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公爵家の財務長官  作者: 多上 厚志
第二章
20/103

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 よほど、口に出しにくいことなのだろうか。

 イエナは、唇を噛みしめながら、視線を机に落としている。膝の上に置かれた手を開いたり閉じたりしていた。黄色い向日葵のような色をした繋ぎをイエナは着ていたが、その肩が落ちつきなく揺れていた。


(黄色い服か)


 イエナには、黄色がよく似合った。イエナが黄色の袖を振って歩くと、見ているこちらまで心が弾むような気がした。

 そのイエナが、悩んでいる風を見せると、どうにも落ち着かない。

 こちらまで落ち込んでしまいそうだった。


「どうした」


 イエナの落ちた視線を拾いあげるように、春樹はなるべく落ち着いた声を出そうと努力した。

 さっきは、不機嫌な声をあげていたのにな。

 春樹は自嘲する。


「実は……だな」


 イエナは、散々迷ってから、言葉を切り出した。


「あの帳簿は私がつけているのだ」

「へっ」


 思いがけない言葉に、春樹は変な声を上げた。

 イエナは、ムスッとしている。


「私があの帳簿をつけているのだ」


 もう一度、イエナが繰り返した。

 絶句。

 春樹は、言葉を失った。

 犯人が自首してきたということだろうか。

 春樹はなるべく、表情を変えないように、意識して唇を堅く結んだ。。

 経営者である食堂の店主がおかしいという帳簿。その帳簿の作成者はイエナだという。帳簿の作成者が帳簿の改ざんに関わっていないということがあるだろうか。

 あり得ない。

 百パーセントとは言えないが、帳簿の改ざんに帳簿の作成者が関与していない可能性などまずあり得ない。

 ということは、今、目の前にいる少女が帳簿を改ざんした当事者ということだ。

 つまりは犯人である。

 犯人が来てくれたのだから、後は犯行の内容を聞くだけだ。サスペンスドラマの犯人のように、こちらが全く証拠を握ってもいないのに、ペラペラとしゃべってくれるとありがたい。

 ただ……と、春樹はひっかかるものも感じていた。

 イエナという少女は、このような不正をしないような気がしていたのだ。まともに話したのは、一番最初の挨拶の時だけで、あとは話しているところを横から見ていたり、授業の態度を眺めていただけなのだが、こういう不正とは縁が無い、というよりも、率先して正そうとする委員長タイプだと考えていた。


(委員長というよりも、やっぱり姉御だが……。ま、二日間見ただけで相手のことがわかるほど、自分も経験豊富ってわけでもないからなぁ)


 犯罪者が捕まったときに、やっぱり、という人もいれば、えっあの人が、という感想もある。不正をする人間がどういうタイプが多いか、など犯罪捜査の素人がわかるはずもない。


 春樹が黙ったためだろう。イエナは何か苦いものを噛んだときのように、渋い顔をしながら、口を開いた。


「それで……だ。あの帳簿はどこか、問題があるのかい」

「問題……」


 問題があるとも、ないとも、断言はできない。ただ経営者がおかしいと感じているのは事実だ。そのニュアンスをどのように伝えるべきなのか。


「問題というよりも、私が数字に詳しいことをゲオルグ様が店主にお話をしたらしくてな。それで、帳簿の点検をするように指示されたのだ」

「点検、か。なるほど」

「イエナは何か気になるところがあるのか」

「な、ないっ。そんなもん全くねぇよ」


 明らかに狼狽した口ぶりで、イエナは首を振った。

 怪しい、というか、不審だった。


「邪魔したな」


 イエナはそう言い捨てると、来たときと同じように唐突に部屋から出て行った。

 ぽつねんと椅子に座ったまま、春樹は天井を仰ぎ見た。


「おいおい、何しに来たんだよ」


 イエナは何かを言おうとしていたが、それをうまく引き出せなかった、という事実だけが残った。

 どうも、この帳簿には何かあるようだ。

 春樹はその思いを堅くした。


(しかし、どんな世界でももめ事の種は尽きないものだ)


 日本で帳簿をつけているとき、鉛筆購入の支払い科目を消耗品費にするか事務用品費にするか、といったどうでもいいことで悩んでいたことを思い出した。

 人間が生きている世界だ。

 作られる制度も、毎日の喜びもきっと根本的なところでは何も変わらない。

 そして、悩みながら生きていくことも変わらないのだろう。


「こういう時は、折り紙をしよう」


 この国に折り紙はないようなので、折り紙のストックは大事にしないといけないが、折りたいときに折らなければ使う時がなくなってしまう。

 カードのポイントは、貯めるよりもすぐに使用したほうが結果的に得になる、と聞いたことがある。


 春樹はグレーの折り紙を机の上に置くと、呼吸を整えてから折り出した。

 一枚たりとも折り紙は無駄にはできない。だからこれから作るものは、もしかしたら今回折るのが最後になってしまうかも知れない。

 そう考えると決して適当に折るわけにはいかない。

 人差し指と親指に全神経を集中させて、紙と紙と重ね合わせていく。〇、一ミリの誤差も許さず、角がきっちりと立たせていく。


 折り紙の楽しさは、説明書を見ながら折っている間は、本当にはわからない。何も見ずに折れるようになって、その奥深い楽しみが見えてくる。

 手の中で形を成していく、動物や花々、四角い折り紙が意味を持ち躍動していく過程を自分の手の先が作り出していく喜びは何ものにも代えがたい。

 完成形が見えている指先が、頭とは独立して折り紙をさばいていく。


 そして、完成品を机の上に置いた。


 できあがったのは、ネズミだ。

 大きな二本の後ろ足で、体を支えながら、小さな前足で何かを探すように立ち上がっている。膨らんだ耳がどこか勇ましい。

 ネズミは、どのほ乳類よりも環境変化に強いという。氷河に囲まれようが、熱帯雨林に遺棄されようが、そのたくましさで生き抜くのだ。

 そのネズミの、旺盛な生活力こそが、春樹に今求められているものだ。

 どんな環境にも耐え抜いて、生きていく。

 日本ではない、この国で、生きていく。

 春樹はその覚悟を持たないといけないのだ。


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