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第2章 後半 水晶の谷、太陽の巫女王(改)


          3


「にいさん、起きて! 起きて!」

「なんだよ、まだ夜も明けてないじゃないか……」

 と言いかけて、キールははっとする。

「煙の臭い!?」

 ジークリートはすでに起き上がって、身支度を調えていた。

「危険が迫っている」

 

 三人とも、いつでも動ける用意をした上で、急いで階段を下りる。

 階下では、家の主である老婦人が、幼い孫たちを抱きしめて、なすすべもないかのように、ただ震えていた。

「どうしよう、ついにやつらが来たんだ! グーリア軍が!」

「グーリア?」

 ただならぬ思い詰めた様子である。

「おとなしく従っていれば滅ぼさないと…皆殺しにはしないと、そう言ったのに!」

 幼い孫を抱きしめて老婦人はつぶやいた。

 スーリヤが彼女を案じて声をかけると、老婦人は憔悴した顔を上げた。

「ごめんねえ。この水晶キスピ谷は咎人とがびとの村なんだよ。いつか報いを受けるときがくるのはわかっていた。だけど、あんたたちには関係ない。このまま居ると巻き添えにしてしまう。早く、すっかり囲まれてしまう前に、ここから逃げておくれ!」

「そんな! あたしたちだけ逃げるなんてできない!」

 スーリヤが叫び、

「おばさんも一緒に逃げよう。お孫さんも、おれたちがなんとか守るから」

 キールも何度も言いつのったが、老婦人は首を縦に振らない。

「いちど自分たちの王を裏切った者を、グーリア王が信用するはずもない。みんな、ずっと罰を恐れて暮らしてた。そのときが来たんだ。審判のときが。……この谷の者は、保身のために自分たちの王を売ったんだよ」

 老婦人は顔を覆った。

「何も聞かないでおくれ! 嫌われたくないから。出ていって! そして逃げて!」

 追われるようにキールたちは外に出された。


「このまま別れるなんて……」

 スーリヤは何度も家を振り返る。

「考えないほうがいい」

 ジークリートが言う。

「あの人の言ったことは事実だ。おれたちにしてやれることは何もない」

「ジギー! 知ってたのか」

「以前、おれを鍛えてくれた師匠から聞いた。師匠は大陸の各国を旅して情報に詳しかった。この水晶キスピ谷はかつては王国だった。小国ながらも王と女王がいて治めていた。月の巫王と、太陽の巫女王によって平和に栄えていたんだ……」

