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1章 後半 銀色の少年(改)

          *


「着いたぞ。あれが《ベレーザ》の根城にしている国境の街だ」

 まばゆい日差しをさえぎるように手をかざして、コマラパが言った。

 五日間、追い続けたすえにたどり着いた、国境の黒い森と街の壁が、間近に迫る。

 まじない師にして狩人の長、コマラパは今や村長の役目も兼ねている。

 しわの寄った頭はきれいにはげ上がり、枯木のように乾ききった小柄な老人だ。眼光の鋭さ、しなびた身体から発する気迫は、他の者を圧倒して余りあるほどだ。

「村の者たちを取り返すぞ!」

 コマラパの言葉に皆がうなずく。手に手に弓矢と山刀を携えている。

 キールが背負っているのは、父親の形見、《スアール》だ。

 長さは八十センチ程の、ゆるやかな反りを持った、鉄製の片刃の剣。

 キールは父から狩人としての訓練のほかに、クーナ族にはない、この剣での戦い方も教えられて育った。

 コマラパが皆を見渡して言う。

「しかし、いかにお前たちが強者でも、この手勢で今、正面から攻め込んでは、勝てぬ。グーリア人は夜、動くのを嫌う。夜にまぎれて街に入り込むのが良かろう」

 夜と聞いてキールは空を仰ぎ、目を細めた。

 青白く若き太陽神アズナワクは、天空の頂きから動こうとしないように思えた。

「時を待て。そして一気に攻め入る!」


          *


 夜空に小さな赤い月が昇る。

 漆黒の空に張り付く不吉な赤い片目。《魔眼まがん》と呼ばれる月だった。

 古くから《魔眼》のもとで魔物たちが力を得ると言い伝えられている。

 キールは《魔眼》をにらむ。

 暗く濁った、かたまりかけた血の珠のようだ。

 この月の光には、闇を払う程の明るさもないのだ。数時間後に昇ってくるもう一つの月、《真月まなづき》の明るく白い輝きとは、まったく違う。

 だが今に限っては、暗い方が都合が良かった。

 街を囲む壁に、コマラパが綱を投げかける。

 綱の先端に取り付けられた金具が、大人の身長の三倍はあろうかという高い壁のてっぺんにかかり、しっかりと食い込む。

 最初にキールが、次いでタヤサルが、アラワクが、するすると壁を昇っていく。

 十分後には、全員が壁の内側に降り立っていた。


 夜の街は静まりかえっていた。

 さほど大きな街ではない。

 市場と商人の宿が半分を占め、残りの半分に《ベレーザ》が大きな天幕を幾つも張って住んでいた。


 狩人たちは壁の内側に沿って走った。


 突然、行く手に立ちふさがったものがある。


 灯火の下に立っていた、その足もとには影が無かった。

 闇と同じ色をした人影だ。

 キールは無言で飛び出した。

 背負った《牙》を抜き放つ。鋼の刃が灯火を照り返して、薄闇に光の弧を描く。

 ガシン! 振り降ろした《牙》に、硬いものがぶつかった。

 目の前に顔があった。

 黒衣に包まれた青白い老人の顔だ。

 その右目のあるべき場所には、にぶい光を宿した半透明の石がはめこまれていた。

 黒衣の老人が顔を歪めて笑う。

 寒気がした。

 本能が危険を告げる。

 キールは身を屈めながら、老人の腹に蹴りを入れた。

 手応えがない。

 黒衣だけが、蹴りを受けて中身がないかのようにパサリと揺れた。

シエンテ

 黒衣の老人が唱えた呪文が、そのまま弾丸となって顔面に飛んでくる。

 身をよじって避けると、それはキールの腕をかすめて背後の地面に落ち、敷石を煮えたぎる泥に変えた。

 かすった腕が、やけるように痛む。

 コマラパが両の手を組み聖言を唱える。手の平にまばゆい光が集まっていく。

 黒衣の老人の蒼く血の気のない顔に、冷笑が浮かぶ。

 ぺっ、と唾を吐き捨てる。

 唾の落ちた地面から黒い塊が現れ、みるみる見上げるように高くもりあがっていく。

 黒い塊の中に二つの赤い目が開いた。そこに、闇よりも黒い巨大な獣が現れた。

「天地の大神イツァに願い奉る、天の火を以って暗き神威を退けん!」

 コマラパの聖言が響く。

 空に雲が集い、稲妻が走る。

 天と地を結ぶ火の柱だ。

 黒衣の老人が闇の塊を投げる。それは瞬時に膨れ上がり、稲妻を呑んで消えた。

『蛮人のまじないなど通用せぬ!』

 吐き捨てた言葉は、キールの知らないものだったが、すさまじい敵意だけは、はっきりとわかった。《牙》を握り直し、キールは飛び出す。

 巨大な闇の獣が迫ってくる。

「いかん! とまれ、キール!!」

