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公爵家の財務長官  作者: 多上 厚志
第二章
26/103

26


(やっぱり僕はこの国のことをよく分かっていなかったのだ)


 奴隷のいる国、そして身体刑として耳を削ぐような国。

 それは日本とは全く違う世界であり、社会だ。

 それでも……だとしても、そこにいる人は、日本と同じ感情を持ち、価値観を持つ人間だ。

 そう、春樹は思った。


 春樹は、裁判の後、熱にうなされた。

 主に頭痛だ。切られた左耳の辺りが熱を持って、それが全体に広がっていくような感覚だ。虫歯を放置して、熱を持ちだしたときと似ている。じんじんと響くような痛みが続いた。

 切られた左耳を鏡で確認すると、綺麗に耳たぶの辺りだけがすっぱりと無くなっていた。

 どうやら、ディゲニスに切られていびつになっていた部分だけ、綺麗に切り取られたようだ。これは、身体刑というよりも、一種の手術のようなものだったのだろう。

 領主という立場上、ゲオルグは筋を通すことと、春樹の取った行動の妥協点を探ってくれたのだ。

 きっと、ゲオルグもシータを虐待するディゲニスを腹に据えかねたのだ。だから、春樹の取った行動を支持したかったが、それでも奴隷には守るべき権益がない、そして暴力を振るうことは罪。

 ゲオルグのとれる最大限の譲歩だったのではないか、そう春樹は理解した。


 熱に浮かされている間、何度も春樹の頭によぎったのは、シータのことよりも、デニスの帳簿だった。シータのことは、春樹にできることは限られているが、デニスの帳簿は春樹が処理しないと何ともならないことだ。

 根っからの、仕事人間ということなのだろう。

 帳簿に関するイエナの態度が気になった。

 裁判のときの様子を見てから、春樹はイエナが不正に関与していないのではないか、という思いを強くしていた。一般的には帳簿不正は、帳簿を作成している人間がしているものなのだ。

 予断をもってことに当たると、真相を見落としてしまう。イエナが不正をしていないのではないか、というのは身もふたもない言い方をすれば、春樹の願望だ。イエナのことは、信用しつつも、不正をしている可能性も考慮して、資料の検討をしなければいけない、そう自分に言い聞かせた。


 とぎれとぎれに、目を覚まして、その度にシータに水を飲ませてもらった。ゲオルグも顔を出してくれたようだが、声だけしか記憶に残っていない。イエナも来ており、いくつか悪態をついて、出て行った。他にもデニスをはじめとした町の人達も部屋に入ってきていたが、しゃべっている言葉が全く理解できなかった。


 春樹が動けるようになったのは、シータを助け、行商人のディゲニスと殴り合った日から、三日目のことだった。この国に来てから、ちょうど一週間になるが、その期間の半分は寝ていた計算になる。


 窓から差し込む日差しは、すべてを洗い流したようにすがすがしい気配で、部屋を満たしていた。部屋の隅には、尖った空気が残っていて、春樹に今が朝であることを教えてくれた。

 すると裁判の日と同じように、シータが膝元にいた。あの時と違うのは、シータが目を開けていたことだ。

 そして、恥ずかしそうに、


「おはよ」


 と言った。


「おはよう」


 と、何気なく答えて、春樹はシータが日本語を話したことに気づいた。

 伏し目がちなシータのまなざしにどこか得意げな色が混じっている。春樹はシータに肩をすくめて見せた。


 この国に、シータのような子供はどれくらいいるのだろうか。

 百人や、千人ではないだろう。

 数万という子供が、奴隷として生活しているに違いない。今回は、偶然見かけた奴隷の子供を一人結果的にその立場から救いだすことができたが、それは目の前にいた一人だけの話だ。


 シータの立場はどうなるのだろうか。

 借金の返済を迫る代わりに、シータを引き取ったのだから、奴隷という立場変わらないということだろう。ゲオルグはシータをどのように遇するつもりなのか、一度確認しなければいけない。