 ジークリートは足を止めた。

「待て。誰か来る」


 前方の茂みが、がさりと音を立てた。


「おやおや。まだこんな年頃の子供がこの村に残っていたのか」

 柔らかな低い声と共に、木々の間から、若い女が姿を現した。

 背が高く、体格もいい。がっしりした身体は、かなり筋肉がある。

 長袖の暗緑色の服に、同色のズボン。

 腰に細身の剣を吊って、足先には皮を巻き、頭は藍色の布でおおっていた。

 こぼれる前髪は火のような赤、灰色がかった緑の瞳。

 女は背後に目をやり、優しくさえ思える口調で囁いた。

「逃げるなら今のうちだ。川沿いに湖へ逃れるか、峠へ向かえ」

 その方向を指し示し、りりしい口元に微かに笑みを浮かべる。


「早く、きみは逃げるんだ」

 ジークリートがスーリヤの手を引く。焦っているのが声に現れていた。

「いいえ、逃げないわ!」

 手を払ってスーリヤは女に詰め寄る。

「だめ! おばさんたちは、村の人は殺させない!」

 少女のどこにこんな激しさがあったのか。

「……ほう……」

 感心したようにつぶやき、女はスーリヤを見た。

 灰緑色の瞳が、鋭い光を帯び、手をさしのべてスーリヤの頬に触れる。

「顔をよく見せろ。この地域の民ではないな」

「待て! 妹に手を出すな!」

 キールが飛び出し、ジークリートもスーリヤをかばって身構える。

 怖れ気もなく、臆する様子もない三人の子供の顔を、女はしげしげと見つめ、笑みを浮かべた。

「お前たち、名は何という」

 キールもスーリヤも、ジークリートも、黙って女をにらむだけで、答えない。

 小麦色の肌をした長身の女は、楽しげに声を上げて笑った。

「私の名は、エニシアだ」

 剣をたずさえ、髪を隠し、男のような服に身を包んでいるのに。女が微笑みを浮かべると香気が匂い立つようだった。

 妹とも母とも違う『女』をそこに感じて、キールは一瞬たじろぐ。


 ふいに、森じゅうでワアァ、と叫び声が上がった。

 数十、百人もの、ときの声だ。

 どよめきが、森全体を包み込み、揺るがしていた。


「始まった。もう、おまえたちが逃げられる可能性はない。気のすむようにするといい。子どもは殺さず捕らえることに決まっている。奴隷になるからな」

 それから、声を落して、再び、囁く。

「私の名を憶えておけ、エニシアだ。捕まったら、呼ぶがいい。女の子だけは酷い目に合わさぬようにしてやる」

 エニシアは三人をかたわらの丈の低い茂みに押しこんだ。

 三人が身を隠した時、男の声が聞こえた。

 エニシアに呼びかけ、彼女も応える。

 漏れ聞こえてきた言葉は先ほどエニシアとかわした、キールたちと同じ言葉ではない。

 ジークリートが、他のふたりにも理解できるように言葉を翻訳して言った。

「グーリア語だ。あとからきたのは伝令だ。彼女は命令を受けてここに来た。逃亡奴隷へのみせしめのために、村を焼き払うと」

 三人はその場を離れ、道のない森の中、下生えの間を、けんめいに走る。

 しかし。

「やっぱりだめ!あたしはもう逃げない。なんにも、力になんかなれなくても」

 スーリヤは足を止め、くるりと踵を返して、村へと駆け戻る。

「待てスーリヤ!」

 大声で叫ぶわけにはいかなかった。キールとジークリートもスーリヤを追った。


          *


『村を完全包囲し火を放ちました。この作戦を嫌って居られるでしょうが、司令官は立ち会っていただかなくてはなりません』

 エニシアの足もとにひざまづく。

 名前をヤナという彼は腹心の部下、グーリア辺境の南方の部族の出身で、遠眼の才をかわれて奴隷から格上げされた兵士だ。褐色の肌に、白目の大きな、黒い瞳が目立つ。

『これまで、無益に民を殺さぬようにしてきたものを』

 司令官である彼女はいたって不機嫌そうだ。


『はい、しかし、今回は相次ぐ逃亡奴隷たちへの見せしめとあって、この谷にはせん滅の指令が下っております』


『グーリア王の命令は絶対。このたびの遠征、私の配下の者はほとんどいない。どこで軍に雇われたのか、あやしげな兵士たちばかりだ。ヤナ、信頼できるのはおまえだけだ。先に行って子供を殺すなと伝えろ。私の軍に、それだけは許さぬ』

