27
ゲオルグとの会話のあと、シータに春樹の考えを伝えると、すぐに承諾してくれた。闇雲に旅をしても、どうにもならないことをシータも理解したようだった。
とりあえず、すぐにシータと旅に出る事態はなくなった。
と、なればまずはやることがあった。
それは、デニスの帳簿のチェックだ。
さっそく、春樹は、デニスの店を訪問した。
昼飯時が終わって、少し経った時間帯だった。相手方の迷惑にならない時間に、クライアントを訪れるのは、税理士の基本だ。
デニスは厨房から顔をみせて、裏に回るように手で示した。
そこには小さな小屋があった。
ノックをすると、声が返ってくる。
扉を開けると、そこは帳場兼倉庫になっていた。
若い女が、立ち上がって迎えてくれた。如何にも、食堂の女将といった風に、大げさな身振りと、ちゃきちゃきとした動きだ。短く切った髪が清々しい。
「デニスの奥さんのメリッサ」
通訳はイエナ。
(早く、共用語をマスターしなければいけない)
その思いを強くするが、今はとにかく、デニスの帳簿だ。
あの朝、ゲオルグがデニスと打ち合わせをしたことは、ここに来る前に復習してある。
ひとつ、帳簿をつけているのはイエナである。ひとつ、売上げ、経費の金額は、店員がイエナに報告している。そして最後に、現金の残高は、店主であるデニスが毎日確認している。
となると、現金の残高については、改ざんのしようがない。
今日、確認するのは、経費の計上についてだ。
これは、イエナを目の前にすると、やりにくい作業なので、あくまでチェックするのは領主館の部屋に戻ってきてからする。まずは証憑を手元に集めなければならない。
春樹は、進められた椅子に座って、素早く小屋の中を確認する。
材料と思われる野菜が、小屋の一角に積まれている。簡単に分かるのは、ジャガイモ。吊られているのは、タマネギだ。にんじんもある。葉物が少ないのは傷みやすいからなのだろうか、それとも単に流通していないのか。
春樹が屋敷で食べる料理は、実のところジャガイモばかりである。魚料理が出たことは一度あるが、よほど貴重なのか、肉料理は一度もない。
そして、その肉が小屋の中にいた。
生きたままの豚や、アヒルが小屋の一角で我が物顔をして歩いていた。なるほど、と春樹は思う。冷蔵や冷凍で保存ができないならば、飼うしかない。
これらも仕入れているのだろうか。
そもそも餌代を出せるほど、儲かっているのか、という疑問もある。
わからないことだらけだ。
イエナを通じて、聞いてみると、なかなかに面白い回答がきた。
豚については、絞める直前に捕まえるらしい。では普段はどこにいるかといえば、町のそばにある森に放してあるということだった。そこには天敵がいないので、放っておいても問題がないらしい。その森は、町の管理下にあるため、一頭捕ってきたら、その分の代金を町に納める。一種の税金のようであり、入漁料みたいなもののようにも思える。
ガチョウについては、飼っているそうだ。アヒルかと思ったが、イエナに、ガチョウだ馬鹿者、と叱られた。ガチョウの餌は、メリッサが山草を採取してきて与えている。
日本にある食堂と違って、食材の調達からして、かなり手間が掛かるようだった。
ちなみに、ガチョウと言われて、マジマジと小屋にいる薄茶色い鳥を見てみたが、やはり春樹にはガチョウなのか、アヒルなのか判別はできなかった。
くちばしに細かい波線が刻まれていて、よく見るとなかなかに精悍な顔つきをしている。
分かったのは、それぐらいだった。
本題の証憑書類については、すんなりと預かることができた。
そもそもイエナがやっている作業が、帳簿をつけることなのだから、イエナの口から貸してくれといわれれば、否という回答はありえない。
時間を割いてもらったことに礼を言うと、メリッサが目の前で手を振って見せた。
どうも、気にするなということのようだが、一カ所だけ気になる言葉があった。
「---Sicut Jena----」
イエナ……様???
聞き間違いだろうか。
帳場である小屋を、イエナと二人で辞した。春樹は、預かった資料を両手で抱えている。
外にでると空気が先ほどよりも、熱気を持っていた。
季節は、春から初夏に向かっているようだ。首筋に太陽の日差しを強く感じた。
「あっちぃな」
イエナがぱたぱたと手を団扇にして、あおいだ。
「ひとつ聞きたいんだが」
春樹は、資料を落とさないように気をつけながら、イエナに話しかけた。
「なんだい」
イエナが、レディースの走り屋のように喉を鳴らす。
「お前さっき、様付けで呼ばれてなかったか」
イエナが面食らって、目をぱちくりさせる。そして大口を開けて笑い出した。
「なんであたしが、様なんてつけられるんだ。やっぱ、ハルキの共用語はまだまだだなぁ。そんな、聞き間違いをするなんて」
大口を開けたまま、イエナがばんばんと春樹の背中を叩く。
そして春樹の資料を奪うと、
「さぁ、そのイエナ様が運んでやるから、春樹はしっかりと帳簿の精査をしてくれよ」
そう言い置いて、さっさと歩きだした。
春樹はそれ以上聞くことができずに、先を行くイエナの背中を追ったのだった。