第5章 その4 炎の未来幻視 (改)
話を急ぎすぎたので、少し書き直しました。
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エルレーン公国、国立大学院付属、魔法師養成部。
基本的には国家の役に立つであろう人材を輩出するための教育機関である。
国家が援助をし、誰でも、学費の補助を受けて実質的にはほぼ無料で学ぶことができる。
エルレーン公国では、周辺諸国との外交の一端として、国教である『聖堂』以外の宗教を信仰する外国からも、入学希望者を受け付けている。
入学に際して資格は不問、試験も、ごく簡単なものである。
ただし卒業するまでにはいくつかの難関があり、卒業後の進路は、さまざまである。
学院に魔法師養成部門という専攻科目があるのは確かだが、そのうち魔法師になれるのはほんの一握りだ。卒業を前にして、最大の難関が控えているからだった。
基礎学科の受講を終了するには、最短で1年を要する。
学生が基礎を身につけたことを教授達が認定しなければ、基礎学科から先へ進むことはかなわない。
この段階で、担当の「師」からの推薦がなければ、先に進める見込みはない。
自分で自身の限界を察する者も多く、往々にして魔法師養成部から一般学部への転出者がいるのは、そういう事情による。
しかし中にはあきらめきれずに残留を続ける者も、いないではない。
そして基本学科を受講し終えたのちに、重要な儀式がある。
本人の適性を問う、試験である。
*
音一つない暗闇の中。
シャーリーは一人で歩いていた。
上下も左右も深い闇。
どこまでも果てがないように思える。
次第に進んでいるのか止まっているのかもわからなくなる。
なぜ、自分はここにいるのか。
自分の名前は?
生まれは?
父母は、姉妹は?
そもそも、自分とは?
やがて何もかもが闇にのまれていく。手を目の前に伸ばしてみてもそれすら見えないほどに、真の闇。
進んでいるのか止まっているのか、それさえわからなくなってから、いったいどれほどの時間が過ぎたのだろう。
突然、光があらわれた。
こぶしほどの大きさの、白く輝く光の球。
おびただしい数のそれが、彼女の周囲をとりまき包み込んだ。
そしてシャーリーの姿を照らし出す。
もはや周囲は闇ではない。
「熱くない…」
手のひらに乗る、光の球体。
重みもなく熱もなく、感触さえもない。ただ、そこに確かにある。
「知ってるわ。これは、スーリーファ。東の森の民は、精霊の火と呼んでいる、精霊の魂」
この目で見たのは初めてだ。
エルレーン学院に入学して最初にできた親しい友人、チャスカが、森に囲まれた自分の国ではよく見かける現象だと言って、以前に教えてくれた。
このことはコマラパ老師も言っていた。老師の故郷である、東の深い森と、森に接する草原地帯では、誰でも日常的に見かける、ありふれた自然現象的な眺めであるらしい。
「……でもなぜ、今ここにあるの? ここはどこ?」
精霊火が照らし出すのは彼女の周囲、手が届く範囲のことだった。
その光に包まれ導かれて、シャーリーは一歩、また一歩と進んでいった。
間もなく、シャーリーは信じがたいものを見た。
眼前に、何者かが出現したのである。
背の高い、がっしりとした男性の姿。
「そんなはずないわ」
茫然として彼女はつぶやいていた。
「父上は本国にいるはず……」
心のどこかで彼女は真実を悟ってはいる。
もちろん本当の父であるはずがない。
あれは幻か、それとも彼女の記憶が作り出している姿なのか。
だが吸い寄せられるように彼女は進んでいく。
『さあおいで、おまえたち』
両手を広げて父が呼ぶ。
彼女の記憶にある姿、そのままに。
*
十数年前の、ある冬の夜。
父の元に兄、姉たちと共に、末娘であるシャーリーことシャンイエラ・アストリード王女も呼ばれた。
大陸北端に位置する小国であっても国王である父は非常に多忙だった。
深夜でも公務に従事するために書斎にこもることも、あるいは人に会うために出かけることは頻繁にあり、城に居ることはまれだった。
だから、呼び集められた子供たちは、皆、嬉しかったのだった。
ひどく寒い夜だった。
館の外では吹雪が荒れ狂っているのだろう。
暖炉で薪がはぜていた。踊る炎が投げかける影、薪のにおい。
この光景を、ずっと後になっても、シャンイエラ・アストリード王女は鮮明に思い浮かべることができる。
不思議で、強烈な記憶だった。
暖炉の前で父王は火をかき立てている。
冬が過ぎ、春となって館の全ての暖炉の火を消して眠るときも、この父の暖炉の種火だけは片時も落とされることなく先祖代々、大切に保たれてきたのだ。
「さあ、おまえたち。この父の前においで。そして、手を出しなさい」
王子と王女たちは、父王が何を意図しているのかは知るよしもなかったが、疑うことなど思いもしない。それぞれ、父の言葉の通りに皆、両手を上に向けて差し出した。
父王の言葉は絶対であった。
すると父王は、暖炉で燃えている熾き火をかき回し、「動いてはならん」と言い置いて、火の中から掬いだしたものを子供らの手に落としたのだ。
その刹那、息が止まった。
激痛だけが全てになった。
痛みと共に、何かが、手のひらを焼き腕を伝って心臓を刺し貫いた。
四人の王子王女たちは身を屈めてその場に昏倒した。
それきり誰も意識を失ったままだったという。
三日後の朝になってようやく、王子王女たち意識が戻った。
皆の両手のひらには厚く包帯が巻かれていた。
そのとき何が起こったのか、誰も答えを出せなかった。
父王とはそのとき以来、兄妹の誰も顔を合わせていない。
たびたび外出するようになった王は、あの夜、何を見聞きしたのだろう。
長い間、心を煩わせていた、あの疑問に、答えが出るのだろうか?