 一礼をしてヤナが立ち去る。一人になったエニシアは、気乗りのしないふうに歩きだす。キールたちに見せたいきいきとした表情とは、別人のようだった。


          *


 谷の村は燃えていた。木造の家々が炎をあげている。

「おばさんたちは…!」

 必死になってスーリヤは泊めてもらった家にむかった。

 その姿を、グーリア兵が見つけ襲いかかってきた。

「行け! おれもすぐに行く」

 キールは妹をジークリートに託し、兵士に向かっていく。

 グーリア兵は殺戮の血に酔っていた。

 相手が反撃してこようとは思ってもいなかっただろう。

 だがキールは武器も持たぬ未開の民ではない。《牙》を研ぎすませた狩人なのだ。

 兵が槍を突き出す。獣の角でできた灰色の槍は血にまみれていた。

 キールはその穂先をかわし、敵のふところ深くとびこんで《牙》をふるう。

 必死だった。

 敵の甲冑が割れて血しぶきが降り注いだ。

 周囲がふいにざわついたと思うと、兵たちが後退し、その後ろから、一人の人物が姿をあらわした。

 その人物は暗緑色の服を身にまとっていた。若い女だった。『草原の王』と呼ばれる足の速い大型の肉食獣、大牙タイガのように、危険で、そして優雅な。

 灰緑色の瞳が、キールを鋭く射る。

 つい先ほど出会い、話をしたばかりの、エニシアに間違いなかった。

「おれは……あんたとは、戦いたくない」

「おまえの意志は関係ない」

 エニシアは細身の剣を抜いて構える。

 剣が身体の一部ででもあるかのように、なめらかな動作だった。

 しかたなくキールも《牙》を構える。

 最初は彼女も決して望んで戦っているのではないように見えた。それが、何度か刃を交わすうちに、エニシアの瞳は草原の新緑のように明るく精彩を帯びて輝いてきた。

 彼女の剣は、獣が獲物を狙う姿を思わせた。鋭い切っ先が、容赦なく目、喉、頚動脈、心臓といった急所を正確に突いてくる。

 キールは《牙》でエニシアの剣を受けてはじき、返す勢いで切り込んだ。彼女はキールの動きを見切り、身軽にかわした。

「どうした、つまらぬな、この程度か?」

 緑の瞳の獣が吠えた。

 耳元を剣先が鋭いうなりをあげてかすめた。

 かわしたと思ったが頬の皮が切れていた。そこから血がつたうと同時にエニシアの頭髪を包んでいた布がはらりと切れて落ち、深紅の豊かな髪が、炎の急流のように彼女の肩に降りかかった。


           *


 スーリヤは谷間の村の中を歩いていた。

 いつの間にかジークリートとはぐれてしまった。

 炎に包まれ、焼け焦げ切り裂かれた惨たらしい死体が散乱する村のありさまは、ほんの数日前にスーリヤの村が襲われた時の悪夢の再現、そのものだった。

 ふいに、たけだけしい叫び声が耳を打つ。

 グーリア兵たちが少女を見つけたのだ。

 騎龍を駆って迫ってくる。スーリヤは身をひるがえして走った。

 だが、騎龍相手だ。いくらもしないうちに追いつかれて捕らえられ、地面に引き倒された。

 別の兵士は火のついた木材を手に近づく。

 グーリア兵の顔、ひびわれた灰色の硬い皮膚を、スーリヤはひっかいた。爪跡さえ立ちはしないと知っていて。

 兵士の腕が笑いながら少女の首を締めた。


 しばらくもがいていた、スーリヤの身体から、ふいに力が抜けた。


『ぎゃあ!』

 突然、グーリア兵が恐怖の声をあげた。

 いつの間にか少女のまわりに精霊火スーリーファが数限りなく集まって、兵士の甲冑にまとわりついていたのだ。

 青白い燐光が兵士を押し包んだ。

 絶叫があがり、すぐにとぎれた。

 口から泡が吹き出し、甲冑の継ぎ目から白煙と煮えたぎった汁がじゅうじゅうとこぼれる。

 組み敷かれていた少女は、何事もなかったかのようにゆっくりと身体を起こした。

 精霊火スーリーファが少女を包み、静かに燃え上がる。

 髪の色は青みを帯びた銀色に変わっていた。

「わたしには、わからない……なぜ、おまえたち人間の中には他の個体を傷つけ、痛めつけ、死に至らしめることで快感を得る者がいるのか」

 もだえ苦しむ兵士を、淡い水精石アクアラ色の瞳で、興味深そうに見つめる。

「やはり、わからない。こんなことが楽しいのか?」


 火のついた木材を少女に押しつけようとしていた兵士も、今や全身を炎に包まれて、苦悶にのたうっている。


「お前達は、この個体を痛めつけるつもりだったのだろう。ならば同じ目にあっても文句はなかろう。グーリア人の皮膚は硬い。体内から燃やしてみたが、どうだ? 楽しいだろう?」

