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公爵家の財務長官  作者: 多上 厚志
第二章
13/103

13


 窓には、瞬く星が映っていた。

 月は見当たらない。


(星月夜か)


 月が見当たらないのは、この場所に月がないためなのか、それともちょうど新月なのか。春樹には判断がつかなかった。

 いずれにしろ、何日か夜を過ごせば分かることだ。


 春樹があてがわれたのは、螺旋階段を上った先にある小部屋だった。ゲオルグも二階が寝所のようで、人の気配がいまもしている。


 明日からの仕事に備えて早く寝るべきなのはわかってはいるが、目がさえてなかなか眠りは降ってきてくれなかった。


 今朝、見慣れた部屋で目を覚ましたのが、遠い昔のようだった。相続税の研修をしたり、湊市の商店街を歩いたりしていたのが、セピア色の写真を見ているように現実味がない。


 実は、ここが今まで春樹が生きてきた場所で、税理士として仕事をしていた日本が夢の中だったのではないか。

 夢の中で、育ち学び、生きてきたのではないか。

 足下にあるシャツやスラックスの存在だけが、以前春樹がいた場所を思い出させる唯一のものだった。

 いや……あとは、折り紙がある。

 趣味として続けた折り紙が、今日は大活躍だった。あれがなければ、ゲオルグに信用されていなかったかも知れない。

 そう思うと、折り紙を趣味とするきっかけを作ってくれた姉の真冬への感謝の気持ちが湧いてくる。日本にいたときは、思い出すこともなくなっていたのに、こちらに来てからそんなことを考えることが少しおかしい。


 ふいに、風が鳴った。

 この町は、とかく風が強い。山間の湖畔にある町だから風が舞うのだろう。吹き付ける強烈な風が窓を強く叩いている。

 あたかも窓をノックするような音だ。


 とにかく今は、早く寝よう。


 春樹は、眠れなくても仕方がない、と割り切って、目をつむった。

 そして、明日からの仕事に思いを馳せたのだった。


 ☆


 目を覚ましたのは、見慣れぬ部屋だった。

 いつもなら、スマホが枕の横にあって、青い遮光カーテンが頭の上に見えるはずだったが、古ぼけた木枠の窓がある。暖かな日の光が部屋を満たしていた。


(ああ、そうだ。ここで寝たんだった)


 意識がはっきりしてくると、昨日のことを思い出してくる。


 日本に戻っていればいい、とは思ったものの、残念ながら、そんなに都合良くは行かなかったようだ。


 春樹は、昨日の夜のうちに渡された服に袖を通すと部屋から出た。普段着慣れているものと比べると、着心地がよくなかった。足を曲げたりするときにこすれる感じがした。

 二階に人の気配はしない。まだ寝ている時間なのかも知れない。

 春樹はきしんだ音をたてる木の階段を踏みしめながら、昨日ゲオルグと話した部屋へと向かった。

 扉の前に立って、三回ノック。


「入れ」


 扉を開けると、ゲオルグは机に向かっていた。

 部屋は少し薄暗い。日当たりが悪いのだ。


「よく眠れたか」

「いえ、風が強くて寝付くのに時間がかかりました」


 ゲオルグが笑みを浮かべた。


「それは私と一緒だな。私もここに来たときは、閉口したものだ。このビエントの町は、風が名物なのだ。ソル公領下の町で、唯一風の聖霊を守り神としているぐらいだからな。風にはじきに慣れる。逆に静かな夜が、寝にくくなるぐらいにな」

「早く、そうなりたいですね」

「十日もすれば、大丈夫だ。それよりも、もっと早く慣れてほしいものがある」


 ゲオルグが書類の山のひとつを、春樹の前に押しやった。


「この書類を作成するのを手伝ってほしい」


 書類の山の一番上の書面を見て、春樹は驚いた。

 すべて日本語で書かれていたのだ。


「ロドメリア大公国の各所領では、公文書はすべてニホン語で書くことになっている」


 ……マジ?


 春樹は、書類を手に取る。紙だ。紙で作られた書類だ。羊皮紙とか、亀甲とかではない。しかし、日本の紙とは違い、かなり厚みのある紙だ。和紙に近いような手触り。インクは黒いもので、毛筆のようなもので書かれている。ゲオルグの手元を見ると、小ぶりの筆を握っていた。


 しかし、日本語で、書かれている内容はお粗末だった。

 中国製の電気器具を買ったときの説明書のように、誤字ばかりだ。きっちり書くという意識がないとしか思えない。


「作れそうか」

「もっと正確に綺麗な文字で、要点をついた文書を作成できます」

「それはありがたい。私もニホン語を話すことには、慣れてはいるのだが、どうも文書となると勝手が違ってな。作ってくれると大変助かるのだ。もちろん、ハルキが作成したものには、私も責任を持って目を通す。そのあとで、私の印鑑を押そう」


 サインではなく押印をするのが、この場所の文化のようだ。手元にある文書も、右肩に名前がありそこに押印がされている。


「私の仕事というのはこれだけですか」

「その予定だ……」


 淀みなくゲオルグは答えた。だが春樹は、この言葉を鵜呑みにしなかった。そもそもゲオルグは、教会で、日本語を教えられるか、と尋ねてきた。もしこの仕事が念頭にあったのなら、日本語を書けるか、或いは日本語は読めるか、と尋ねるべきだ。


「その予定なのだが……もしもできれば……」


 ゲオルグが忌々しいものを見るような目で、更に新しい山を春樹に押しつけてきた。


「この書類を見て、意味がわかるか」


 その書類は、春樹にとって親しみのあるものだった。

 それは、会計書類の束だったのだ。


お仕事小説、開幕!!

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