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公爵家の財務長官  作者: 多上 厚志
第二章
15/103

15


 帳簿のことは、ゲオルグにとっては、ついでのことだったのか、あれから春樹は日本語の書面を作成することに忙殺されることになった。なにしろ、一枚の書類を作成するにも、一度も書き損じが許されないのだ。パソコンのワープロソフトを使って作成していた文書を手書きで作成することになった、と想像してもらえるといいだろう。

 一文字抜けてた、追加。一文字多かった、削除。バランスが悪い、改行。

 訂正がどれだけ楽に出来ていたか、まさに文明の利器だったのだ。

 手書きで、美しく間違いがない文書を作成するとなると、一枚の何でもない書面でも、一時間では作成できない。


 ソル公爵家とウェントゥス公爵家に報告する書面。それぞれ二枚ずつ作成したら、太陽は高く昇っていた。

 春樹は、書き終わった書面を机の前に置いて、誤字脱字がないか、最後にもう一度チェックする。

 本来なら、こういう誤字脱字のチェックは、書面を作成した春樹以外の人間がしたほうが良い。思い込みというのは、作成した人間が何度チェックしようが、払拭することができないからだ。

 とはいえ、書面作成は春樹が全面的に請け負ったのだから、責任を持って仕上げがなければならない。自分がこの書類を作成しました何かありましたら全て私の責任ですっ、と胸を張っていえるまで見直さなければならない。それが事務の仕事だ。


 春樹は、一度頷いて、ゲオルグに書面を提出した。


「どうぞ、ご確認ください」


 ゲオルグに書面を提出して、春樹は一歩下がった。


「おお、言うだけのことはあるな。綺麗なものだ。……しかし」


 ゲオルグが眉をひそめた。


「読めない漢字もかなりあるな。というよりも、見たことの無い漢字もあるようだ」


 もしかして、レベルが高すぎたのだろうか。

 文字は、読めなければ意味がない。自己満足で書面を作っても仕方がない。


「作成し直します」

「いや、このままで良い。私にはこの漢字がハルキが適当に作ったものには見えない。公爵家の中央図書館には、漢和辞書があるはずだから、それを調べればよかろう」


 漢和辞書って。

 二の句が継げなくなる。

 一体、この場所、この国、この世界において、日本語はどういったポジションなのか。


「ご苦労」


 ゲオルグは、朱肉を取り出して、押印をすると満足そうに、書面を完成品の山に乗せた。


「そろそろ、切り上げてもらっていい」

「午前中の仕事は終了ですか」


 日当たりが悪い部屋のため、太陽の位置がはっきりとわからないが、感覚的に真昼のように思えた。


「ああ、飯を食べたら、夕方まで休憩してくれ」

「ゲオルグ様は、お出かけですか」

「いや、昼から夕方までは、寺子屋を開くのだ」

「寺子屋……ですか。つまり、私塾ですね」

「そうだ。ビエントの町には、学校がないからなぁ。子供達に教育を受ける機会があったほうが良いと思っていたのだ」




 寺子屋は、この屋敷で開かれていた。

 玄関から入って、左側の扉の先に二十畳程度の畳の部屋があって、そこには座卓が十ならんでいた。

 外観が純洋風の外観の屋敷の中に、畳の部屋があるのというのだから面白い。


 昼食をとって、しばらくすると、玄関をくぐって幾人かの子供達が顔を出した。特に勉強道具をもってくるわけではなく、手ぶらだった。だが座卓が個々に割り当てられているようで、引き出しから筆記具を取り出した。


 今、教室にいるのは、少年が四名、少女が三名だ。


 口々に何かを話しているのだが、春樹には理解できない。

 春樹はゲオルグに願い出て、授業を子供達と一緒にうけることにしていた。言葉の勉強になるかと思ったのだ。

 春樹は、一番後ろの座卓に陣取って、ノートと辞書を広げた。

 やる気は満々だ。

 元々、勉強が好きなたちなのだ。知らないことを知るということが、純粋に好きだ。


「よっ。みんな元気かっっ」


 突然、耳を刺すような大きな声が教室に響き渡った。

 驚いて振り返ると、少女が立っていた。

 日本の軍人がするような、敬礼をしている。まっさきに、目がいくのは、その口元だ。生き生きとした唇には、楽しい明日を夢見るように微笑が浮かんでいる。髪は長く、腰のあたりまで伸びている。瞳は髪の色と同じ淡い茶色。美人というのは、間違いがないが、それは外見よりも、内面から滲みでるような、溌剌とした快活さが少女をより一層輝かせていた。

 年の頃は、十四、五といったところだろうか。

 春樹と一回りは違わないかな、という印象だ。


「およっ」


 少女は、春樹に目を向けた。


「はじめましてだな。おっちゃん」


 美しい、といっていいのだろうか。

 なめらかなイントネーションの日本語だった。更にいえば、人生初めての、おっちゃん呼ばわりだった。


 二十五歳は、おっちゃんなのか。


 軽く衝撃を受けながらだったが、春樹は笑って見せた。すこし、引きつっているかも知れない。


「はじめまして、お嬢さん」

「なんだなんだ、嬢ちゃんなんてよー。照れちまうよ」


 少女は、栗色の髪をぐしゃぐしゃとかき回しながら、唇をとがらせた。


 なんだろう。この少女の口の悪さは。

 どうにも、その外見とアンバランスだ。そして、他の子供たちは、少女の口の悪さに気がついていないようなのだ。


 ああ、と春樹はすぐにその理由に思いいたった。

 単純に日本語を理解していないのだ。


「私の名前は、Jena(イエナ)ってんだ。おっちゃんの名前はなんていうんだい」

「春樹」

「ハルキ……良い名前じゃねぇか。これからよろしくなっ」


 イエナは、少し変な子だった。


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