第4章 その6 ロント(改)
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「またどこかで会えるだろう、と言っただろう?」
赤毛の女王が微笑む。
水晶の谷で別れ際に、確かに彼女は言った。
だが、まさか本当にまた出会うことになるとは、キールは思ってもみなかった。
ここグーリア王都ソルフェードラの酒場の一室で、再会することになろうとは。
「ところで妹はどうした? わたしはあの子が気に入っているんだが」
チャスカはキールに問いかけた。
「スーリヤは……闇の四魔導士という奴等に、連れ去られた。おれがついていたのに」
キールは事実を隠さずに言った。
新たな悔しさが突き上げ、身体が震える。
そして、ふと、自分の右手が、抜き身のままの《牙》を握りしめていたことに気付く。この時まで、それさえ感じられなくなっていたのだ。
「何だって! 奴等……どこまで……!」
ケイオンが声を荒げる。どちらかと言えば軽い、人のよさそうな印象のあったこの男にしては、意外なくらいの激しさだ。
「我々は四魔導士どもに、よくよく縁があるらしいな」
チャスカは少年たちを見つめる。
キールの浅黒い顔には悔しさがありありと見て取れる。
銀色の髪と深紅の瞳の、ジークリートの色の白い端正な顔には、感情は露わにはされない。けれど、その瞳に宿る深い憤りを、彼女は見てとる。
それから、チャスカは、床に転がっているグーリア人の骸に目をやり、
「もう触れても構わないのだな」
確認するようにケイオンに尋ねた。
「大丈夫だ」
ケイオンが答えると、チャスカに従ってきた男たちが駆けより、死体を抱え上げる。
「あ、あの……」
酒場の女が、困惑と戸惑いの眼差しを向ける。
チャスカは鷹揚にうなずいて、
「このようなことで、あなたの手をわずらわせはしない」
「でも……どこへやるの? あたし、グーリア人は憎い、言い尽くせない恨みもあるわ、だけど……なんだか哀れで」
「捨てたりするわけではない」
チャスカは女を安心させるように微笑んだ。
「太陽神殿が死体を弔ってくれる」
「都の中心にある、あの神殿?」
古代の白き太陽神ソリスを祭る太陽神殿の名を耳にして、女はほっとするように息をついた。
「そうか、赤の女王は太陽神殿を味方につけたのか」
ケイオンは抱いていた疑問が解けたと、チャスカの顔を見た。
「わたしの守護神は太陽だからな。グーリア王よりはまだましだ」
「ははあ。なるほど」
「グーリアの本来の最高神は、白き太陽神ソリス。第二位の神は真月の女神エリュシアだ。太陽神殿も、現王バルケスに迫害されているからには金はない。おおかた彼らの背後に援助者がいるのだろう。わたしにはどうでもいいことだが」
実際のところ、名目も大義もどうでもいいのだと女王は笑う。
「王の居城、黒曜宮が、都から離れた山中に築かれているのを知っているだろう? それと同様に、王の心は民衆から離れている。人との交わりを拒む王が、名君なものか。バルケスが即位するまでは、古より太陽神殿が王を補佐し、都の民の代表を集め、議会を組織して国政を行ってきたのだ。だが、現王はそのすべてを白紙に戻し、王の選んだ人間のみに権力を渡している。今では太陽神殿でさえあからさまにではなくとも迫害されている。王の信じるのは、神ではないのだ」
チャスカは重い吐息をつく。
「あの王が、何ものかに犠牲を捧げてきたのは確かだ」
ケイオンの表情が曇る。
「いけにえを要求する神は、この世界にはいない。いるとすれば、それは、闇に属するものだけだ」
「あのグーリア人、王に逆らったために村の全員が罪人に落とされたと言ってた……」
酒場の女が、ぽつりと言う。
「どうしてなの?」
その疑問に答えたのは、ケイオンだった。
「ここ数十年間、王は、年に何十人か、百人か、子どもを王宮に差し出させている」
チャスカの表情が、いっそう険しくなった。
「最初は征服した近隣の国から集めていた。近年ではグーリアの民にまでそれは及んでいる」
「その子供たちはどうなった」
問い詰めたのはキール。ケイオンは答えにくそうに、
「それは不明だ。まだ誰も突き止めてはいない」
そこへ、チャスカが言い添えた。
「少なくとも王宮の外に出てきた者は、これまでには、一人としていない」
「なんなのそれ! どうなってるのよ!」
耐えきれなくなったように、酒場の女が肩を震わせる。
「ありえないじゃない! グーリア人まで?」
「確実に言えるのは子どもたちが二度と帰らないということだ。子どもの供出を拒んだ者は、たとえグーリア人であっても奴隷となり強制的に鉱山で働かされている。鉱山では常に多くの者が死ぬから人手が足りない。…ここまでが、エルレーンの得ている情報だ」
ケイオンの答えは容赦なかった。
「奴隷……グーリア人が」
女は、考え込むようにうつむいた。しばらくして顔を上げ、真っ直ぐにチャスカを見つめた。
「水晶の谷の太陽の巫女様、赤の巫女王様。あたしは5歳で売られて、故郷も、自分の名前も忘れようとしてた。毎日投げやりな気持ちで、酔っ払いや荒くれの相手をして、逆に男を欺しておだてて、どれだけ金をふんだくってやろうかって、それだけを楽しみにしてた。でもそんなの、自分を殺してるのとおんなじだった」
だから、そんな生き方はやめるのだと。
「グーリア人に刃向かうなんて、できないと思ってた。だけど、それはあたしが、自分でそう決めつけていたんだって、今夜、やっと分かったわ」
キールは意外に思う。
最初は、こんな表情をしていた女だったろうか?