 コマラパが叫ぶ。

 その声は、今やキールの耳には届かない。

 はげしい憎悪が身体をつき動かし、うなり声を上げ、キールは《牙》を振りおろす。

 黒い怪物はその刃をひらりとかわし、巨体をうねらせ目の前の獲物に襲いかかった。

 鋼鉄の爪がキールの肩を引き裂く。

「逃げろ! キール!」

 クイブロが、タヤサルが、アラワクが、我を忘れて駆け出した瞬間、

《サング!》

 よくとおる澄んだ声がよどみを切り裂いて、響いた。

 ドン!! 大気が振動する。

 見知らぬ声は、さらに言葉を唱えた。

《ク・セウ・ノパ・グルオンシュカ……》

 肩を血で染めたキールが、何が起こったのかわからないように、目をしばたかせる。

 キールを狙った怪物の牙が、目前にある。

 だがそいつは動かなかった。

 いや、動けなかったのだ。

 澄んだ声の唱える呪文が、怪物を完全におさえつけていた。

「あれは?」キールは目を凝らす。

 広場に立つ低い塔の上に、輝くような銀の髪の、きゃしゃな人物がいた。声の主だ。

 その人影は、ゆっくりと右手を上げた。

 指先から、しだいに金色の炎が燃え上がり、ゆらぎはじめた。

「グウルルル……」

 怪物は苦しげに、低くうめいた。金色の炎が大きく燃え上がる。

《バース……》

 炎につつまれた人物が、静かに唱える。

《レ・ヴン!》

 短い呪文が放たれたのと同時に炎の塊が爆発し、再び大きな光の矢に形を変え、一直線に飛んだ。確実に、キールを襲った怪物を狙って。

 光の矢が怪物をのみこんで、一瞬のうちに大きくふくれあがる。

『お…おまえ……おまえは!』

 黒衣の老人の悲鳴にも似た叫びは、押し寄せる熱風と光芒の中に消えていった。

 地面も、巨大な天幕も石積みの家も壁も、何もかも消し飛んだ。

 あとには巨大な穴が残っているだけだ。

 穴のふちに、一人の小柄な人物が立っていた。

 銀色の髪をしている。暗い《魔眼》の月の光しかないというのに、自ら光り輝いているような銀髪は、神秘的でさえあった。

 その人物が、キールを見た。

 何という冷ややかな瞳か。

 誰も、何も信じてはいないかのように。

 そしてその時キールはようやく、その人物が、自分よりも年下の少年らしいことに、気づいたのだった。

 キールを見る少年の顔には何の感情も動かず、少年は背をむけて、歩きだした。


          *


 ごうごうと燃え盛る炎が空を焦がす。燃えているのは、《ベレーザ》の天幕だ。

 火の勢いはいっこうに弱まる気配もない。

 炎に包まれた天幕の前に華奢な人影が立っている。

 年の頃は十三、四の少年だった。炎に映える銀色の髪と、燃えさかる炎よりも赤い瞳をしていた。

 りん、とした声を響かせた。

《戻れ、グルオンシュカ……火炎の精霊よ》

 その右手に、ぼーっ、と金色の炎が燃えついた。

 白い指先から肩へ炎が広がる。少年は熱さを全く感じていないようだ。一瞬、炎がひときわ高く燃え上がる。それはほんの刹那、空中に美しい女性の姿を描き出した。

 少年が、静かに、呪文のような言葉を唱え始める。それにつれて、身体全体を包み込むように光が集まっていく。

 炎をまとった右手を前に突き出し、少年は一語、一語ゆっくりと言葉を発する。

 身体を包む光と、炎が、手の先に集まっていき、手のひらで、輝く光球となる。

 最後の、鋭く短い言葉が終わる。その瞬間、少年の右手から光球が放たれ、爆発したように見えた。


 そして、街は消えた。


《ベレーザ》の根城だった国境の街グレイムは、奴隷狩り部隊ごと、消し飛んでしまったのだ。

 狩り集められた人々が捕われている一画だけが残っていた。

 街のあとにうがたれた深い穴。その傍らに佇む少年の姿を、キールは見た。

 少年の右手に、再び炎がともった。


 キールはこの少年が笑うのを初めて見た。

 炎を宿した指先を口元にあて、左手で宙に複雑な紋様を描いた。少年の、澄んだ美しい声が静かに呪文を唱える。炎が消えた。

 何か神聖な儀式を見たような気が、キールにはした。

 ふいに辺りが明るくなった。

 空に、こうこうと白く輝く《真月まなづき》が昇ってきたのだった。


          *


 檻から助け出された人々は、キールたちの問いに、そばに掘ってある大きな穴をさして答えた。

「みんなそこにいる。生きていてもそうでなくても」

 それは奴隷が死んだときにとりあえず投げ入れておく穴だという。

 クーナ族の狩人たちは穴におりていき、探していた者たちの姿を見いだした。

