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公爵家の財務長官  作者: 多上 厚志
第二章
22/103

22

 デニスから書類を受け取って、ゲオルグと春樹は道に出た。

 まだ朝の気配が色濃く残る道は、怜悧な空気が残っていた。そして強い風が吹いていた。

 本当に風が強い町だった。

 春樹が口に手を当てて、砂埃が口に入らないようにしたところで、見慣れない者たちの姿が目に入った。


(なんだ、彼らは)


 四十前後の男が、数人の従者らしき人達を連れて歩いていた。主人一人に、従者四人。従者の一人がロバ一頭を引いていた。

 この町で見かけたことのない容貌の集団だった。

 旅装、というのだろうか。主人以外はリュックのようなずだ袋を担いでいた。ロバはそのずだ袋が両脇に二つずつ、計四つが乗せられていた。

 男も含めて、全員が疲れを顔に滲ませていた。足取りは重く、今にも倒れ込みそうだった。


「彼らは行商人だ」


 春樹の視線に気づいて、ゲオルグが説明してくれた。


「何を扱っているのですか」

「行商人によって様々だが、この辺りには、塩を商いにくることが多い」


 塩分というのは、生きていくために必要だ。塩は海水か、岩塩から手に入れるのだろう。この辺りに海はないし、岩塩も産地でなければ採れないないだろう。

 塩ならば、問題なくさばけそうだ。


「あと、奴隷だ」

「奴隷」


 日本では考えられない商品だ。


「この町にもいるのですか」

「ああ、少ないがな」


 ゲオルグの答えに、春樹は驚いた。


「……いるんですか?」

「どうした、どの町でもいるぞ」


 ゲオルグが不思議そうな声をだす。春樹はゲオルグの表情に、慄然とした。はじめて、この国に来て違和感を持った。習慣や価値観について、今までは違いを感じたことがなかったのだ。

 奴隷、がいる。そんな国なのか、ここは。

 恐怖よりも、嫌悪が先に走る。


「さきほどの行商人は、奴隷商人ではない。奴隷は基本的に五人を単位として首と手を縄でくくられている。とはいえ、従者が奴隷であることは多いがな」

「簡単に逃げられるじゃないですか」

「それは、扱い方によるぞ。普通に衣食住を提供すれば、別に逃げることもない。家族のようになる奴隷もいる」

「なるほど」


 それはそうだ。

 春樹も考えてみれば、ゲオルグから給与をもらっているわけではない、つまり労働力を無料で提供していることになる。それでも、今のところどこかに逃げようと思ってもいないし、どちらかといえば感謝している。見方を変えれば、これは奴隷と同じなのだ。


「だが、奴隷を使い捨ての道具のように扱う者も多い」


 ゲオルグがそう声を潜めた。

 その時だ。


 鈍い音が通りに響いた。

 振り返ると、行商人の男の前で小柄な従者が倒れ込んでいた。従者が運んでいた袋が足下に落ちていて、商品らしき革細工がこぼれていた。


この(ホック)馬鹿がっ(ストュル)!!」


 罵倒というよりも呪いの言葉。それは呪詛だった。腰を落とした従者の胸ぐらをつかむと、男は頬を叩いた。

 何度も、何度も。

 憎悪を叩きつけるように、頬をぶった。それに逆らうでもなく、従者はただただ打たせるに任せていた。それは、こういった仕打ちになれてしまい、あきらめたものの態度だった。

 その従者の顔がちらりと見えた。まだ子供。そしてひどい顔だった。肌はがさついており、毛羽立っていた。何よりひどいのは、瞳だ。

 何もかもあきらめた、そんな暗い瞳だった。

 その瞳が春樹に問いかけていた。


 どうせ、あなたも何もしてくれないんでしょ。


 春樹はその瞳にけしかけられるように足を踏み出していた。


すみません(ペニティット)すみません(ペニティット)すみません(ペニティット)


