第7章 その5 世界は人を愛さない
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「チャスカ! わ、笑ってるでしょう! 見てないで止めて!」
白銀の聖女が訴える。
「わたしはまだ、人の恋路の邪魔をするほど野暮ではありませんので」
赤の巫女王はくすくす笑う。
「長い間、離ればなれになっていたのですから、思うぞんぶんに抱き合えばいいではありませんか」
「もう! 覚えてなさい。後で、ひどいわよ」
「わたしのイーリス。きみにそんな言葉づかいは似合わない」
背中から抱きすくめたエステリオは、アイリスの長い金髪に、気持ちよさそうに顔を埋めていた。うっとりと。
「そんなに匂わないで。魔除けのハーブの香りしかしないでしょう?」
「知ってる。きみはいつも『海の滴』しかつけない。わたしの好きな香りだから」
「バカ! そ、そうだけど。なんて恥ずかしいこと言うの! もう離して!」
「やだ」
「子供ですか!?」
エステリオはさらに強くアイリスをかき抱く。
アイリスの方は、落ち着かない様子だ。
牢の外に控えている親衛隊が、いつ自制がきかなくなり檻をたたき壊す勢いで飛び掛かってくるか、気が気でない。
それに、親衛隊の目の輝きが違うのだ。
彼らに『白銀の聖女』が恋する乙女みたいになってしまったところを見せてしまっては、示しがつかない。
もう手遅れかもしれないが。
「もう離して。とうぶん精霊火にはならないから」
「とうぶん? いつかは消えるというのか? だったら離さない」
「だめ…」
同じ牢の檻に閉じ込められているキールとジークリートにとっては、目の毒としかいいようがなかった。
「いつまで続くんだ、これ。おまえの師匠、そうとう……」
「言うなよ。たまってるとか言うな」
ジークリートはものすごく不機嫌だった。
これは真剣な、仇討ちの旅のはずなのだ。
「師匠。そろそろやめてください。おれは自分の師匠だった人が犯罪者になって捕まるのは見たくないですから」
「ん? あれジギーちゃんいたの」
「いたの、じゃねえよ! この、色ボケおやじ!」
腹に据えかねてジークリートが叫べば、灰色の巡礼にしっかりと抱きしめられてもがいていたアイリスが、助けを求めた。
「あなたたち、グーリア王の打倒でも後始末でも、なんでも助けてあげるから。この人をどうにかして!」
「あれ? 恋人だよね?」
「だよな?」
「こういうのは心の準備とかいろいろあるのよ! それに、さっきのは、わたし、生まれて初めてだったのに、ひどい」
「え」
「だから。キスよ。誰ともしたことなかったのに」
その発言には灰色の巡礼も驚いた。
「イーリス? 学院で誰とも親しく付き合ったことはないのか」
「その頃には、わたしがアンティグア家の養女なのは隠れ蓑で本当は愛人なんだとか悪い噂も広まっていたの。近づいて来る学生なんかいなかったわ」
「えっ。じゃあ、ほんとに」
「本当だったら! なのにあんな……乱暴な」
アイリスの白い頬が真っ赤に染まった。
そうかと思えば、急に、唇をかみしめて。
「さっきのは、わたしは巡礼の魔力を利用しただけよ」
急に、高圧的に言い捨てる。
「あのままではこの身体はぜんぶ精霊火になって消えてしまうところだったから。だから、人間の生命力をもらっただけなの。あなたなんか、それだけなんだから!」
そう言うと、腕の中でくるりと向きを変え、エステリオの首に腕を回して、今度は自分からすがりついた。
巡礼の唇に、キスをする。
「これで許してあげる。つぎは、許さないから」
そう言うと、エステリオの胸を、どん、と突き飛ばして、立ち上がる。
まっすぐに檻に向かい、そして、
格子にぶち当たった。
「痛い! うそっ。なんですり抜けられなくなってるの?」
「それが普通なんだよ。イーリス。どれだけ長い間、人間やめてたんだよ……」
「知らないっ!」
※
結局アイリスはチャスカに牢の鍵を開けてもらい、皆を外に出してもらった。
親衛隊に対しては、
「わたしは精霊火でできています。さっきは、身体を保っていられなくなるところでしたから、灰色の巡礼から、魔力を献上させたのです。彼やわたしのような古代の魔法使いには、保有する魔力が多いのです」
「聖女さま」
一人の、ごく真面目そうな、騎士のいでたちをした男が進み出た。
親衛隊の長で、ハーリという。エルレーン公国の貴族だった。
「もしよろしければ今後は我々が、魔力の献上をさせていただきたく存じます」
微かに頬を朱に染めている。
勇気を振り絞って口にしたようだ。
明るい茶色の髪と茶色の目が、期待にキラキラと光っているのを、聖女は、ため息とともに、吐きだした。
「いいえ、それには及びません。わたしをとどめておけるほど魔力を持っているのは、この時代では、あの灰色の巡礼くらいのものです」
「聖女さま! ですが、あのような不審な者をおそばには」
「あなたたちはごく若い故に知らない。今の時代の人間は世界に愛されていません」
聖女は言い捨てた。
「昔、人間が精霊を殺したからです。そのとき、世界は一度は滅びました。まだこの世があるのは、世界が愚かなる人を哀れんだからです」
「世界の慈悲によって我々は生かされている。そのことを忘れれば、再び、終末は来たるでしょう。わたしは精霊の言葉を伝えるもの。それだけの存在です。すでに、人である必要もないのだけれど。グーリアの行く末を見届けることも、使命。それまでは、消えることもかないません」
「聖女さまをお助けできるのは、あの卑しい巡礼なのですか」
「ハーリ。あなたは昔から賢い子でした。そのような呪われた言葉を口の端に上らせてはいけません。闇につけいられます。いいですね。光の子よ、彼らの案内をつとめましょう。それが我々の使命です」
ハーリと呼ばれた騎士はうなだれる。
だが、その頬に、聖女が手を差し伸べると、再びその顔に生気が戻った。
「行きましょう。彼らを助け、グーリアに新しい風を送り込むのです。使命のために。我が白銀の精鋭たち」
「はい、白銀の聖女さま。どうかおそばに」
アイリスはツンデレでした。