 タヤサルの妻マチェと幼い息子タルウィをはじめ、ほとんど全員が負傷していた。軽傷の者もいたが、重い怪我を負った者、そして死体となった者も少なくなかった。

 ナンナは死んでいた。

 胸を槍で刺されて、おびただしい血を流して。

 そのナンナの下に、まるで彼女が隠そうとしていたかのように、スーリヤがいた。

「スーリヤ!」

 キールの呼びかけに反応はなく、スーリヤの目は、ぼんやりとして虚ろだった。

 差し出した手に、スーリヤは無表情のまま、自分の手のひらを重ねた。

 手のひらがひやりとして、キールはぎくっとする。

 妹の目は、水底をのぞき込んだような光をたたえていて、髪の色は真月の光を受けて淡い銀色に見えた。

 北の森で出会った、精霊火に包まれていた少女を思い出す。青みを帯びた銀色の長い髪と、水精石アクアラ色の目をしていた、精霊。

 しばらくしてようやく、氷がゆるゆると溶け出すように、スーリヤの表情が動いた。

「…にいさん?」

 疑うように首をわずかに傾げる。

 スーリヤの目が、キールを見つめ返した。

 髪の色と同じ、亜麻色。灰色をおびた茶色だ。

「ほんとに、にいさん?」

 信じられない、とスーリヤはつぶやいた。

「ああ、おれだ。助けにきた。みんなで帰るんだ。怖かったろ」

「うん。……信じてた。ナンナも言ってたの。兄さんたちは、きっと、来てくれるって」

 かすれた小さな声で言った。

「でも…、ナンナが…」

 スーリヤの声がとぎれた。

 涙さえ流せず、肩が震えている。

「わかってる。言わなくていい」

「ナンナは、あたしを庇ったの……槍で刺されて死ぬのは、ほんとはあたしだったのに」 

 キールには、その意味などわからない。ただただ、スーリヤの言葉をすべて受け入れ、聞きつづけた。


          ※


 さまざまな地域から狩られてきた、広場にいる人々の中でも、銀色の髪に深紅の瞳の美しい少年の姿はきわだっていた。

「ありがとう」

 キールの差し出した手を、少年はけげんそうに見る。

「おれはキール。生命を助けてもらった礼を言いたい」

 少年は無言でキールの手を払いのけた。

 冷たい目だった。

 その奥に暗い炎を宿しているような、深い赤色の瞳だ。

 少年とキールの間には、目に見えない壁があるかのようだ。

「礼を言われるすじあいはない」

 少年が口を開いた。

 それはとてもきれいな発音で、何のなまりもクセもなかったが、それがかえって、少年にとっては異国の言葉を口にしたのだ、と思わせた。

「あんたは、おれの生命の恩人だ」

 キールの口調には、畏怖の念がこもっている。

 銀色の少年は、うっとおしそうに、視線を外す。

「助けたわけじゃない。邪魔な物を取り除いただけだ」

「邪魔って、あんたは何でここへ?」

 少年は意外な事に、困ったような表情をした。

「……知り合いに似た人間が、捕らわれていたからだ」

 色の白いほほに、微かな赤みが差したと見えたのは、気のせいだろうか。


「にいさん!」

 スーリヤが駆けてくる。

 傍らを見ると、銀色の髪をした少年が、茫然としてスーリヤを見つめていた。

「…………」声を出せずに、唇が動いた。《……かあさん》深い深紅の瞳を大きく見ひらいたまま、少年はぽつりとつぶやいた。

「え? 今、なんて?」

 銀色の髪と赤い瞳の、この少年は、スーリヤを見て、独り言のように何事かつぶやいたのだ。

 キールにはわからない言葉だった。

 だが少年は応えない。じっと、スーリヤを見つめている。

 キールは困惑したが、スーリヤを手招きすると、ちょっと胸を張って、言う。

「おれの妹のスーリヤだ」

「にいさん、このひとは?」

「この人は、みんなを助けるのを手伝ってくれたんだ」

 まだ少年の名前を聞いていなかったので、キールがそれだけを告げる。

 スーリヤは進み出ると少年の手を取り、彼の目を見つめて言った。

「助けてくれてありがとう。命の恩人だわ」

 先程、キールが手を差し出した時には、少年は冷たく振り払ったのだ。が、今度は、少し違った。

 少年の顔が、赤くなった。

 何と言っていいのかわからない、というように、真っ赤になってうつむく。

 キールは急に、こんな非常事態だというのに、なんだかおかしくなった。少年に対して親しみを感じたのだ。

 少年の様子が先ほどまでとはまるで別人のようだったからだ。

 黄金の炎を身にまとい、街さえも爆炎に消し飛ばせる、そんな少年が、スーリヤを見て赤くなっているなんて……?