 首をかしげ、無邪気に笑った。


 肉を焼く臭い。焦げる音。

 グーリア兵がみずからの肌をかきむしり、転げ回って悶絶し、やがて動かなくなる。ぴくぴくと全身が痙攣を続ける。

 少女は黙ってそれを観察していたが、やがて、兵士の身体が痙攣もしなくなり完全に動かなくなると、不機嫌そうな表情になる。

「……おもしろくもないな。なぜこんなことを好むのだろう……ヒトというものは、理解し難い」

 しだいに髪の色が、灰色をおびた茶色へと変化していく。

 精霊火はふわふわと風に流されていった。

 少女はアクアラ色の瞳を閉じた。

 次に目を開いたときには、もとの茶色に戻っていた。


「あたし……どうしたのかな……ナンナ……どこ? にいさん……」

 スーリヤは頭をてのひらで軽くたたき、ぼんやりと立ち上がった。

 炎が少女の腕をはいのぼり、全身を包んだ。

 燃える木片。転がる兵士の死体。

 それをかえりみることもなくスーリヤは歩き出す。

「燃えて」

 虚ろにつぶやく。

「何もかも焼きつくして!」

 すると黒い炎が少女の腕や肩に巻き付くようにあらわれ燃え上がっていく。まがまがしさを感じる炎だ。

「いけない! スーリヤ」

 だれかの声がした。虚ろな表情で、スーリヤは振り向く。

《セレス!》

 清冽な水流のように澄んだ声がひびいた瞬間、空気が変わった。

 まがまがしい気が嘘のように吹き飛び、黒い炎が消えた。

 全ての汚れを祓うかの如く、銀色の髪をした少年が立っていた。

『おまえはなにものだ』

 スーリヤの髪が再び銀色に染まり、見知らぬものへ向けるように、ジークリートを眺めた。

『ほう。幼子よ、精霊巫術者の血筋か。だとすれば我に縁なき者でもないか……』

 面白がっている口調と、冷淡なまなざし。

 むしろ冷たいというよりも無関係な、観察をする者の目だ。

「きみはスーリヤじゃない。誰なんだ?」

 キールがいれば、さぞ混乱するだろうなと思いながらジークリートはその少女に問いかける。

 少女は答える。

『わたしは、スゥエ。たぶん、それが一番ふさわしい…』

 まるで歳を経た者のような、気怠げな物言いだ。 

「きみのような存在を知っている」

 ジークリートは少女の内面まで見通すようなまなざしを向けた。

「自分と内部にいる意識は同時に重なっていると……おれの師匠は言っていた」


            4


 キールは苦戦を強いられていた。

 エニシアを傷つけることなどできない。といって気を抜いて戦えるような甘い相手ではない。一瞬の油断さえ、死に直結する。

 実戦経験の少なさが致命的だった。


 エニシアは容赦なく襲ってくる。

 赤い髪が炎の冠のようだ。

 とりまく兵士たちをちらと見やる。

 灰色の硬い皮膚をしたグーリア人の一隊だ。かれらの乗る赤い腹をした騎龍の姿も見える。

 これは、まずい。

 キールは覚悟した。

 スーリヤをジークリートに託せてよかった。あとは限界まで、戦うだけだ。

 二人が生き延びてくれれば。


 ふいに兵士たちがどよめいた。

 何が起きたのか、そちらに注意を向ける暇は、キールにはない。

 だがそれは、向こうから勝手にやってきた。

《レ・フィア!》

 突然、澄んだ張りのある声が響いた。

 同時に、ごう、とうなりをあげて風が吹いた。

 ふしぎに冷たい風が、おびただしい数の精霊火スーリーファをともなって嵐のように吹き付ける。

