第7章 その4 精霊をこの世にとどめておきたいなら。
4
「はい?」
「え?」
巡礼と白銀の聖女の声が、期せずして同時に発せられた。
「心の恋人?」
「恋人?」
続く問いかけは、またしても同時だった。
二人とも、きょとんとした顔で、赤の巫女王が何のことを言っているのか本気でわからないようだった。
「はあ? そなたたちは別れ別れになっていた恋人同士なのだろう?」
何を今更と、赤の巫女王チャスカは、首をひねるのだった。
「ち、違います! アウルは、わたしの叔父です」
「アイリスは、わたしの姪です」
「……はぁ!?」
再び、チャスカは首をひねった。
どうみても抱き合って睦言を語らっているように見えるのだが。
「抱いてとか言っていたではないか」
「それは、さっきはもう、わたしはぜんぶ精霊火になって、消えてしまうと思ったから。小さい頃みたいに……おじさまに、して、ほしくて」
「待てアイリス、その言い回しはダメだから! 誤解されるから! 小さい頃よく抱っこしていたから、それで」
これはバカかと。チャスカは頭を抱えたくなった。
本気で、とことん恋愛力がない二人なのだろうか。
一応、過去に結婚していた経験があるチャスカには、この二人のことが、じれったくてたまらない。
「だが、お互いのことは大切に思っているのだろう? わたしの聞き間違いでなければ、白銀の聖女は、これまで輿入れはしたが名目だけで、誰にも身体を許したことはないそうではないか。手を触れさせることもしなかったと。ところが、その巡礼殿とは、そんなにも睦まじく抱き合っているのだから、特別な存在だろう」
「そうですけど。おじさまは、おじさまで……」
「なにものにも代えがたい存在ですが、恋人では」
「……なんだ、そりゃ」
呆れた声を出したのは、キールだったが、ジークリートも、それには大いに同感したのだった。
「どう考えても師匠はバカだ。親戚だろうがなんだろうが、あんなに慕われているんだ。もっとこう、あと一押し迫ってみても悪くはないだろうに」
キールは正直、驚いた。
「おまえがそんなことを言うなんて」
「師匠は、おれを拾って共に暮らしていた五年の間、一度も、女と深い仲になったことはなかった。女性嫌いかと思ったくらいだ。例外は、ごくたまにやってくる赤い髪に赤い目をした女だが……いま考えてみると、あれは本当に女だったのかどうかも疑わしい。情報のやりとりはしていたが、信用してはいなかったと思う。あんな女に比べたら白銀の聖女さまは、大違いだ」
赤い髪に赤い目をした若い女。ジークリートは、女の名前は知らない。
あれは危険な存在だった。
今、この場で、口にしていい話題とも思えなかったので、ジークリートはそれには触れなかった。
チャスカは檻に近寄り、聖女と巡礼のかたわらに立った。
「白銀の聖女さま。まだ、逝かれるには早すぎます。わたし共には、あなたの存在が必要なのです。どうぞこの世におとどまりを」
「そうしたいのは、やまやまですけど……」
アイリスの顔は冴えない。
「わたしの身体は、大部分が精霊火でできているのです。長く生きました。もうそろそろ、形を保っていられなくなるみたいだから……精霊火を呼び集めてみたけれど、あとどれだけもつか……わからないの」
「そんな、アイリス! だめだ、いくな!」
「やれやれ。いつも余裕たっぷりだったエルレーン公国巡礼殿がこれだけ取り乱すとは。どれだけ大切な人なのか。見ていられませんね」
チャスカは、にやりと笑った。
いたずら心、いっぱいに。
「巡礼殿。精霊をこの世にとどめておきたいなら。言い伝えにあるように……」
ひと呼吸、置いて。
「契りを結ぶことだ」
「え!? えええええーーーー!? チャスカ!? ななな何を言うんですかっ」
動転して叫んだのは、いまだアウルの腕に身を預けて自ら抱きついている白銀の聖女アイリスで。
身体をこわばらせ、ごくりと喉を鳴らし息を呑んだのは、灰色の衣の、巡礼。
そして高らかに声をあげて楽しそうに笑ったのは、赤の巫女王チャスカだった。
「なっ!」
「師匠!? 何をする気だっ」
キールとジークリートは叫んだ。
同じ一つ檻の中にいるのである。二人の少年は、思わずあわてて身を引き、ケイオンに場所を譲ってしまったのだった。
たぶん、もう誰の声もケイオンことエステリオ・アウル、灰色の巡礼には聞こえていなかったろう。
「アウル!? やめて、まさか本気で……!」
白銀の聖女の言葉は、途中で塞がれた。
「陛下!?」
「聖女様!」
「おのれ巡礼」
「なんということをっ」
ガチャガチャと具足の音を立て白銀の聖女親衛隊が立ち上がる。
が、チャスカの手勢に止められ、檻に近づくことはできなかった。
「まあ案ずるな。しばし待ってやれ」女王は呟く。
「……! ……!! ……!!!」
灰色の巡礼に組み敷かれた白銀の聖女が、唇を塞がれたまま、力の限り抗い、暴れた。
だが、やがて抵抗はやんで、白く細い腕は、巡礼の乱れたレンガ色の髪の間に差し込まれ、頭を引き寄せ、狂おしくかき抱く。愛おしそうに。
長い口づけの後で巡礼が身体を起こす。
その頬に、ぱしん、と、平手打ちが飛んだ。
慌てて這い出した白銀の聖女は、ぷるぷる震えて、拳を握りしめていた。その拳を両手で包みこみ、巡礼は背中から彼女を抱きすくめる。
「消えてほしくなかった」
「……もう、だいじょうぶ、みたい。消えないで……いられそう」
「うん」
「でも、キス以上はダメだからっ! わたしに手を出したら精霊火に襲わせるわよ!」
「それは、怖いな……」
ひっぱたかれた頬は赤く、小さな手形がくっきりとついていたが、彼は、穏やかな表情で微笑んだ。
「な。やっぱり案ずることはなかっただろう?」
煽ってはみたものの、彼にはキスぐらいしかする勇気はないだろうと予想していたと、赤の巫女王は楽しげに笑った。
こんな場面を書くはずでは。
でも自重しました。
結局ラブ甘になってしまったような…