「知り合いに似てる、ってのは、もしかして、おれの妹のことか?」

 少年は何も答えない。

 無表情の仮面の下に、どんな思いを隠しているのか。

 キールはそれが知りたいと思った。初めて人間らしい面をかいま見せた、この少年のことを…。


「おい、キール!」

 タヤサルの呼ぶ声がした。

「村へ帰るぞ! おまえも早く来い」

 キールはタヤサルに手を振り、「おお」と答えた。

 待ちかねていたことだ。だが……。

 ふと振り返る。銀髪の少年は独りたたずんでいる。

「これからあんたはどうする?」

 一緒に来ないかと、のどもとまで出かかった言葉を、呑みこむ。

 こいつはおれたちとは来ない。きっと来はしない。なぜか、確信めいたものがある。

 少年は、何ものにもとらわれずに独り、そこにたたずむ。

 涼やかな顔だった。

 けれどなぜか、それがひどく痛ましいものに思えて、キールは少年から目を離すことができずにいた。

「おれはこれから、おれの村を襲ったやつを倒しに行く」

 少年は静かに言った。

「あんたの村を襲ったのは、ここのヤツらじゃなかったのか?」

「ここの奴らのような者は、幾らでもいる。奴隷を売買する市場も。こんな街をいくら潰してもきりがない」

 キールは言葉を失った。《ベレーザ》のようなヤツらが、いくらでもいるというのだ。

「だから、奴らのおおもとを叩きに行く」

 少年がさらりと言う。

 何ということもない事を、口にしているようだった。

 村の仲間の呼びかけにも、キールは振り向かなかった。銀色の髪をした少年の深紅の瞳が、じっとキールを見つめ、その背中に負っている剣を、ふと目にとめる。

「その剣は?」

 問われて、キールは背中から剣をおろして、見せた。

「死んだ親父が残してくれた。《スアール》という」

 父はどんな猛獣にも傷を負わせられたことのない狩人だった。

 剣での戦い方をたたき込もうと厳しく教えていた、その父が、怪我がもとで高熱に苦しむ死の床でキールを呼び、《牙》を手渡したのだった。


 少年は、鋼の剣を捧げ持つ。

 抜いてもいいかと目で問う。キールはうなずく。

 ゆるやかに反った片刃の刀身が、わずかに引き出され、真月の白い光を照り返して輝いた。飾り気は無いが率直な性質を持った剣だった。

「いい、剣だな」

 心にしみいるような笑みをたたえて、少年はキールに《牙》をかえした。

 狩人が命よりも大切にしている武器を相手に預けることの意味を、その重さを、充分にわかっている笑みだ。

「妹さんを大事にしろよ」

 おとなびた口調で言って、少年は目を伏せる。


 一瞬、胸を突かれて、言うべき言葉も思い浮かばぬまま、キールが口を開きかけた時、少年は顔を上げた。

 陰のある微笑みは、ぬぐい去られたように消え、りんとして立っていた。

「それじゃあ」笑って、別れを告げた少年は、スーリヤに対しては、柔らかな笑みを浮かべて、「元気で」そう言って、背を向けた。

「待って!」

 スーリヤが、少年の前に回り込む。

「一緒に来て。あたしたちの村は豊かじゃないけど…みんなとってもいい人なの」

 スーリヤは少年の決意を知らずに引き止めようとしているのではない。

 ただ、今、別れてはいけない、そんな気がして…。

 キールは言葉をかけることができず、困ったように立ちつくす。

 銀色の髪の少年の、硬い表情が、ふっ、ととける。が… 何も、言わない。

 静かに微笑んで、少年は首を横に振る。

 遠ざかる少年の後ろ姿に呼びかけようとして、スーリヤはふと、少年の名前も知らなかったことに気づく。