「ぎゃあああああ!」

 グーリア兵は精霊火を恐れている。

 落ち着いているのはエニシアと、彼女の従者らしき黒い肌の青年のみだ。

「急にどうしたんだ! おまえたち正気を保て! バカものっ!」

「ダメです、火が! 火が! ぎゃあああ!」

 突然の大量出現によって彼らは部署も任務も何もかも忘れた。

 騎龍兵の一団が逃げ惑うのに巻き込まれる形で、エニシアも押し流されて姿を消した。

 悲鳴があがる。

 手を振り、何かを追い払おうと必死にあばれ、兵士たちが我先に逃げ出し、それを群れなす精霊火がしつように追いかけていく。


 兵士たちが視界から消えて、しばらくしてから、遠くで水音がした。

 何か重い物が水面に落ちていくような音が、何度も繰り返し聞こえた。


 そして兵士たちはすべていなくなった。


 突然吹き付けてきた突風は燃えている家の炎を消し去った。

 柱や壁は炭になっていて、崩れ去り、石造りの土台が残った。


 呆然とするキールの前にあらわれたのはジークリートとスーリヤだった。

「いったい何がどうなったんだ」


「それはこっちが聞かせてもらいたい」

 騎龍にまたがった赤毛の女戦士、エニシアが、再び姿を現した。

 ずぶ濡れになってはいたが、五体満足な様子だ。

 その傍らには、浅黒い肌の伝令兵がいる。

「部隊は全滅した。どういうわけだか、精霊火に追われた兵たちが、わけのわからんことを口走って、村はずれにある湖に身を投げた。以前に手にかけた者たちの幽霊が追いかけてくると言ってな。だが、わたしにも、この伝令兵のヤナにも、何も見えなかった。軍の上層部め、最初から怪しげな身元の兵をつけてよこしたと思っていたが」

「精霊火は幻視を見せることがある」

 ジークリートが言う。

「ただ、もともとその人間の中にないものは幻であってもあらわれない。あなたの配下の兵がなんだったのかは知らないが、相当な行いをしてきたのだろう」

「そうでしょうね」

 ヤナがぽつりとつぶやいたが、うっかり口を滑らせた、というふぜいで、身をひく。

「やつらめ身投げするのは勝手だが、わたしまで道連れにしようとしおった。この騎龍のおかげで逃れられた」

 いまいましげに赤毛の女戦士は頭を振った。

 水滴が飛び散る。

「公式には、部隊は全滅、わたしは戦死したことになるだろう。おかげでようやく自由の身になれる。礼を言うぞ。あらためて言おう、わたしの名は、チャスカ・アワスカ」

「さっきは違う名前を?」

 キールが不審がると、

「わたしはエニシアではない。あれはグーリア王によって賜った名、本意ではなかった。もう要らぬのだ」

 グーリア王、と聞いた瞬間だけ、ジークリートの顔に、動揺が浮かんだ。

 チャスカと名乗った彼女の瞳がいたずらっぽく輝き、キールに向き直る。

 キールはたじろいだ。

 チャスカの暗緑色の服の胸元がはだけて、肌がのぞいていたから。

 胸の上に、朱の色でくっきりと何かが描かれているのが、目に焼き付く。それは炎のような紋様でぐるりとまわりをふちどった円形のしるしだった。

 キールの目線を、胸に描かれた紋章のせいと思って、チャスカは笑う。

「わたしの守護神の印だ。グーリアの魔導士が消そうとしたができなかった。この紋章のある限り、わたしは精霊との交流を絶たれはしない。……もっとも、その銀髪の少年には、こんなものは必要ないようだ。こんな若い精霊巫術師は、初めて見た」

