも日本においても、売上げの記録が手書きでしかない時代というのはあった。今のように、レジが発達しておらず、すべて電卓や算盤で計算した結果を売上げとしていた時代だ。

 年配の税務職員は、雑談でそういった場合の調査について、どういう調査をしていたと言っていたか……。



 ☆


 シータがこの町に来てから、一週間が経った。

 それは春樹がこの国に来てから、十日が過ぎた計算になる。

 春樹は、ゲオルグの仕事の手伝いをしながら、デニスの帳簿について、まだ明確な間違いを発見できないでいた。


 春樹はゲオルグの仕事や、デニスの帳簿のチェックをしながらも、昼からのゲオルグの授業には基本的には参加していた。


 春樹は領主館の一階にある教室に今日も向かった。

 春樹が教室に入ると、すでに、机は半分程度埋まっていた。教室の隅っこにシータが座っていた。春樹が近寄って、隣に座る。


「頑張ってな」


 日本語でそういうとシータが少し堅くなりながらだが、頷いた。どうもまだ、同じ年代の子供たちと机を並べて勉強することに、気負いがあるようだ。ちなみに、いくつかの日本語をシータはすでに覚えている。

 シータは昼からのゲオルグの授業で、日本語と並行して、共用語の文字も覚えていく必要があった。なにしろ、奴隷に文字を教えてくれるような主人ではなかったし、そもそも文字の読み書きができない子供のほうがこの国は圧倒的に多いのだ。

 そのことを考えると、ゲオルグがやっているこの授業はかなり異質であり、斬新なものだ。


『ハルキさんは、今日も勉強ですか』


 後ろから共用語で話かけられて、振り返る。

 すると、人なつっこい笑みを浮かべて、少年が机の前に座っていた。


『そうだよ。ニコも頑張って』

『はい』


 最近、春樹も教室の子供たちと共用語で簡単な会話をするようになっていた。共用語の練習になるし、子供は好奇心の塊でなんやかんやと話かけてくるので、逆に黙っていることもできない。そのなかでも、このニコとはよく話す。

 ニコは赤みがかった髪と、意志が強そうな唇を持っている。幼いながらも、体はかなり大きく、肩にはがっちりとした筋肉がついている。だが、性格はどちらかといえば、控えめで、授業で当てられると、少しおっかなびっくりで答えている。

 ニコは、デニスの奴隷だ。

 毎日、デニスの食堂を手伝っている。日本でいうところの、ホール担当だ。

 といっても、デニスは、別に奴隷を酷使しているというわけではない。どちらかというと家族のように接している。普通に部屋を与えており、朝昼夜と御飯がでる。その上、昼の時間は、このようにゲオルグの授業にでることも許している。

 実際のところ、デニスとメリッサの間には、子供がいないので、デニスも実の子供のように思っているのかも知れない。店を手伝わせているのは、将来の跡継ぎとでも思っているのだろう。

 日本だったら、労働基準法が、とか言いたくなる年齢ではあるが、この国では幼い頃から親の手伝いとして働くのは当たり前のことだ。


 ニコに話しかけられた春樹を見て、今度はシータが袖を引っ張ってきた。


『ハルキ様は、シータの隣だよ』


 シータは春樹のことを様をつけて呼ぶ。訂正を求めても、変えてもらえる様子がないのですでに受け入れているが、どうにも落ち着かない。日本で先生と呼ばれることに違和感を持っていたのと少し似ているような気がした。

 そのシータだが、ここのところ、栄養がしっかりとれるようになったからか、足をもつれさせることもなくなってきていた。ざらざらで粉をふいたようになっていた肌もいくぶん、マシになってきている。

 そのシータが、すがるような瞳で見つめてきたら、春樹としてもいそいそとその隣に座るしかない。



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