第5章 その1 郷愁(サウダージ)(改)
伝承と、エナンデリア大陸における各国の位置関係など。
第5章 遠き日々
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かつて虚ろなる空の彼方に、白き太陽神ソリスの加護を受けし古き園あり。
長きにわたる繁栄を享受し人々は天地に満ちる。
なれどやがて人々は堕落し神々の怒りに触れぬ。
天空の彼方より放たれし神々の矢に大地はえぐられ、砕けぬ。
大地は深き亀裂より熱した血を噴き出したり。人々が呼吸するごとに大気は肺を蝕み、赤く逆巻く海の水は血を毒するなり。
地上の生きとし生けるものは全て滅びたり。
残されし地下の繭にて生まれたる、父母なくして生まれながらに罪を背負いし咎人たち。この無知なる嬰児たちを哀れみしは、あまたの神々のうちで夜と死を支配する真月の女神のみ。
女神はその白き腕に咎人たちを抱き、虚ろの空の大海を渡り、約束されし青き清浄なる大地に降臨す。
死者と咎人と、生まれながらにして罪を背負いし嬰児の護り手、真月の女神イル・リリヤと、彼女は呼ばれぬ。
青白く若き太陽神アズナワクは慈愛深き恵みの神。
白き腕の真月の女神イル・リリヤは、赦しの神なり。
(*「聖堂」古祈祷書より抜粋*)
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精霊火流るる青き大地、エナンデリア大陸。
大陸中央部にはかつてノスタルヒアス王国と呼ばれた、現レギオン王国がある。現在の国王は「善き王」フィリクス・レギオン。
レギオン王国は諸国の中で最も大きく、魔法と工学の技、ともに発達していて、王権は揺るぎなく、統制された軍を備えている。
西部には、もとレギオン王家の王族に発したエルレーン公の統治する国がある。
エルレーン公国の首都シ・イル・リリヤには真月の女神イル・リリヤを最高神とする宗教組織「聖堂」の大神殿があり、「教王」が住まう。
魔法が学術大系として発達した学舎があり、多くの「魔法師」を養成し各国に輩出している。また、魔法師以外では諸国を旅して修行する巡礼がいる。
東南部には真月の女神の加護を得た「永遠なる少女ミリヤ」が統治するサウダージ共和国。
王がいない、ミリヤを永世筆頭議員とする議会政治によって運営されるこの国では、公的には魔法師は存在しない。それ故に、工学技術が進展を遂げている。
南部諸国では、龍の血を引く王の国と呼ばれたグーリア王国が最大である。
この国では「聖堂」信仰は浸透しておらず、王都ソルフェードラには壮大な太陽神殿が築かれている。太陽神の名前は他国とは違い、慈愛深き白き太陽神ソリス。
王家の者が代々、数百年を越える長命であるのは、太陽神の守護によると言う。
北部には、アストリード王国がある。
国土はさほど広くなく、冬の寒さは厳しく、夏は短い。
最古の国であり、アストリード王家には各国の王たちが敬意を払っている。
この国のさらに北の果てには修道士たちが開拓し、失われつつあった古記録を保持している古代聖堂がある。この古代聖堂と呼ばれる施設は、大陸各地に広まっている宗教組織「聖堂」の原型である。
まさにこの地において、真月の女神に守られし「咎人」たちと大地の精霊セレナンとの邂逅があり、約束が交わされたのだ。
人は大地に住まい、自由に振る舞うことを許されるが、精霊の領分である海へは乗り出さぬことを誓い、精霊の魂である「精霊火」には充分な敬意を払い、しかし恐れぬように、と。
虚空の果ての、約束されし青き清浄なる大地。
青白く若き太陽神アズナワクの恩寵を受け、真月の女神イル・リリヤに赦されたこの世界の始まりから、数千年の歴史が紡がれてきた。
*
エナンデリア大陸西部諸国の中心、エルレーン公国。
繁栄を享受するエルレーン公国の首都シ・イル・リリヤには、「聖堂」の大神殿と、エナンデリア最大の学舎、エルレーン公国立学院がある。寄宿舎を備えた学院は、他国からも大勢の学徒を受け入れていた。
国立図書館は、学院内に設置されている。
サウダージ共和国で三百年ほど前に開発された印刷技術によって量産が可能となったため現在では多くの書籍が発行されている。
文芸小説、娯楽、趣味の指南書から古文書に分類される羊皮紙の束まで、およそありとあらゆる書籍が、このエルレーン公国国立図書館には収蔵されている。
学生も一般人も外国人も、分け隔て無く自由な利用を許されているため、常に多くの人間が館内を散策し図書を手に取っている。
