第7章 その1 アイリス
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グーリア王国の首都ソルフェードラ。
裏通りにある、グーリア人なら足を踏み入れないような薄汚れた酒場。
この酒場の前では、さきほどまでグーリア王の側近である『エクリプス』と名乗る四人の黒い魔導師たちがいて、グーリア人の逃亡奴隷が斬殺された騒ぎもあった。
ジークリートとキール、酒場の女、ロント、それに騒ぎを知って駆けつけた酒場の護衛も含め、ジークリートの師匠であるケイオンと、以前に水晶の谷で会った『赤の巫女王』チャスカとその私兵たちとが、一堂に会している。
今更ながら目立つのは避けたいという巫女王チャスカの意向で、話し合いは酒場の中へと場所を移した。
酒場はまだ開店していなかったが、今夜は臨時休業とすることになった。
これからどうするのか。
今すぐにでも王の居城へと乗り込みたがっているのは、妹スーリヤを『エクリプス』に浚われたキールと、ジークリートだ。
キールはずっと、グーリア王バルケスを倒したいと思っていた。
殺された従姉妹のナンナや、グーリア王国の奴隷狩り部隊「赤い騎龍隊」の蹂躙と略奪から村の倉庫を守ろうとして踏み潰されたパロポ爺や、多くの村人たちの仇を取りたい。
だが全ては、浚われた妹スーリヤを守れなければ意味はない。
「スーリヤは必ず助ける」
キールが宣言するのと間を開けずに、ジークリートが、キールの傍らできっぱりと宣言した。
「グーリア王ギア・バルケスは、おれの仇。おれが倒す」
空気がぴんと張り詰めた。
「そうか。偶然だな。わたしはグーリア王の居城、黒曜宮に行かねばならない。そこで、することがあるのだ。グーリア王の身柄も生命も、どうでもいい」
吐き捨てるように言った「赤の巫女王」チャスカをちらりと見やり、ジークリートの師匠であるケイオンは、
「ほんと偶然だねえ。俺も、王宮に用があってね。ついでに闇の魔導士たちにも、野暮用があるんだ」
なんでもないことのように言って、ただでさえ汚れ放題、ぼさぼさの赤茶けた髪をかき乱した。
「そなたは、奴等を眠りにつかせることができるか?」
チャスカが、ケイオンを値踏みするように見やる。
ケイオンは人の悪い笑みを浮かべ、肩をすくめた。
「おや、赤の巫女王様。少し呼び方が変わりましたね。お前呼ばわりから、そなた、とは。格上げですか」
「エルレーン公国の巡礼殿を粗末にはできぬ。お前呼ばわりは、まあ気にするな。わたしは口が悪い。死んだ亭主もよくそう言って怒ったものだ」
「……それは、申し訳ない」
痛ましそうな表情のケイオンに、
「過去のことだ」
チャスカは気を取り直し、明るい表情を作った。
「闇の魔導士は四人いる。それぞれが左腕、右の掌、左目、そして右目に魔力の源となる石を埋め込んでいるのだ。その中で一番手強いのは、『左腕』だろう。奴だけは、わたしが殺す」
「御意。すると、その他の、三人の魔導師は、この俺が倒してもいいとのおおせですか」
「好きにするのだな、巡礼殿。手に余るようなら、わたしと手勢の者が加勢する」
「お手を煩わせるには忍びない。では、よきに計らわせていただきます」
チャスカとケイオンのやりとりの間にも、ジークリートはすぐにでも旅立とうとして、酒場の娘、ロントに引き留められていた。
「あんたたち、いくら強いか知らないけど、悪いけど子供ふたりじゃない! ふたりで行くつもり!? だったら、ほんとのバカよ。それに、正面からぶつかってくつもりでしょ。何でもできると思ってるんなら、間違ってるわ!」
「……」
ジークリートは無言で、答えない。
「なによ、そりゃ、酒場に飼われた奴隷で、あたしみたいな卑しい商売女の言うことなんか耳にするのもイヤだろうけどさ。年上の忠告くらい聞きなさいよ!」
「あ~、ちょっと待ってやって、お姉さん。俺の愛弟子ジギーちゃんは都合が悪くなるとすぐだんまりだから! 気にしないでやって、可愛い子ちゃん。お名前は?」
「えっ。……あたし? ロントよ」
「良い名前だね。大地の卵。ずっと遠い東の山国で信仰されてる、大地の女神さまの別名だ。ロントちゃんは、優しいお嬢さんだな」
「おいジギー。おまえの師匠、女の子に声かけてるぞ。いいのか」
「師匠は女に甘いから。でも、本気になってるところは見たことないし。女と寝るとか、その手の宿にも出かけてないな」
死にかけていたところを拾ってくれた恩人だが、嫌いだ苦手だと言ってたわりには、ジークリートは師匠の人となりをよく知っているようだ。
「ふぅん、エルレーンの巡礼さん、砂埃で汚れてるわりには、よく見たら、いい男じゃない。あんたほんとに、あの少年たちのお師匠さん? 雰囲気違いすぎじゃない」
「あ、俺の愛弟子は、銀髪の美形の方だけどね」
「よけい納得いかないわよ!」
※
