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公爵家の財務長官  作者: 多上 厚志
第二章
14/103

14


 ゲオルグからの、この書類の意味がわかるか、という問い。


 答えはこうだ。


 意味など全くわからない。


 ……いや、だってね。

 文字がわかんないんだから。


 書類に書かれているのは、春樹が見たことのない文字だった。とはいえ、エジプトの絵文字や、メソポタミアのくさび形文字のような、書くだけで時間が掛かりそうな文字ではない。どちらかといえばアルファベットのようなシンプルで、書くだけならばそれほど労力がかからない文字だ。

 その文字が、紙面をびっしりと埋めている。

 共用語という、ここの現地言語と、その文字が理解できない春樹には、この書類の意味などわかるはずがない。


 ただ、書かれた文字の合間に、アラビア数字が書かれているのは、春樹にも読み取れた。

 その数字こそが、この書類のメインであることも理解できた。


 だから、これが会計書類だということがわかったのだ。


「これは会計帳簿ですね」


 おお、とゲオルグが目を丸くした。


「わかるか、それが」


 なんと答えようか。

 わかる、というのも不誠実だし、わからない、というのも正確ではない。


「……数字が書いてありますので」

「数字がわかるのか!!」


 食いつくところは、そこなのかっ。

 驚きながら、春樹は頷いた。


「ニホン語はできるし、数字はわかるし」


 ゲオルグはほとほと感心したように、額を何度かペシペシと叩いた。

 それで、なぜ共用語がわからないのか、と呟いたが、聞き流すこととした。分からないものは仕方がない。


「数字が理解できるということは、計算もできるのか」

「どの程度のことを要求されているかによりますが」

「足し算は」

「できます」

「引き算は」

「もちろん、できます」


 馬鹿にしてるのか、と言いたくなったが、この場所では計算ができるというのが、特殊技能なのだろう。なにしろ、数字がわかるというだけで、驚かれたのだ。


「足し算と引き算ができれば、十分なのですか?」

「それ以上にどんな計算があるのだ」

「かけ算や割り算」

「……聞いたことはあるが……」


 唖然とした。

 かけ算や、割り算がそこまで特殊な知識だなんて。

 二次方程式程度であれば、文系の春樹でもできるのだが、そんな知識を開陳したところで意味はなさそうだった。


「それで、その書類についてなんだが」

「はい」

「何か、おかしなところはないか」

「おかしな、と申しますと。具体的には」

「それが分かったら、苦労はしない」


 なるほど、春樹は頷いた。

 つまり、会計不正がないか、ということなのか。


「ゲオルグ様がおっしゃりたいのは、この帳簿に不自然なお金の出入りがないか、ということでしょうか」

「そうだ」


 得たり、とゲオルグが机を叩く。


「そういうことでしたら、少し時間をいただけないでしょうか。数字の動きだけを追えばよろしいのであれば、文字が読めなくてもお役に立てるかも知れません」

「そうか、やってくれるか」

「はい、ですが、何かを見つけられるとは、確約いたしかねます。元々何も不自然な動きがない可能性もございます」

「当然そうなるな」

「それから」


 春樹は、躊躇ったが、思い切って口にだすことにした。

 このタイミングで言い出すのが、一番話を通しやすいように思えたのだ。


「私に共用語を教えていただけないでしょうか」

「共用語を、だと」

「はい。この帳簿に書かれているのは、共用語の文字ですよね」

「そうだ」

「数字を追うだけなら、今の私でもできるのですが、やはり文字も理解できたほうが、より詳細に理解できると思うのです」

「なるほど、尤もな意見だ」


 ゲオルグはしばらく何かを考えているようだが、不意に立ち上がると、棚から一冊の本を抜き出した。

 机の上に置かれた本の題名を見て、吹き出しそうになった。


『日本語入門』


 いや、おかしくない。おかしくはないんだけど。

 この洋風ばりばりの装丁に、金の縁取りつきで、日本語入門、とくると違和感が半端ない。


 視線で断りを入れてから、手に取って中身を確認する。

 驚いたことに、手書きだ。活版印刷がないのであれば、仕方が無いと言えば、そうなのだが、この本、一体いくらするんだ。


 春樹は、顔を上げて、本棚にずらりと並んだ書籍の背表紙を信じられない気持ちで眺めた。


(これだけで、一財産だな)


 一瞬、止まりかけた思考を春樹は頭を振って呼び戻した。

 そして本の中身に意識を戻した。


 この本は、共用語を知っているものが、日本語を学ぶためにあるようだ。解説はすべて共用語でされている。

 章ごとに、内容が分かれているようで、人称や、時制、動詞、疑問文、仮定……、一通りの文法が学べるようになっているようだ。本来の目的とは逆にはなるが、日本語から共用語を学ぶということも不可能ではないだろう。少なくとも、全く手ぶらの状態で独学をするよりは効率があがりそうだ。


「ありがとうございます。それから、もし辞書のようなものがあればなおありがたいです」

「あるぞ」


 ゲオルグは、『日本語辞書』と書かれた本を出してきた。


 日本でよく見ていた辞書と呼ばれるような本ほど厚みはないが、十分なページ数のある本。

 そして中を見てみると、やはり手書き。

 日本語を共用語に翻訳してある。


「これをお借りしてもよろしいのですか」


 恐る恐る春樹は、尋ねる。

 自分から言い出したことだが、少し怖くなったのだ。

 日本語と共用語を理解する知識。語彙を集め、整理する手間、一冊で辞書にするための薄い紙の準備、そして何よりも記入するための手間。それらを考えれば、値段は推して知るべし。


「もちろんだ」


 即答だった。

 春樹は頭を下げた。


「それを使うことで、少しでも早くその書類の中身を確認できるのであれば安いものだ」


 これは早まったか、ひやりとしたものを感じたが、今更どうにもできない。

 春樹はますます深く頭を下げたのだった。


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