第4章 その3 ケイオンと巫女王(改)
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ケイオンは《螢晶石通り》に面する小さな店の中にいた。
赤毛の美女が率いる男たちに捕らえられてすぐ、道の脇に並ぶ店の一つに引き込まれたのだ。
暗い路地裏。
何を商う店なのか、あやしげな瓶や木箱が雑然と置かれている床の上にケイオンは座り、彼の前には赤毛の美女が立っている。
彼女の左脇には黒い肌に大きな目が印象的な、精悍な青年。他にも数人の無口でごつい男たちが部屋に詰めていた。
皆、無言で佇んでは射るが、もし自分がこの美女の機嫌を損ねでもして彼女がひとこと命ずれば、顔色一つ変えずにケイオンを殺して道に投げ捨てるのに違いない。
ケイオンはそっと周りの様子をうかがったが、いざという時に逃げ出せるような隙は、どこにも見出せなかった。
そんな危険な雰囲気にもかかわらず、明かりの下で見る彼女は一段と美しかった。
燃え立つように鮮やかな赤い髪は、彼女の小麦色の肌と緑の瞳によく映えている。
意志の強そうな、くっきりとした眉と目。
この燃えるような髪の美女からは、信じられないほどの生命力、そして圧倒的な気迫が押し寄せてくる。
無言で相対しているのに、まるで脅しでもかけられているようだ。
沈黙の対峙の後、
「少々、手荒な招待になってしまったな。お詫びする」
口火をきったのは彼女。
詫びる、とは言うものの、女王のように毅然としたその態度には、いささかの変わりもない。
「とんでもない、あなたのような美しい方のご招待なら、いつでも喜んで」
危険なのは承知だが、つい軽口を叩いてしまうのは彼の癖だ。真実を語らないため、触れないために。
「エルレーンの男は口がうまいというが、まことだな」
彼女は身を乗り出し、床にひざをついているケイオンの顔をまともにのぞきこむ。
「だがお世辞など何の役にも立たん」
「お世辞じゃなく言ってる……んですが」
ケイオンは彼女の瞳から目をそらすことができなかった。
緊迫した状況にはいささかの変化もない。
「わたしはエルレーンの巡礼殿に、つねづね聞いてみたいことがあったのだ」
赤毛の女は、険しい顔をした。
「この大陸で巡礼と言えば質素で禁欲的な生活を送り、修行のために荒野を彷徨う聖職者だという。しかしその実、表立って動けない『聖堂』の手足として各国をめぐり、情報を集め政治的裏工作までするのが、エルレーン公国の巡礼なのだろう? 自分の生命まで危険にさらし、なぜそうまでして『聖堂』だの国家だのに尽くす。まさか正義のためだなどとは言わんだろうな」
ケイオンは首を横に振る。
「本国の外交筋ならそうだと答えるでしょうがね」
「では、なぜだ?」
「それは……経済のため」
「ほう。二国間には国交と多くの物資の輸出入がある、それが巡礼と関係があると?」
エルレーンとグーリアが長い戦争を続けていた間でさえ、『聖堂』とグーリアの一部には繋がりがあった。
「国交という名のくされ縁ですよ。グーリアはエルレーンにとって必要で欠かすことのできない、ある物資を産出する。それ故に重要だが、それ故に足枷であり、邪魔なので。国としてはうまく立ち回りたい。で、おれたちのような、表の世界では石持て追われるしかない者を使う」
「どういう意味だ。犯罪でもしたのか?」
「おれは昔、国益に反する手ひどい失敗をしましてね。おかげで都市をひとつ……」
言いかけて、やめる。
「つまり危うく国に消されるところだったところ、命を買った訳で。まあ、おれみたいなのばかりじゃない、金銭や何かのために働く者もいますが」
少年の頃なら、あるいは彼がまだ巡礼ではなく一人前の魔術師を意味する『覚者』の名を得たばかりの頃ならば、神殿の正義を信じてもいられたけれど。
この赤毛の美女と、男たちは、自分の信ずる道に従って生きているのだろうか?