赤の巫女王は、彼女と、彼女の私兵を、ジークリートの目的に同行させよと申し出た。加勢したいというのである。
しかし、すぐにジークリートは突っぱねた。
「共に行くというなら、断る。足手まといだ」
他の人間が言えば、あるいは傲慢と受け取れるかも知れない言葉が、この少年が口にすると、少しも不自然ではない。
けれども。
周囲の人間達からすれば、それもまた迷惑な話だった。
「甘えるな、少年。自分が倒すから邪魔をするなだと? 倒した後の見通しもしていないだろうに。仮にだ、仮に王をおまえが殺したとする。後はどうする。そのままグーリア王国から逃げ出せるとでも思うのか」
ジークリートは、うっ、と虚を突かれた。
「大人にしかできぬこともあるのだ。おまえが首尾良く目的を果たしたならば、後の面倒ごとは引き受けてやろうと言っている」
「ジギーちゃん。ありがたくお受けしときな。赤の巫女王を怒らせると、怖いぞ」
「ケイオン殿、それは言い過ぎだろう」
「うちの不肖の弟子は世間を知らなすぎなもので。お詫び申し上げます。こらジギー、謝っとけ!」
ケイオンに頭をおさえられて、しぶしぶジークリートは、詫びを入れる。
「す、み、ま、せ、ん」
「全然、本気で言ってないな。その誇り高さ。さすがグーリア王族の血筋。問題児そうな……師匠、目を離さずにいてやってくれないか」
「もちろん」
「では、言い直そう。ジークリート殿。一緒に戦おう、などとは言わぬ。それぞれの目的を果たせばいいだけだ。たまたま目的地が同じというまでのこと」
「了解だ」
相変わらずのジークリートである。
キールは空気を読んで、黙っている。
「では女王様、ご一緒にお供させていただきます。古えよりの歴史を持つエルレーン公国と、キスピ谷との太古の盟約によりて」
ケイオンは女王に恭しく片膝を折り、手を差し出した。
「互いに目的を果たすまで」
「と、ここまでは、ひとまずよしとして」
赤の巫女王は、にやり、と、笑った。
「悪いが、わたしは約束を果たしておかなければならないのだ」
それが合図だった。
赤の巫女王の配下の者たちが、一斉に行動を起こした。
ジークリート、キール、それにケイオンの三人は、一瞬のうちに彼らに拘束され、とらえられた。
「な、なに? どういうことですか女王様!?」
ロントが悲鳴をあげた。
「心配はいらぬ、優しき娘よ。ある重要人物に頼まれていてな。ちょっと話がしたいそうだ。この酒場に、地下室があることは知っている。少し借りるぞ」
※
「なんで酒場の地下に牢があるんだよ」
「知るか」
キールとジークリートは呆れていた。
すべては素早い対応だった。
逃げられないようにきつく縛られたうえに木の足枷まではめられている。
ケイオンに至っては杖を取り上げられ、打ちのめされてもいる。
すでにボロボロだったのに、さらに地下牢の土の床に引き倒されている、さんざんのありさまだ。
「どういう、おつもりですか、赤の巫女王」
「私兵が失礼をした。逃げないように気をつけろと申しつけたのだが、やりすぎたかな。地下である必要もあった。もうしばらく待て」
「待つって?」
「黙れ、罪人め!」
明らかにチャスカの連れていた私兵ではない人間達も、その地下室には、すでにいた。
「罪人?」
ジークリートとキールは顔を見合わせた。
「罪人は、そこの『土くれ(ケイオン)』だ。『聖堂』のお情けで生かされたものを、巡礼の責務を果たさずにいるではないか」
「ああ、ずっと、報告もしてなかったな……当然の、報いってやつか。覚悟はしていたが、目的を果たしてからにしたかった」
「どういう意味なんだ、師匠」
「やっと、師匠と呼んでくれたか」
ケイオンが苦笑する。
そのときだった。
それまでずっと、暗かった、地下牢が、ほの白い光に、照らされた。
精霊火である。
青白い光の球体が、一つ、二つ、三つと、次第に数を増していく。
「うわあああっ!」
とたんにケイオンは度を失う。
「どうした師匠! しっかりしろ! 精霊火など、恐るるに足りないと教えてくれたのは師匠じゃないか!」
「ジークリート、あ、あれ……」
キールが怯えたように、精霊火が集まっているあたりを、キールは指さした。
闇の中にぼうっと白い人影が浮かび上がっている。
それは、女だった。
黄金に輝く髪が、緩やかに波打ちながら足下まで覆っている。
若く美しい女だ。
人影は、ゆっくりと近づいてきた。
まるで、人ではないかのような。神々しいほどの美貌だった。
そして、女は。
牢の格子を、すり抜けた。
同じ牢にいるジークリートとキールには目もくれず、土の床に倒れふしているケイオンの頭もとに、女は立った。
「エステリオ・アウル・ティス・ラゼル。久方ぶりね」
冷たく澄んだ声で、女は、言った。
ケイオンが、薄く、目をあける。
「……わたしの、イーリス……」
辛そうに、息を、吐きだした。




