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第3章 前半 過去は長い影を落とす(改)

     第三章


          1


 ジークリートは小高い丘の上で、船を待っていた。

 友達が漁を終えて戻ってくる。

 漁船が沖合から戻ってくるのが見える。村の港に、小さな帆を張った船が次々と入ってきて、獲ってきた魚の陸揚げを始めている。

 漁師たちにまじって、一人の少年が忙しく働いていた。ジークリートより少し大きい。薄茶色の髪と目、顔にうっすらとそばかす。

「おかえり!」

「おーー!」

 友達の出迎えにラスクという少年は手を振ってこたえ、篭を持って降りてきた。中には魚が入っている。祖父と一緒に漁に出てきたラスクが獲ってきたのだ。

「約束の魚だ。母ちゃん喜ぶといいな」

 ラスクは大きな口を開けて笑う。

 ジークリートの唯一の友達だった。

 二人とも父親がいない。ラスクの父は海で死んだ。そしてジークリートの方は、始めから母と子だけの暮らしだった。

 魚を母に見せるのだと、ジークリートが急いで走っていく。

 船の上に立って、ラスクは手を振る。

「ラスク! こっち来い」

 下で祖父が呼んだ。

 浜に網を広げて、破れた所を繕いながら、祖父が聞いた。

「あの子と仲がいいんだな」

「うん。何だよじいちゃん」

「いんやァ、何でもね。網、繕っとけ。俺は魚運んでくるからな」

 老人は腰を上げ、いましがたジークリートが走っていった坂道に目をやった。もう、少年の姿は見えない。

「ゆうべ、隣村で見かけた奴らの捜してたの……よそ者のきれえな母子連れって、あの子んとこだろなあ……」

 老人の独り言はラスクには聞こえなかった。それに続く不安げな呟きも。

「何も起こんねえといいが……」


          *


 ジークリートの家は村のはずれ、木立を背にした丘の上にあった。

 少年は一気に丘を駆け登る。

 彼の母は、外に干していた洗濯物をとりこんでいた。

 ひらひらと翻る布の間に、母の銀色の髪が見える。

「おかえりなさい」

 両腕いっぱいに洗濯物を抱えて笑う母に、少年は篭を高くさし上げて見せる。

「ラスクが魚をくれたんだ」

 ジークリートがうれしそうに言った。

 母親は篭をのぞいて、大きな魚ね、と感嘆の声を上げる。

「あの子が捕ったの? すごいわね」

 ジークリートの顔がほこらしげに輝く。

 両手の塞がっている母親のために扉を開け、台所に魚の篭を置いてまた外へ駆けていく。少年がたき木を抱えて戻ってくるころには、夕食のいい匂いが漂い始めていた。

「港はどんな様子だったの」

 料理をとり分けながら母親が言う。ラスクのくれた魚はテーブルの中央に乗っていた。

「漁船が戻ってきてにぎやかだったよ」

「その中に、知らない人はいた?」

 母親の顔に緊張が走る。

「村の人だけだったよ」

 ジークリートの答えに安心したように、母親は椅子に腰を落す。

 長い銀色の髪、淡い水色の瞳。どんなに日に焼けても村の誰よりも白い、美しい母の顔が、ときどきひどく憂いに満ちていること、夜などはひとり、物思いに沈んでいることを、九歳のこの少年は知っている。