 共用語を叫びながら、従者のもとに走り込んで抱きかかえた。その軽さに戸惑い、従者の顔をまじまじとみるとまだ幼い子供だった。

 春樹は、行商人の男と、従者の間に体を滑り込ませる。

 その瞬間。


「つうっ」


 右の後頭部に一発、男の平手打ちをくらって春樹の口から声が漏れた。


なんだ(クゥオド)お前(ボス)


 それに答えられるほど、春樹は共用語が堪能ではない。だから、日本語で答えた。


「あまりに、非道いでしょう。やりすぎだ!」


 男が眉尻を上げる。


「------!!」


 激高した様子で、手を振り上げる。春樹は腕で顔をかばうようにして、その殴打に耐えた。全く容赦のない打ち方だった。春樹は腕がしびれてくるのを、我慢した。この打擲を、顔に受けていた子供の痛みを思うと、ふつふつと怒りが湧いてきた。


「いい加減に……しろっ!」


 春樹は立ち上がりざま、男の顔を思い切りぶった。

 生まれてはじめて、人の頬を叩いたのだ。

 叩かれた男の口から、血がこぼれた。口の中を切ったようだ。それほど容赦なく人を叩くことができる自分に、春樹は驚いた。

 だが後悔はない。

 ゲオルグに剣で迫られたとき以上に、春樹は対峙する男が憎かった。

 春樹は、従者の子供を背でかばうように、男と向き合った。


「----!!」


 短い罵倒とともに、男が短刀を抜いた。春樹の足にしがみつく子供の手が硬く握りしめられた。

 安心しろ、と子供の手に春樹は自らの手を重ねた。

 春樹は逃げる気など、毛頭ない。


 春樹は周囲に視線を走らせた。幾人かが、家の軒先からこちらを伺っている。幾人かは、剣を持ち出して手に握っている。

 どちらに加勢するのかは、正直わからない。

 春樹のためなのか、行商人のためなのか。


 春樹は、低く構えて、男の出方を待った。剣への対処は、たった二日だが、少しは習っている。全くゼロの状態と、どうしたら良いか分かっている状態は、別物だ。

 春樹は油断なく相手の出方を待った。

 その間にも、野次馬の輪がじりじりと狭くなってくる。ありがたいことに、どうやら町の人達は、春樹の味方のようだった。

 人垣は、春樹ではなく、中心が行商人になるように作られていたのだ。

 ここまできたら、相手が引くのでは無いか、と春樹は思ったが、どうやら男は冷静な判断ができないようだった。


 一呼吸、息を吸い込んだかと思うと、春樹に短刀を突き出した。春樹はその剣先をなんとかかわして、相手の懐に入った。そして、短刀を握っている側とは、逆の肩を押した。

 途端、男が体勢を崩した。

 春樹は、間髪入れずに、相手の右足の腿を両手で持ち上げた。このまま、男を投げ捨てて、馬乗りになる--予定だった。

 そのとき、男の短刀がひらめいた。

 春樹は体を反らして、避けようとしたが、左耳に激痛が走った。

 ここで怯んでいては、つけ込まれる。春樹は、痛みを無視して、男を投げた。そして、その勢いのまま、男の馬乗りになって顔面を殴りつけた。拳の先に、嫌な感触が残る。それを三度、繰り返したところで、肘を捕まれた。

 ゲオルグだった。


「その辺でやめておけ」


 春樹の手は赤く染まっていた。

 落ち着いて見てみると、男の鼻はつぶれ酷い面相だった。春樹は荒くなった呼吸を整えると、立ち上がって後ろの従者の子供を見た。

 子供は、春樹のほうに駆け寄ってこようとして、足がもつれた。春樹はそれを支えて、ほほえみかけた。


もう、大丈夫だよ(トュトム・ユス)


 そこまで、言ったところで、耳の痛みが唐突に春樹に襲いかかった。

 手を耳に当てると、粘りのある血糊がべたりとついてきた。

 それを見たとき、春樹はふぅと世界が回った。


 そして、そのまま闇に吸い込まれるよう意識が遠のいていった。


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