 ジークリートのことだ。

「元気でな。いずれまた、どこかで会えるだろう」

 チャスカは地面から顔をのぞかせている一つの岩に乗る。

 指先くらいの小さな木の実を懐から取り出した。

 茶色の殻を割り、指で果肉を潰す。

 したたり落ちる朱色の汁。それで、胸の紋章の中央に文字のようなものを描き入れる。

 すると、紋章全体が白い光を放ち始めた。


「ああそうだ、キール、おまえ、死んだ亭主にちょっと似てたぞ。雰囲気がな。まあ、まだ若いんだ……がんばれよ」

 チャスカはキールに言い残し、空を見上げた。

「太陽神アズナワク……紋章の契約によりてこの身に降り、地に輝きを満たし給え」

 その刹那。

 空から、チャスカの身体へ向けて一筋の光が走った。

 紋章はいよいよまばゆく輝き、彼女の全身から蒸気が立ちのぼった。


 一瞬にして髪が乾き、炎のように逆立っていく。

 と、森の中からも、チャスカの光に呼応するごとく、幾つもの光が天に向かって伸びていった。


 彼女の立っているのは水晶を含む鉱脈が地上に顔をのぞかせた岩。

 森の中の輝きは鉱脈を通じて光が再び地上に出てきたものだ。


 立ちつくしていたキールたちは、どこからか声がするのに気づいた。

 炭化していた家が崩れ落ち、残っていた土台の石積みに出口が開いて、中から人々が出てきた。老人と幼い子供ばかりだった。

 かれらはチャスカのまわりに、引きよせられるように集まってきた。

 人々はすすり泣いていた。

 チャスカは毅然として立ち、太陽神アズナワクが決して罪人を許さないと言われるように、厳しいまなざしを村人に向けた。

「太陽の巫女王さま!」

 村人の中から一人の女が進みでた。

 キールたちを泊めてくれたあの老婦人だった。

「我ら愚かな民を、あなたさまを裏切りましたことを、お許しくだされませ。いいえ、わたしたちはともかく、この孫たちを……どうか、お慈悲を」

 チャスカは老婦人を見た。その唇に浮かんだ微笑みは、悲しげだった。

「グーリアの支配には、つくづく懲りたと見える」

 彼女は岩の上から降りてきた。

 胸の紋章の光は弱まったが、変わらず光を放っている。

「自分の魂を救うために戦う勇気があるなら、わたしと来るがいい」

 赤の巫女王チャスカは、静かに微笑んだ。それはこの世の母なる真月の女神のように、厳しくも優しい微笑みだった。


           *


 森の中をキールたちは歩いていた。

 キールは頭をかきむしり、今日の自分の行動をかえりみて、冷や汗を流した。


 結局またジークリートに助けられてしまった。情けない。

 ひしひしと危機感がキールの胸に迫ってくる。

「ジギー!」

 呼ぶと、ジークリートは何も言わず肩越しに振り向いた。

「グーリア人の言葉を教えてくれ! おれも、やつらのことを知りたい!」


 ジークリートの瞳に、何かが動いた。


「聞きたければいつでも教える。だが、もう一度、聞いておく。本当に、このままおれと、いていいのか」

「もちろんだ」

「決まってるわ」

 うなずくキールとスーリヤに、なおも重ねて言う。

「グーリア王を倒しにいくということは、危険きわまるし、命の保証もできないんだ。……このまま、別れたほうが……さっきの村にもどって巫女王の庇護を求めたほうが、平穏無事に暮らせる」

「そんなの望んでない」

 そう言ったのはスーリヤだ。

「生き延びられる、ということだけでは、生きていることにはならないの。死んでいった人たちのぶんまでなんて言わない。あたしは、そうしないといられないの」

「わかった。全力で、きみを守る。今度こそは……」

 銀色の髪の少年は言って、背を向けた。

 それから声を落として呟く。

「約束のスゥエも、それで納得してくれそうだ」


「えーと……おれの意見は聞かないのか? おーい」

 キールが呼びかけると、ジークリートは振り向きもせずに答えた。


「おまえは、どうなったって来ると最初に言ってたじゃないか」




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