「あなたの名前を教えて…!」

 少年が足を止め、振り返らず、片手だけ、少し上げた。「ジークリート」と聞こえた。

 それが、名前らしかった。

 少年はそのまま、再び歩きだした。


「にいさん……」

 スーリヤは少年を見送り、ぽつりと言った。

「あの人、ひとりぼっちなのね」

 スーリヤの顔が曇る。


 振り切るように、キールは村の人々の方に歩きだす。

 かれの戻っていくべき所が、そこにある。仲間が待っている。

 ……でも。

 あいつの後ろ姿は淋しそうだった。だけどそんなのおれの思い込み、ひとりよがりかもしれない。あいつはそんな弱いヤツなんかじゃない。

 《牙》を手にして、『いい剣だな』と言った、少年の顔が浮かぶ。おれはいったい何を迷ってる。キールは自らに問う。


『この《牙》を取れ』

 高熱に苦しみ、生死の境をさまよっていた。いつ息が止まってもおかしくなかった。その父が、ふいに目を開けて、はっきりと言ったのだ。病床にあっても常に肌身離さずにいた《牙》を、キールに渡して。

『これからはお前が家族を守るんだ。キール、立派な狩人になれ』

 父の最後の言葉。


 自分は立派な狩人だろうか。胸を張って父の前に立てるのか。

 前方に村の仲間たちが見えた。コマラパやタヤサルが、平原に棲む小型の野生馬、野馬を引いてくる。助け出した人々を乗せるために捕らえてきたものだった。

「よし!」

 キールはひと声叫び、駆け出した。

「にいさん?」

 スーリヤの声に振り返り、そしてまた、キールは走り出す。

「おれ……!」

 思い詰めた顔でコマラパやタヤサル、クイブロのところに駆けてきたキールは、息を切らせてそれだけ言うと、うつむいて大きく息をついた。その間に考えをまとめようとするかのように。

 地面をにらみ、キールは誰に言うでもなく、噛みしめるようにつぶやく。

「……おれの、目的は、まだ終っちゃいない」

 キールが顔を上げる。

 息は静まっている。

 再び、今度ははっきりと、言い放つ。

「おれの目的はまだ終っちゃいないんだ」

 あたりが静かになった。誰一人、咳払いさえするものはない。

「目的、か」

 沈黙を破ったのはコマラパだった。

 老人の鋭い目が、村で最も若い狩人、キールを見やり、しわだらけの口もとに、笑みを浮かべた。面白がっているように見える。

「で、おまえさんは、何を、やり残したと言うのかな」

 ああ、コマラパは話を聞いてくれるのだ。

「おれ、ヤツらに殺された人たちの仇をまだとってない」

 ふいにナンナの顔が浮かんできて、胸が詰まる。

 最後に見たのはいつだった?

 狩りに出かける朝。

 村の女たちが河で集まって笑いさざめきながら洗濯したり苦イモをすり下ろしてあく抜きをするために籠に入れて流れに浸していた。

 気をつけて行ってきて。

 そう、ナンナが声をかけた。なのにキールは、うん行ってくると短く答えただけで出かけたのだ。


 もっと話しておけばよかった。

 後悔ばかりが突き刺さる。


「そりゃ赤いトカゲ《ベレーザ》ってのはいなくなったけど、でも、おれは、まだなんも終ってねえような気がするんだ」

 腕組みをして老まじない師が応える。

「奴隷狩り商人も市場も無くなりはせん。必要とする者がある限りはの。だが、それを変えるには……わしらでは力不足じゃ。お前の言う通りなんじゃがのう」

 キールはがく然とし、すぐにはたと気づいた。

 コマラパの補佐を務めているタヤサルは、かつて奴隷として捕らわれていたことがあるのだ。キールの言ったようなことなど、狩人たちはとうに知っていたはずだった!

