第6章 その5 欠けた月の一族
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フィリクスは、横たわるソルフェードラ王女に、ひたすら見入っている。
『わかったわ。これが「恋に落ちる」ということなのね!』
楽しげに笑うラト。
『ねえ兄さん?』
呼びかけられたレフィスは困惑を隠せない。
『どういう意味の言葉なのだ。私にわかるわけがない。ラト、君はなぜ、人間にそれほど興味があるのだ?』
『だって退屈なんだもの』
ラトは「ふう」と吐息をつく。
『精霊には寿命も成長も繁殖もないわ。あたしとレフィスだって、はじめからこの姿で、兄妹としてこの世に出現したでしょ。いつか遠き未来に消えるときも、何も変わりばえはしない』
レフィスは眉をひそめる。
『ラト。それは口にすべきではない。長たちの耳に入れば「大いなる深き意識」への反抗だと、糾弾されるだろう。言葉を慎みなさい』
しかし、ラトは何かに挑むように言葉を吐く。
『言わせてよ。あたしたちはただ、生命活動を危うくする事故でも起こって魂は精霊火に、魄は世界に溶けて還るまで、この世界を観察するだけの存在なんだもの』
ラトは言い切ると、息を吸う。
『あたしたちは知識を欲する「深き意識」に、この世でものを見て、触れて、遊ぶために送り出された。いつか還元する日まで』
『我らの存在に疑問を持つのは君くらいだ』
『これでいいのよ。たぶん、それが、あたしの役割なんだと思う。他の精霊にはできない自由な考えとか?』
「精霊様!」
フィリクス・レギオンが切迫した声でラトとレフィスを呼んだ。
ソルフェードラ王女はようやく身体を起こすことができたが、力が入らず、フィリクスの肩に身を預けている。
「助けてくださるのですか?」
「ええ、もちろんです。なんとしてもお助け申し上げたい。わたしの騎竜でお運びしても?」
『そうね。あなたの騎竜も精霊火に慣れてきたみたいだし』
と、ラトも同意する。
『しばらくの間は、精霊火が囲んでいくけど、驚かないでね』
「承知です」
騎竜が屈む。フィリクスが先に鞍にまたがり、レフィスが王女の身体を持ち上げるのを、大切に抱いて、自身のマントで包み込むようにする。
「ありがとう…ございます」
王女は彼の胸に顔を埋めた。
高貴な身分の少女が、普段なら出会ったばかりの男性に身を預けはしないだろう。よほど身も心も弱っているものとフィリクスは彼女を救いたいと決意をあらたにする。
「このわたしを信用してくださったからこそ、この御方を託されたのでしょう?」
『ええ。フィリクス・レギオン。あなたが保護してくれれば安心だもの』
「確かに、お預かり致します」
『この馬車は捨て置いて、忘れて。この森の中にあれば誰にも見つからないようにしておくわ』
森の出口まで案内すると、ラトは先に立って歩き出す。
道すがら、王女の事情を語った。
『彼女はグーリアの末の王女だったの。まあこまかいことは省くけど、王位継承の争いから逃れた、みたいな?』
ざっくりした説明である。基本的に精霊は人間の事情など感心を持たないのだ。
『義理の兄というのが自分が王になるのに都合の悪い者をみんな始末しようとしたみたい。でも神殿とか、助ける者もいて、散り散りに国外へ逃げ出したってわけ』
ラトによれば、結局は逃亡した王子王女たち全員が助からなかったという。
国境近くまで逃げ延びたのはソルフェードラ王女ひとり。
それも、国境を越える寸前で、追っ手に捕まった。
数十人の賊の急襲に、御者が馬車を降りて逃げだし、賊に襲われ殺されたのが殺戮の始まりだった。護衛もほとんどいなかったのだ。
馬車に残っていた侍女たちも全員引きずり出され、一人残らず殺されていった。
「その賊はエルレーンの者たちなのでしょうか?」
『我々も立ち会っていたわけではない。詳しいことはわからないが』
と前置きしてレフィスは語った。
『虹が教えてくれたのよ。魔眼の王の候補が死んだとね』
「魔眼の王?」
『あ、そうねえ……フィリクス様には関係の無いことだったわ。忘れて』
「そう言われましても」
『気にしない気にしない!』
そろそろ森を出る頃になった。
出口近くに、二人の人間が佇んでいる。一人は男性、一人は女性だった。どちらも長身で、引き締まった身体をしている。
「あの者たちは?」
見知らぬ者たちの姿にいぶかしむフィリクスに、ラトはこともなげに言う。
『ここからの護衛よ。呼んでおいたわ』
「精霊様がお呼びになられましたのは……人、なのですか?」
『そう。精霊は戦わないものなのよ。彼らは昔から大陸の中央部にいた、護衛とか情報戦とか担当してきた人たち。「欠けた月の一族」というのよ』
『太陽神殿の縁の者と聞き及んでいます』
欠けた月の一族の二人が進み出て、騎竜の前に跪く。
男性はノーティス、女性はベアトリスと名乗る。
「我らは古来より精霊と契約してきた者にございます」
「ソリス太陽神殿と我らは協力関係にあると思って頂ければ。ここよりは我々が王女殿下とフィリクス・レギオン陛下をお守り致します」