けだるく投げやりな雰囲気があった女の顔に、生きている人間の感情が戻ってきたかのようだ。
「わたしもそうだった」
赤の巫女王が言う。
「グーリア王に忠誠を誓わなくてはならない羽目に陥り、王から新しい名前を下賜されて将軍の座に据えられた。心ならずも、周辺の国を平定し……逃げたくとも人質がいたので思うにまかせず、自分を切り刻む思いでいた。解放されたのは、ここにいる少年たちと出会ったおかげかな、まあ、いろいろあって自由になれたのだ」
「女王様にそんなことがあったのですか?」
「そうだ。わたしも一人では力及ばぬことばかりだ。……そなた、本当の、故郷での名前はなんという?」
「ロント」
黒い肌をした酒場の女は、誇らしげに、言った。
「あたしたちが信仰している大地の女神さまのお名前。女の子には、生まれたとき女神さまから頂いた名前がつけられるの。そして7歳になったら本当の名前がもらえるんだけど……その前に、売られたから」
「売られたのではない。わたしは聞いたことがある。おそらくそなたと同じ国の出身の者が部下にいるのだが…彼が言っていた。自分が幼い頃、グーリア軍が侵攻してきて、多くの民が捕虜となって、奴隷になっていると」
ロントの目に、光が宿る。
「ほんとうなの? あたし、親に売られたんじゃないの?」
チャスカは力強く頷き、請け合う。
「おそらくそなたを買った主人が嘘をついたのだ。逃げる気を起こさせないためだろう」
「そう…そうなの…?」
「わたしが保証する。間違いない。ロント、そなたの名前は美しい。大切にするといい」
「ああ…ありがとうございます!」
ロントはひざまずき、胸の前で手のひらを組んだ。
「おお…この《螢晶石通り》の裏通りは大地の女神さまのお膝元にはあまりに遠い。あたしたちが祈るのは、死者と咎人と、生まれながらにして罪を背負いて生まれし嬰児の護り手、真月の女神さま! あの御方はどんな汚れた者もお赦しくださる。どうか、全ての咎人に安らぎを……」
とぎれとぎれに嗚咽が聞こえた。
その肩に、チャスカが手を置いて、そっと撫でた。撫で続けていた。
ややあって、ロントは顔を上げた。
キールを見て、すまなそうに言う。
「ごめんなさい。あたしのせいだわ。自分を何もかも諦め続けていたから、妹さんを……あんなことに……」
「あんたは気にしなくていい」
キールは慌ててすぐさま答えた。
皮肉に聞こえる言い方はしたくなかったが、どうしても、ぎこちない口調になってしまう。
「妹は、おれが助け出すから、気にするな」
「いいえ、気にしないわけにはいかない。けれど、これからはもっと自分を大事にする。あなたの妹さんが助けてくれた命だもの」
生きる気力が蘇ったようなロントの表情に、少しだけ救われた。
そう、キールは思った。
キールはずっと、グーリア王バルケスに会いたかった。
殺された従姉妹のナンナや赤い騎龍隊から村の倉庫を守ろうとして踏み潰されたパロポ爺や、多くの村人たちの仇を取りたいと思っていた。
だが、全ては、妹を守れなければ意味はないのだ。
「スーリヤは必ず助ける」
ジークリートが、キールの傍らで、きっぱりと宣言した。
「そして王バルケスは、おれが倒す」
空気がぴんと張り詰めた。
チャスカは、小さな咳払いをした。
「わたしはグーリア王の居城、黒曜宮に行かねばならない。そこで、することがあるのだ。この際、王は、どうでもいいのだが」
ケイオンは、チャスカをちらりと見やり、
「俺は、闇の魔導士たちに用がある。以前、奴等に殺されかけ、取り逃がしてしまった。今度こそ逃さない」
「お前は奴等を眠りにつかせることができるか?」
チャスカが、ケイオンを値踏みするように見やる。
「闇の魔導士は四人いる。それぞれが左腕、右の掌、左目、そして右目に魔力の源となる石を埋め込んでいるのだ。お前は知っているだろうが……、その中で一番手強いのは、『左腕』だろう。……奴だけは、わたしが殺す」
「すると、我々はみな、王宮に行かねばならないらしい」
ケイオンが言う。
しかし、すぐにジークリートは突っぱねた。
「共に行くというなら、断る。足手まといだ」
他の人間が言えば、あるいは傲慢と受け取れるかも知れない言葉が、この少年が口にすると、少しも不自然ではない。
「一緒に戦おう、などとは言わない。それぞれの目的を果たせばいいだけだ」
チャスカは力強く笑った。
「たまたま目的地が同じというまでのこと」
「では女王様、ご一緒に」
ケイオンは女王に恭しく片膝を折り、手を差し出した。
「互いに目的を果たすまで」