「……この、くそじじい」

 キールが歯がみするのを見て、コマラパはにやっと笑った。人が悪い。

「わしらは村に戻り、今一度、村を立て直すが……キール、お前はどうしたい?」

 そのとき、キールの心の中に浮かび上がってきたのは、銀色の髪に、深い赤の瞳をした少年の姿だ。

 凍りつくような冷たい瞳をしてた。そのくせ、スーリヤの前じゃかたなしで真っ赤になってた。たった独りだった。

「…あいつは」

 言葉に尽くせぬ思いがほろりとキールの胸からこぼれ出る。

「あいつはおれの《牙》を、いい剣だなって、言ってた……!」

 もちろん何のことだかコマラパにはわからない。そしてキール自身にも、自分がなぜそう言ったのかわからない。

 わかっているのは、ただ……。

 あの銀色の髪の少年、ジークリートは、何かを知っているような気がするのだ。

 未だうかがい知れない、本当の敵の姿さえ。

「おれ、行くよ」

 キールはふと、何か気恥ずかしくなって、ぽそっと言った。

「うまく言えないけど、おれ、行かなきゃなんねえ」

 何だかここには居られないんだ。

 そう思ったけれど、口にはしなかった。

 狩人仲間のアラワクが、しばらくして、うなずき、しみじみと言った。

「……そうか。おまえも、十五だな」

「そうだな」

 こう答えたのはタヤサルだ。

 他の狩人仲間たちが、キールを囲んだ。

「そのガンコなとこ、親父そっくりだ」

「気のいいやつだったがな」

「あいつは極め付きのガンコ者だった。よくひとりで大物狙って出かけちゃ何日も帰ってこなかったもんだ。」

 かれらは口々にそう言って、キールの肩や背中をぽんと叩いた。しょうがない、と言いながら、みんな笑っていた。

「おまえの思うようにするといい」

 呆れたように、そして少し誇らしそうにコマラパが言った。

「長く生きれば、いろいろと思い残すことがある。わしにもな。そしておまえの父も、そうだったのだ。後悔せぬように、存分にやってくるがいい。だが、必ず、生きて戻れ!」

 キールは黙って、うなずいた。

「行け。おまえは後悔のないように」

 クイブロはただ一言、声をかけ、そして顔を伏せた。


          *


「来たのか」

 銀色の髪をした少年は、ひややかな口調で言ったが、キールは気にしなかった。

 かれが追いついてきたのを見た時の、少年の顔に浮かんだ驚きと、その表情が明るくなったのを、見逃さなかったからだ。

「あんたについてきたんじゃない。おれ自身のためだ。……それに」

 と、背中に負った剣をちらっと見て、

「あんたはこいつをほめてくれたし。ジークリート」

 そう言うと、キールは日に焼けた顔をほころばせた。

「おれのことは、キールって呼んでくれ」

 ジークリートは無言だ。キールをじっと見ていたのだが、この『キールと呼んでくれ』の一言を耳にするや、くるっと背を向けて、とっとと歩き出した。

「おーい」

 キールの呼びかけには、見向きもしない。

「おおい、ジーク……ジギー!」

 駆けよりながらキールが叫ぶ。とたん、ジークリートの足が、ぴたっと止まった。

 追い着いたキールが言う。

「異国の名前は呼びにくい。ジギーって呼んでいいか」

「勝手にするといい」

 ジークリートは怒りを押さえて無愛想に答えた。

「そうか」

 キールは素直にうなずいた。

 その嬉しそうな顔ときたら、ない。

 ジークリートは自分より頭一つ分は高いキールを挑みかかるようににらんで「言っておくが馴れ合いも面倒もごめんだからな」と人差指を突きつける。

 キールは一瞬、きょとんとして、色の白いこの少年を見返していたが、

「わかってるさ」

 笑って、答えた。

 夜明けにはまだ間があった。


 真月の光が、並ぶ二つの影をくっきりと地面に落している。

 銀色の髪と赤い瞳をした少年の、きゃしゃな影。

 そして、日に焼けた肌、茶色の髪と目をした少年の影だった。



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