美女を見つめていたケイオンは、ふと、あることに思い至る。
「そうか、聞いたことがある。グーリアに支配されている各地の人々の抵抗を支援する、どこにも属さぬ私兵の一団。それを統率しているのは赤毛に緑の目の美女で、グーリアの属領『水晶の谷』の『赤の巫女王』だ、と」
彼を見つめる女の瞳は、深い緑だ。
「だが、赤の巫女王、たしかチャスカといったが、彼女は谷の民の裏切りでグーリアに捕らわれ、戦士の才をかわれて軍の一隊を任されていると聞く。グーリア王の目を盗んで、私兵の一団など組織できるものかな?」
赤毛の女が、くすっと笑った。
「……もし、私がその女なら」
おもしろがっているように見える。
「敵の王に本心から仕えるものか。グーリア軍に組み入れられたとしても、反撃の機会を待っていただけのこと。グーリアが強大になりすぎることに脅威を感じ、私を援助する者もいなくはない。王の監視をくらませて反乱の兵を育ててみせる。それに今は」
「今は?」
「グーリア属領『水晶の谷』はもうない。谷出身の奴隷たちが多く逃亡するので、見せしめに、グーリア王はかつての女王が率いる軍隊を派遣してせん滅させたのだ。抵抗も激しく派遣軍も全滅、そして彼女は谷を焼き払う炎に身を投じて死んだ。グーリア軍の公式記録ではそうなっている」
「むごいことだな」
「実際には、派遣軍は精霊火の大軍に遭遇して幽霊でも見たように怯えて湖に身を投げ全滅してしまったのだが。公式記録など、そんなものだろう」
女の瞳は、笑みをたたえていた。からかわれているような気がして、ケイオンはめまいにも似たとまどいを覚える。
「だから、今では、私のこの身は自由なのだ。『水晶の谷』の最期を生き延びた民たちは森に身を潜めて反撃の時を待っている」
ここで、彼女はケイオンに耳打ちするように、少し顔を近付ける。
「だが、このことは『聖堂』には秘密だぞ」
ケイオンは思わず息をのみ、うなずく。
水晶の谷の女王、太陽の守護を受けた赤の巫女王。
いったい、なんという女だろう。何という……
「私は、チャスカ・アワスカだ。おまえの名は?」
「……アウル……エステリオ・アウル・ティス・ラゼル。……通称は、ケイオン」
言った瞬間、ぎくっとする。
本来、巡礼は通称しか使わないものだ。本名から身元を知られるのを防ぐため、自らに暗示をかけている。
ところが、それがあっさりと破れ、彼は洗礼名のみならず、生涯を通して数人にしか告げることのない『忌み名』まで口にしてしまったのだ。
「そうか……いい名だな」
チャスカは再び彼の目をのぞきこみ、
「あなたに用というのは他でもない。これから起こることに、しばらくの間、目をつぶっていてくれないか? ことが終るまでは、エルレーンに介入してもらいたくないのだ」
「赤の巫女王、何をするつもりなんだ?」
「今にわかる」
ケイオンの問いに、赤毛の女王は、謎めいた微笑みで答えた。
彼を見ていたその顔に、ふと、いぶかしげな表情が浮かび、
「……巡礼殿、その目は?」
「目?」
「左目だけ色が変わっている……」
言われて、彼も異変に気付く。
身体を突き抜ける悪寒。
次いで苦痛が襲ってくる。
ケイオンは額を押さえ、床に屈みこむ。
「どうした?」
「チャスカ様、お待ちを! この様子はただごとではない」
ケイオンに手を伸ばしたチャスカを、それまで黙って傍らに控えていた男たちが押し留める。
しばらくして、突っ伏していたケイオンが、静かに、顔を上げる。
先ほどまで彼の目は両方とも明るい茶色だった。それが、左の目だけほとんど色のない淡い青に変わり、額には、薄く、赤い傷跡が縦に浮かび上がっていた。
「奴等が近くに……」
わずかに音域が上がり、はりのある若い声で、言う。
「やつら?」
「闇の魔導士たち、エクリプスだ」
悲鳴が聞こえたのは、その時だった。