闇の中に浮かび出る姿。
父王の姿をした何者かに向かって、彼女はゆっくりと近づいていった。
やがて全てのかたちは溶け落ちたように消えた。
炎だけが残り、大きく伸び上がった。
人の姿に似ている。
彼女はそう思った。
初めて接したはずなのに、見覚えがある。
黄金の火の粉をあたりにまき散らして、炎が揺らいだ。
人の形をした炎が、手を差し出している。
あの夜のように。
シャーリーは茫然と、その炎に手を伸ばした。
聞こえる。何かが。
パチパチと、燃える薪がはぜる音に似ている。
……我は炎の王。シャンイエラ。そなたは遠く旅をする。そして未来に、そなたの息子に、我をゆだねるだろう。我が名は……
*
「待って、炎の王!」
飛び起きると同時に彼女は叫んでいた。
あたりは暗闇に閉ざされたまま。
ただ、彼女が横たわっていたのは、柔らかな寝具の上だった。
「ここは、どこ?」
戸惑うばかりの彼女の傍らで、
「まあ落ち着きなさい」
穏やかな声が聞こえた。
学院の講師コマラパの声だ。
「老師? ここは森では」
シャーリーは愕然として周囲を見渡した。
やがて目が慣れてきて、白い壁に囲まれた小部屋であるとわかった。
もちろん父王の姿など、どこにもあるわけはなかった。
人の形をして語りかけてきた炎も。
「確かに、おまえさんは森を彷徨っていた」
コマラパ老師の、日に焼け、深い皺の刻まれた顔は、相好を崩す。
「ただ、森は、ほかのどこでもない、おまえさんの胸中にあったのじゃ。ずっとずっと昔から、そこにあり続けた」
老師は彼女の心臓を指し示す。
「これは精神の内面への旅。見極めの試験とは、そういうものなのだ」
「では……これが、試験なのですか」
「皆、心の中へ旅をして、己と出会い直す。そもそもこの大陸に生まれた者は、その身に祖先から「精霊」を受け継いできている。心の中でありながら精霊火が現れるのは、そういうことじゃ」
「わたしは……」
シャーリーは首をひねる。
「わたしには、よくわかりません」
そうだろうな、と老師がうなずく。
「多くの者が、各地からこのエルレーン公国立の学び舎に集う」
「それはここが、大陸で最も自由に、知識の泉に触れることのできる場所だからです。身分とも経済的な苦労とも離れて」
「だが、それは側面に過ぎない。もっとも、学生は知らぬでもよいことだが」
謎めいた言い回しに、王女は首を傾げる。
「コマラパ老師、それはどういう」
「善きかな。まだ学業に専念していなさい」
老師は彼女の傍らを離れて、壁際に向かい、重そうな布を引っ張った。
光が漏れてくる。
厚い布地が窓の前に掛かっていたのだ。
わずかな光だが、闇に慣れていた目にはまぶしい。
「学生達の多くは、最終的には自らを助けてくれる精霊と出会い覚者となり、一人前の魔法師となりたいという心づもりでおる。大陸中でこの学院だけが、学費の心配をせずに学べる場所でもあるしな」
「そのとおりです、老師。実は、わたしも」
ずっと自分一人の胸の内に抱えてきたことを、王女は打ち明けた。
「わたしには優れた兄も、優れた二人の姉たちもいます。王家の存続のためには、わたしなど必要ない。むしろ要らないのです。だから……魔法師にまではなれなくとも、いずれ王室を去り独り立ちをしたいと願って、ここへきました」
そんなことを思っていたのか、と老師は息を吐いた。
「それなら、まあ、心配はいらんよ。おまえさんは、ここへ来る前に、すでに精霊の加護を受けていたのじゃぞ」
「精霊の加護?」
老師はにんまりと笑う。
「もちろんさ。……炎の精霊王。名前は、おまえさんの心の中にある。今は思い出せなくともいずれ語ってくれるじゃろうよ。自分の名を。多くのことを」
卒業の前に、学生達の誰もが自分の心と向き合うのだと聞いて、初めて、シャーリーは、自分以外に対して思いを巡らすことができた。
「では……不思議なものを見たり聞いたりしたのは、わたしだけではないのですね」
老師はうなずく。
「もしかしたら、チャスカたちも?」
「うむ。チャスカは、そうだな、おまえさんとは別の精霊と、別の出会いをしておる。皆がそれぞれに、精霊の原初の体験というものがあるのだよ。この、わしにもな。もっともずいぶん遠い昔のこと、記憶も定かではないがのう」
「そんなことありませんわ! 老師はまだまだお元気ですもの!」
このとき王女は、チャスカたち、と問うた。
老師は、チャスカは、と答えた。
だが、このときの彼女は、その違いを深く考えることはなかったのだった。
シャーリー姫、学生時代の話です。もう少しだけ続きます。
2016年01月31日(改稿)




