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公爵家の財務長官  作者: 多上 厚志
第一章
10/103

10

『うふふふふ、ようこそ』


 風に紛れて、また声が聞こえた。

 前を歩く老人の声ではない、耳の近くでささやいているようにも、遠くから呼びかけているようにも聞こえる声だった。

 どこから聞こえてくるのか、不審に思いながらも、春樹は老人について歩いて行く。風が声を運んできたにしては、あまりにもはっきりと聞こえてきた。

 それに、と春樹は不思議に思う。なぜ日本語なのか、と。


 老人が向かった道の先は、湖畔の町につながっている。老人は町に入る手前で、一度立ち止まった。

 そして春樹を見て、困ったような顔を見せた。


「お前、なぜここにいる」


 老人は呆れたように言った。


(ついてこいって言ったのは、あんただろ)


 一瞬よぎった思いを、春樹は口に出さなかった。

 ただ、老人の言葉の裏を考えた。これは税理士になってから身についた習慣だ。人の言葉は、言った本人が意識しようとしまいと、本人の経験に基づいている。

 そもそも老人がどのような立場で、この世界の常識がどんなもので、なぜ老人があのように言ったのか、全くその背景が春樹には、分かっていない。分からないずくしでは、言葉の裏を考えるにも限界がある。

 とはいえ、とりあえず、少ない情報から考えることにする。

 老人が刀で斬りかかってきたこと。それから春樹が身の潔白をしめすために、裸になって、なんとか許してもらったこと。そのときに、老人が見せた苦笑。

 いくつかのパーツを組み合わせる。そして、出した結論は……。


 老人は、春樹のことを、見逃してくれようとしたのではないか、だ。


 攻撃をしてきたということは、何らかの理由で春樹は、老人にとって排除すべき対象だったのだ。過程はともかく、結果的に老人は春樹を排除することを留保してくれた。

 理由はわからないが、そこにあるのは慈悲だったのかも知れない。

 ついてこい、と言ったのは言葉の綾で、本当は逃げていい、ということだったのかも知れない。

 だが、逃げていい、のなら、ついてこい、などと言うだろうか。


 春樹がそう考えている間に、老人は目を大きく見開いてから、うんざりしたように自分自身の頭をコツコツと叩いた。


「しょうがない。……くどいようだが、ニホン語は、教えることができるな」

「日本語で教えて良いのなら、十分できます」


 本当のところ自信はないが、自信があるように答えた。


「では、頼むぞ」


 老人は春樹の腕を強く叩いた。春樹の背筋が、小学校に入学したての子供のように、ピンッと伸びる。


 今度は、老人と並び立つようにして、町へ向かう。

 近づいていくと、建物がすべて木造であることがわかった。これだけ周囲に森林資源があるのだから、当然といえば当然だ。柱もデザインの一種のようで、外からも木組みがはっきりとわかる。屋根も木から作られたオレンジ色の板葺きだ。柱や壁の木材と色が異なるのは、塗料が塗ってあるからか、それとも材料の違いに由来するのか、遠目では分からない。

 町の周囲に隔壁はなく、どこからが町の中で、どこからが町の外なのかはっきりとした境目はなかった。隔壁がないということは、あまり注意すべき外敵がいないということなのだろう。ただ町の入り口のところには、小屋があって、警備員らしき男が立っていた。

 春樹よりも、若干年上に見える男だった。着ている服は、老人のものと同じ緑色のざっくりとしたものだ。持っている剣は老人の刀と異なり、真っ直ぐで分厚いものだ。日本刀とは異なる洋風の剣だった。

 警備の男は、春樹を物珍しそうに見たあとで、老人に向かって話しかけた。

 老人はそれに答えて、軽く笑みを浮かべて、春樹のほうに視線を投げかけながら説明しているようだった。

 春樹は、生唾を飲み込んだ。

 警備の男は、老人に対して何度も頷いてみせると、手で春樹を町に促した。

 とりあえず町に入ることは認められたようだ。無意識に止めていた呼吸を再開させて、春樹は歩き出した老人に続いた。


 道は町に入っても舗装はされていなかった。しかし堅く踏み固められており、風で土が舞うことはなかった。ただ雨が降ったら、大変なことになりそうだった。目で見える範囲では、道を歩いている人は、十人ほどだった。

 上から見た限りでは、百軒ほどの町のようだったから、こんなものなのかも知れない。春樹も、日本では田舎と呼ばれる町に住んでいたが、それでも片側二車線の国道が中央を貫き、日中は途切れることなく車が走っていた。それと比べると、この町は寂しいものだった。


 町の中央を貫くメインストリートには店はあまりない。通りに面したところに一軒雑貨屋のような店と、酒場のような店舗が見られたが、他はすべて民家だった。店で何かを買って生活用品をそろえるのでは無く、自給自足で助け合いながら、生活しているのだろう。


 老人は、道行く人達一人一人と会話を交わしながら、町の中心へ向かった。

 町の中央には、広場があった。この広場に面した建物は、ほかの建物と比べると一回り大きいようだ。ひときわ背が高いのが、恐らく教会だ。山にあった教会と作りがよく似ており、高い塔の上には鐘があった。


「こっちだ」


 老人が春樹を視線で誘導したのは、広場に面した建物の中で、教会に次いで大きな建物だった。


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