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書面を作成していて、いくつか分かったことがある。
まず、ビエントの町がソル公爵領の東端に位置していること。そして、地理的な理由から、ウェントゥス公爵家に町の運営がゆだねられており、ソル公爵家は徴収した税金の一部を回してもらっている状況にあること。
さらに、ゲオルグがビエントの町の領主であること。
そのため、ゲオルグはこの町の状況を定期的に中央、この場合はウェントゥス家に報告する義務があった。
その書類の作成を、春樹は手伝っていることになる。
ゲオルグは、ソル公爵家の人間のようだ。どのような経歴なのかは、書面からはわからない。年齢的に、六十は越えてはいそうだのだが、今の人事が、左遷なのか、それとも栄転なのか、春樹には想像がつきかねた。もしかしたら、一線を退いた役人が、関係公益法人に天下りをしたようなものなのかも知れない。
いずれにしろ、ゲオルグの立場や経歴は、春樹は推測することしか出来ない。
あまり、数字に強そうではないことから、現場サイドの人間であったのではないか、と春樹は想像している。
春樹は夕食後、自室にこもって帳簿のチェックをしていた。
ろうそくの揺らめく光源に、最初は慣れなくて集中力を保つのに苦労した。すきま風が窓枠から吹く度に、ろうそくから伸びた影がふらりふらりと長さを伸ばしたり縮めたりするために、どうにも落ち着かなかった。しかし、明かりがあるだけ良しとしないといけないだろう。ろうそくというのは、贅沢品である可能性が高い。
そんなろうそくを特に制限もなく使わせてもらっているのだから、文句を言ってはいけないだろう。
この帳簿の不正を見つけるために、まず何をしなければいないか。
ひとつに、この帳簿の意味をしっかりと把握する必要がある。
春樹の知っている帳簿とは、かなり様式が異なっている。この帳簿と対応するような、日本の会計上の書面はない。
ただ、ゲオルグから内容については説明を受けているので、大枠では理解している。
書いてある内容は、ビエントに一つだけある食堂の現金の出し入れだ。
大公歴百十二年三月四日から、この帳簿は開始している。
基本、横書き。罫線はないので、一行ごとの文字の大きさは統一されていない。
一行目に、書いてあるのは、帳簿の開始時の現金残高だ。
2150キルク(circu)と書かれている。キルクというのが、この国の通貨だ。貨幣価値が分からないので、1キルクがどの程度の価値があるのか分からない。
毎日の売上げ、この帳簿の場合、食堂の料理の売上げを足して、仕入れを差し引いて、翌日の開始現金残高を記載する。基本的にはこれの繰り返しが、帳簿に記載されている。
売上げは、一行で記載されており、仕入れは何行か記載されている。この売上げや、仕入れの記載がどうにも要領を得ない。春樹はまだ共用語の読解が、中学一年生の春、三時間目というレベルのため、理解できない部分が多い。春樹の言語力不足が、帳簿理解の困難さを助長しているのは事実である。しかし、それ以外にも帳簿読解を困難にしている要因はあった。
この帳簿は、帳簿というのがおこがましいくらい、無駄な文字が書いてあるのだ。
売上げに関していえば、天気らしきことと、知り合いが誰がきて、明日のランチのアイディア、仕入れでいえば、どの漁師が結婚しただの、何匹購入したが一匹はすでに痛んでいたのだの、とにかく経理とは関係ないことがダラダラと書いてあるようなのだ。
春樹が今まで見てきた帳簿は、勘定科目と簡単な摘要、金額しか書いていないのだが、ここの帳簿ときたら、まるで日記だ。
一体何のために、これを書いているんだっっ、絶叫したくなるような内容だ。
しかし、だ。だがしかし、その心臓部は、やはり数字、金額だ。
この帳簿は結局のところ、なんなのか、と言えば……現金出納帳だ。現金の出し入れを、書いた帳簿なのだ。日記と見まごうばかりの無駄な情報に溢れた現金出納帳、というのがこの帳簿の実態だった。
ゲオルグは、この帳簿に不正があるかを検討するように、春樹に依頼した。
その要望に応えるために、今、春樹は帳簿を見ていた。
少し、甘くみていたのかも知れない。
春樹は、重いため息を、一人きりの部屋の中に落とした。
ウェントゥス家に報告する日本語で作られた書面を見る限り、この国にいる人達の事務処理能力はかなり胡散臭いレベルだと春樹は認識していた。そのため、というのも安直ではあったが、帳簿も同じレベルだと予測していた。
確かに日記帳のような、出納帳ではある。
簿記をかじったことがある者が見れば、呆れかえって、書いた者の正気を疑うレベルの帳簿だ。
そんな帳簿ではあったが、金額の計算は間違っていなかった。
現金出納帳は、前日の現金残高に、当日の入金を足して、出金を差し引く。この繰り返しだ。
具体的に言おう。
前日の現金残高が、100キルク、当日の入金が400キルク、出金が200キルクだったとする。そうすると当日の現金残高は、いくらか。
100+400-200=300
答え 300キルク
小学生の計算だ。
この小学生の計算がまともにできない、というよりも、わざと間違えているのだろうと、春樹は考えていた。
なにしろ、計算ができる人間がエリートと呼ばれるような国だ。まともにチェックしている人間がいないのだから。帳簿を書いた人間が、わざと間違えば、ノーチェックなのではないかと、春樹は考えていた。
上の計算で、現金残高を、250キルクと書くだけで、あら不思議50キルクを横領できました。
という非常に単純な不正を考えていたのだ。
だが、しかし。
繰り返す。
計算は間違っていなかった。
こうなってくると、不正がないことも視野にいれて、真面目にチェックをかける必要があった。
(はぁ、面倒だ)
電卓もないから、すべて筆算なのだ。
筆算で、真剣に数字を足し算するなど、小学生のとき以来だ。手間もかかるうえに、計算の信憑性も怪しいものだ。電卓がほしい、というのは贅沢だとしても、せめて算盤でもあればと、思わずにはいられなかった。