 そう思った矢先だった。

 ゲオルグが、イエナを引き連れて部屋の中に入ってきた。


「お、ちょうど起きてるじゃねぇか」


 これはイエナ。


「いま、起きたんだ」

「少し良いか」


 ゲオルグが椅子に座ると、机に置かれていたネズミを手に取って感心したように持ち上げた。


 春樹は体を起こして、ベッドから降りようとした。そこでゲオルグに手で止められる。


「病み上がりだ。そのままで良い」

「すみません」

「問題ない」

「それに、耳の件といい、シータの件といい、本当にありがとうございます」


 春樹は頭を下げた。

 それもゲオルグは手を振った。


「それも、気にする必要はない。私の判断で全て決定したことだ」


 春樹は頭を上げる。


「ゲオルグ様に一つ確認したいことがあります」

「なんだ」

「シータのことですが、この子はゲオルグ様の奴隷という扱いになるのでしょうか」

「私の、というのは、間違いだ。正確にいえば、ビエントの町の奴隷ということになる。とはいえ、最終的な決定は私がすることになるだろう。そして、シータの扱いは、もはや決めている」


 そこでゲオルグは一度、言葉を切った。そして、おもむろに口を開いた。


「シータは、たった今より、奴隷ではない」


 ゲオルグが断言した。そうして続ける。


「実は、私が来たのはそのシータに関してなのだ」

「これからの住まいとかですか」

「そういう話ならば良いんだがな」

「その子がさ」


 イエナが割り込んできた。


「旅に出たい、なんて言い出したのさ」

「旅……」


 意外な言葉だ。


「それは、ディゲニスと一緒にいきたいということなのか」

「いいや、そうじゃない。さすがにあの主人には、シータもこりごりさ。そうじゃなくて……うーん、つまりはこの町に留まりたくないって言ってんだ」


 町にいたくない、ということなのか。

 いや、そうじゃないだろう。この町に、シータは来たばかりのようだ。それに、勘違いではなければシータは春樹に、信頼感を持ってくれているようだ。

 ならば、別の視点が必要だ。

 行商人のような、旅を住処とするような生活をしたい、ということだろう。


「シータは、兄を捜しているらしいぜ」

「兄を……」

「生き別れたらしい。それでこの町にずっといられないだとよ。だから、旅。それも、まぁ、ゲオルグが許したらってことになるんだけどよ」

「私は、その娘が旅に出たいというのなら、止めはせん」


 子供の一人で旅って、可能なのか。

 春樹はシータを見る。

 やせこけた体は、どう見ても旅を一人で続けられるとは思えない。

 春樹はゲオルグに視線を移した。


「あてもなく、旅をして兄を見つけられるものでしょうか」

「まず無理だろう」

「それなら、行かせるわけにはいかないのでは」

「シータの生き方は、シータが決めることであろう」


 ゲオルグは、春樹のベッドにちょこんと座るシータを見る。

 その目は、幼子を見るそれではなく、一人の人間を見るものだ。


「それが奴隷ではない、ということだ」


 春樹はその言葉を噛みしめた。

 そして自分の今までのことを思い返した。

 自分自身が望み、願い、決意して、何かをしたことがあったか。いつも、その場限りで、誰かが望み、願い、期待したことをしてきたのではなかったか。

 或いは、誰かですらない、地域、社会、国、或いは雰囲気。そんなものに流されてきたのではなかったか。

 そんな有象無象に、自分自身の生き方を委ねてきたのではなかったか。

 シータは、この小さな体ですでに生き方を知っている。


 シータは、日本語を理解しないが、それでも話の流れは分かったのだろう。春樹に向き直り、頭を下げた。

 このまま、ビエントの町にいては、兄を捜すことは無理だ。それは間違いない。ただ、旅に出ても、今のシータが旅に耐えられるとは思えない。


 春樹は、決断した。


「ゲオルグ様。私はシータが兄を捜すのを手伝います」


 まずは、この町を基点にして、周囲を捜す。そしてそれでも、見つからなければ旅にでる。

 旅にでるまでに、共用語をマスターして、この国の文化、文明を理解する。そして、剣術を身につけ、体を旅に耐えられるように鍛える。何より、お金を獲得する手段、この国でお金を手にすることができる仕事を獲得する。

 旅をするにも金はかかるのだから。


 やるべきことが、ずらりと目の前に並んだ。


「そうか。ハルキがそう決めたのなら、それで良い。しかし、私の仕事は続けてもらう。良いな」

「はい」


 春樹は、心の中で、シータと旅に出ることがなければ、と付け加える。


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