 母が何かに追われていることを、少年はとうに気づいていた。

 だから親子は各地を移り歩いてきたのだ。この村には半年になるが、今まで逗留してきた中で一番長い。

 母は何も言わない。が少年にはわかっていた。もうじきこの村も去ることになるだろう。ラスクとも別れるのだ。

 それだけは少し淋しかったけれど。


           2


 夜更けに激しく戸を叩く音で、ジークリートは目覚めた。

 母が起き出して戸口に向かう。

「村長のサムエリです、夜分にすまんが、おりいって相談したいことが」

 少年の母親は眉をひそめた。

 何かがひっかかる。が、相手はよく知った人物だ。疑念を振り払い、扉を開ける。

「どうなさったのです? どうぞ、お入りください」

 戸口に立っていたのは、確かに村長に違いなかったのだが……。

 こわばったまま、村長の身体が、がっくりと前に倒れた。

 その背後から、闇が塊となって家の中へ流れ込む。

「おかあさん!」

 異変を感じたジークリートが駆けつける。

「来てはだめ!」

 母親は扉に身体を押しつけて塞ぐ。

「そこに居るのだな」

「いいえ! 誰も居ない! 近寄らないで!」

 闇を見据え、母親が叫ぶ。

 流れ込んだ闇の塊は四つに分かれていき、黒衣をまとった四人の人間になる。全身を黒い布で覆っているのだ。

「エクリプセ・ルス、光を押しやる手に幸いあれ、輝ける闇よ」

 一人目の男が、しわがれた声をあげる。

 母は、吐き捨てるように答えた。

「忌まわしいエクリプス……! あなたたちに幸いなんてあるものですか! 永遠に呪われればいい!」

 二人目の男が低く笑った。

「呪詛こそが我らには心地よい」

 三人目は、優しげな声をつくって言う。

「シャンイエラ、我等と共に、グーリア王のもとへ戻らぬか。王はそなたを気に入っておられる。子供を連れて帰りさえすれば、何のとがめもあるまい」

 シャンイエラと呼ばれた彼女は、毅然として答える。

「騙されないわ! 命にかえても、あの子は渡さない!」

「それほどに死にたいか!」

 四人目の男が叫び、両腕を前に突き出す。

 黒衣がひるがえり、顔がのぞく。

 肉をそぎ落したような顔には血の気がなく、眼球も鼻もない。右目のあるべき場所に、乳白色の石が埋まっているだけだ。唇のない口が呪文を吐く。

 その手の平から闇色の塊が飛び出し、瞬時に広がって、網となって降りかかる。

《アセルフィアー!》

 闇の手に捕らわれようとする瞬間、シャンイエラが声を上げる。

 とたんに暖炉から炎が噴き出し、闇の塊に食いついて燃え上がった。

 炎の壁だ。

 シャンイエラは素早く、奥の部屋へ逃れ出る。

 ありったけの家具を集めて扉の前に積み上げる。だが、こんなものがどれ程の役に立つだろう。

 ジークリートと母が逃げるために裏口の扉の前に立ったとき、ふいに、勢い良く扉は外側から開かれた。ハッとして母子は退く。

「ジーク! いるのか?」

 声がして、一人の少年が飛び込んでくる。

 麻糸をほぐしたような髪だ。

 ジークリートのただ一人の友人、ラスクだった。

「ついて来いよ。裏の森ん中ならおれは目つぶってても歩ける。抜け道があるんだ!」

 ラスクの先導で、母と子は家の裏手にある森へ逃れた。


「ありがと、ラスク。どうしてここに?」

 ジークリートが尋ねると、ラスクは歩みを休めずに、話しだした。

「おれ、見たんだ、あいつらが来るのを……」

 ラスクは祖父とともに船を引き上げ、いつものように手入れをしていたという。船底についた貝や藻を落して、タールを塗っておく。手入れを怠ると、船足が格段に落ちてしまうのだ。その作業をしている時、港に黒い帆を張った船が入ってきた。火も灯さず、何の合図もない奇妙な船だった。

 船から黒づくめの衣をまとった人影が降りて来て、漁師たちを捕まえ、

「よそ者の母子を知っているか」

 と聞いたのだ。

 ラスクは祖父に言われて船の影に隠れ、様子を見ていた。黒い衣の男たちは彼の祖父や仲間の漁師に案内させ、村長の家の方へ向かっていった。

「だけど妙なんだ。じいちゃんたち、ぼーっとしたみたいになってあいつらの言うことを黙って聞いてたんだ!」

「それじゃ、おじいさんたちは……」

「わかんねえ……気になったけど、あいつらに見つかりそうになって隠れてたらこんどはやつら、おまえんとこ向かってたから……あわてて裏道へ行ったんだ」

 やはり祖父のことが気がかりなのだろう。ラスクの声が沈む。

 ふと、ジークリートの母親だシャンイエラの方をラスクは振り向いた。

「あいつらの捜してたの、おばさんとジークのことだったんだろ?」

「待って!」

 シャンイエラは先に立って歩く少年たちを呼び止めた。

「彼らはわたしたちを追ってる。ラスクが来てくれて嬉しかった。だけどこのまま一緒にいては、あなたも危ない。お願い、もうここで帰って」

 何と勝手な言いぐさかと思う。ここまで案内して貰って、急に帰れとは。

 だが、彼女はふいにたまらなく恐ろしくなったのだった。今にもやってくるかもしれない恐ろしい追っ手が、ラスクをどうするかが。

「うん帰るよ」

 ラスクはさらっと答えて

「でもおれが居ないと道に迷うよ。大丈夫、森を抜けたら、戻るから」


 ジークリートと母親にとってはついていくのがやっとだ。

 森の中は静かだった。追っ手の影もなく、気配さえもない。

 シャンイエラにはそれが、かえって不気味に思えた。闇の魔導士たちがそう簡単に追うのを諦めるはずはないのだ。だが、その不安を子供たちの前では口にしなかった。

 やがて森の出口が見えてきた。

 すぐに村境だ。

 黙りこくって急ぎ足でやってきたラスクとジークリートは、顔を見合わせた。

「うまく逃げろよ」とラスクが言った。


 ジークリートは、これがラスクとの別れになるのだと悟った。

 いずれ、この時がくるのは、わかっていたのに。

 多分、情けない顔をしていたのだろう、

「そんな顔するな」

 ラスクが困ったように笑う。

 ジークリートには、ラスクに言いたい事がいっぱいあるような気がした。『ありがとう』も『さよなら』も、言いたかった。けれど何も、言葉は出てこない。

 初めてできた、たった一人の友達。

 ラスクが、小さな包みを渡して寄こし、照れ臭そうに、鼻をこする。

「それ、やる。お守りだ」

 包みの中身は、釣針だった。

 ラスクが初めて一人で大物を釣り上げた時の針で、いつもお守りがわりに持っていたのだという。

 釣針を手に乗せ、じいっと見つめていたジークリートが、顔を上げる。

 黙ったままで、ラスクを見る。


 ラスクのこの顔を絶対に忘れないでいようと思う。

 この先どこに行っても。




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