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広い館内を、銀色の長い髪をなびかせて一人の少女がひらひらと歩いている。
年の頃は十六、七歳。
たおやかで優しい表情、まだどことなく幼さを残す面差しはみずみずしく美しい。
華奢な腕には不似合いなほど分厚い本を5、6冊も抱えて、軽々と歩みを進めていた。
どこに座ろうかと迷う様子もなく、まっすぐに窓際の席に向かう。
「やっぱりいたわ」
銀髪の少女は呟く。
というのは、彼女のお気に入りの席に、先客がいたのである。
昨日も、今日もだ。
「誰なのかしら。それにしてもあの人も、本の虫ね」
少女より二歳ほどは年かさだろう。
金髪を短く整えた好青年である。
背が高く、細くすらりとした体型、面差しは上品で整っている。
机の両端に厚い書物を十数冊も積み上げて、本に顔を埋めるような勢いで読みふけっている。本の内容は、古代史、経済、技術革命など、多岐にわたっている。
銀髪の少女は彼をちらちらと見ていたが、相手は全く気づきもしないことが、少し面白くないようだ。やがて、思い切ってすたすたと彼に歩み寄り、声をかけた。
「この席がお気に入りなのですね。実は、わたしもなの。向かいに座ってもよろしいかしら」
初めて顔を上げ、青年は驚いたように、腰を浮かす。
「もちろんです」
「いいのよ、そのまま座っていらして」
少女は鷹揚に微笑んだ。
「あなたは、いつも、ずいぶん熱心に読書をしてるのね。でも、無理を重ねては身体にはよくないんじゃない。ほどほどにした方がいいのじゃないかしら」
「ありがとう」
青年は爽やかに笑う。
「あなたこそ、いつも、重そうな本を山ほど抱えておられる。デートを申し込みたいけど勉学にも武道にも全力で取り組んでおられて、告白もできないと嘆いてる男どもが大勢いますよ、シャーリー姫」
「あらそう?」
彼女は意外そうに答え、首を傾げた。
まだ名乗らぬうちから相手が自分の名前を知っていることには、慣れている。
「ぜんぜん知らなかったわ。言ってくれれば考えるのに。誰も、近づいてもくれないのよ。ずっともてないのだと思っていたわ」
拗ねるような少女に、青年は苦笑する。
「あなたに告白するには勇気がいりますからね」
「勇気だなんて」
彼女は憤慨する。
「ちょっと笑いかけて下さったらそれで良かったのに。……ああ、でも、残念、わたしには男女交際をしている暇もないわ。もっと勉強したいし、やりたいことが山ほどあるのに。時間が足りない。ずっとこの学院にいられたらいいのに……」
「では、帰国なさるのですか」
「いずれはね。ま、幸い、まだしばらくは大丈夫。兄が一人、姉が二人いるから。……わたしなんか予備の予備なの。出番はないわ」
「あなたがですか? シャーリー姫」
「そう。順当に兄が王位を継げば、国は安泰。王女なんてどこかへ嫁いで外交政策に役立つだけ。つまらないものよ」
シャーリーと呼ばれた少女の、水精石を思わせる淡い水色の瞳に、微かな影が差す。
「だから、最低限、いよいよ国元に呼び戻されるまでは粘りたいし、いずれ帰国するまでには、もっとたくさんのことを知って体験しておきたいの」
いたずらっ子のように目をキラキラさせているのを、金髪の青年は穏やかに微笑んで眺めやっている。
「では、こんど街へお茶でも飲みにいきませんか」
「……あら、ありがとう。ではぜひ、お約束しましょう。あなたのお名前は?」
彼女は手を差し出した。
「フィリクス・アル・エルレーンです」
この名前を聞いて、少女はきょとんとする。
「まあ。レギオン国王陛下と同じですのね」
「この名前、僕はちょっと恥ずかしいんですよ」
青年は照れたように言う。
「あの方は、母の叔父なんです。レギオン国王陛下のように立派な人になるといいな……みたいな感じで、頂いた名前なもので。できたらフィルと呼んでください」
「きれいなお名前、わたしは好きだわ」
花のように笑って、少女は手を差し出した。
「わたしは、シャンイエラ・リンド・アストリード。でも、友達にはシャーリーと呼んでもらえたら嬉しいわ。よろしくね、フィル。お友達になってくださいな」
*
……まだシャンイエラが、世継ぎの王女ではなく、のちのち彼女を護り続ける「炎」の守護精霊グルオンシュカを継ぐ以前のことだった。
ジークリートの母シャンイエラがまだ10代、エルレーン公国に滞在、学生だった頃の話です。しばらく続きます。
2016年に入って、全体的な見直し、加筆。修正をしています。




