002
例年より寒く、いつもなら散りかけの桜もまだ綺麗に木を染めている。
白秋高校入学式の朝。
白秋高校は玲也たちの家から歩いて十五分程度のところにある、広大な敷地をもつ全国有数の名門校だ。
日本中から学業や部活動に長けた生徒を集め、数多くの実績を残している。
陸上競技において才能を開花した爽也はともかく、頭は悪くはないものの、これといった特筆すべきもののない玲也がこの高校に入れたことは、ほとんど奇跡と言ってもいい。なにせこの高校を選んだ動機が、唯一まともに話せる爽也がいて家から近いから、というなんともヘタレな志低いものである。玲也はすでに見える暗い高校生活に気分は急降下まっしぐらだった。
かといって爽也のいない、知らない人ばかりの環境に入っていけるはずもないので選択肢はないも同然だったのだが。
時間に余裕はまだまだある。桜並木をのんびり歩く三人の隣を、電子スクーターに乗った学生がひゅんひゅん通り過ぎていく。
ガソリンや電気で走る車などというものは公道では見ない。リモコン一つで展開・収納ができる電子自動車が主流だ。排気ガスは環境に悪いし、なにより旧式の車は場所をとる。
電子スクーターを見るたびに爽也は羨ましそうな視線を送る。うちは母の電子アレルギーもあり、ああいう類のものは買えないのだ。なので、高木家の移動手段は徒歩あるいは手動自転車、公共交通機関がほとんどだ。
杏もあれだけ見ていたのだからもう見慣れたのだろう。電子移動機器に変人丸出しの視線を送ることはもうない。
「俺が白秋高校に入れるなんてなあ!」
いつに増して暗い玲也の傍らで、爽也は足取り軽く通学路を歩く。
「そりゃ、お前足速いから」
「いやいや、もっとはえーのいっぱいいるぜ? 家から近いしいいとこだし、行けたらいいなーって思ってたけど、ほんとに行けるなんてさあ!」
不安など微塵もない、持ち前の天真爛漫さである。
「それに、玲也とも一緒だしなっ!杏ちゃんも!」
爽也は杏ににこっと笑いかける。
「……ああ、そうだな」
杏は生返事。視線は前を向いたまま。
「なになにー、元気ないの?」
お前が元気すぎるんだよ。
「いや……爽也はいつも元気だなと、思っただけだ」
「えー? だって楽しみだし」
「そんなものなのか」
「そんなものそんなもの!楽しまなきゃ!一回きりだぜ高校生活なんてさ!」
真新しい黒いブレザーに暗い色のネクタイが色白の肌によく映える。そして程よい丈のチェックのスカート、ハイソックス。
学校に近づくに連れ増え始めた、同じ服に身を包んだ誰よりも、玲也の目に杏は綺麗に映った。
ぱち、とその空色の目と視線が合い、慌てて逸らす。
なにやってんだ、俺。女子の体じろじろ見てさ。
「……爽也と違って、玲也は暗いな」
杏のいつものストレートな言葉。オブラートなんてどこへやら。いつものことだが。
「ん? あー、いつもだよ。いっつも暗いの玲は」
高校生なんだし、明るくいこーぜとばんばんと背中を叩く弟を玲也は睨む。
「望んで暗いんじゃねえっての」
「ん?」
「……なんでもない」
お前みたいになりたいなんて、どれほど思ってきたことか。
「お前は頭もいいし、顔だってブサイクでもデブでもないし、もっと明るくいったらさあ」
「向き不向きってのがあるの、分かる? お前に勉強できないのと一緒だ馬鹿」
「う、うるせーよ!」
きゃんきゃん噛み付いてくる弟に顔をしかめていると、ついに校門にたどり着いていた。
馬鹿でかい、既に威圧感が尋常ではない。
お前にくぐる資格などないと、玲也を跳ねつけているかのような。
う、と少し詰まっていると背中をどんと押された。
その瞬間、全身の鳥肌が一気に逆立ち、激しい頭痛が押し寄せてきた。
突然の衝撃に目の前が真っ白になる中、爽也のよく響く声ががんがんと頭を揺さぶる。
「なァーに止まってんだよ! 玲は暗いんだよなーっ! もっとさ、明るくしろって!」
「……あのなあっ!」
そりゃ、お前に俺の心境なんて一ミリも察せられないだろう。お前みたいななんの悩みもなくて、現状にも自分自身にもなんの不満もない、毎日が楽しくてたまらないようなやつにさ。
ほっといてくれないかな、もう。もうお互い高校生なわけ。いい加減俺とお前が違うってことを分かってくれよ。
頭痛を押しのけ、あふれる劣等感を言葉にしてぶつけてやろうと顔を上げると、爽也の肩にねばっこい何かが這いつくばっているのが見えた。
なに、あれ。
それの目と口らしき三つの窪みがにたりと三日月形に歪む。キキキキと首を曲げながら不快な笑い声をたてる。
顔から血の気が引いていくのが分かった。
その不気味な何かを乗せた爽也が、不思議そうに玲也に大丈夫かと声をかけた。
こいつは、気付いてないのか。
震える手で爽也の肩に乗るそれを触ろうと手を出すと、頭上から声が降ってきた。その途端、ねばねばのそれもひどい頭痛もきれいに消え去った。
『おはようございます。新入生のお方々。本日はご入学、誠におめでとうございます』
三人揃って見上げると、一枚の浮遊型電子画面から人が顔を覗かせていた。
周囲を見ると、同じような光景があちこちで起こっている。
――最先端技術である電子機器環境を整え、それらを扱う世界トップの人材への道をいち早く切り開きます。
そんな説明文が入学要項のはじめに書かれていたっけ。
『私、白秋高等学校電子頭脳接客部門のEB-H.A-NO.052でございます。合格通知とともに送らせていただいた通用カードを提示してください』
電子頭脳なんて実用化が始まったとはいえ、一部の大企業でしかまだ使われていない最先端のなかの最先端技術じゃないか。
ぼんやりとしたままの頭でそんなことを考えながら、ごそごそとポケットを探り、白いプレートを取り出した玲也と杏の隣で、カード?と首を傾げる爽也。
「母さんがお前が忘れないようにって、ブレザーの胸ポケットに入れてくれてる」
母に感謝だ。こいつ間違いなく要項読んでねえ。
「ああ、そうなの」
どうやら無事見つけ出したようだ。頭上の画面に掲げる。
『普通科部門二名、部活動特待部門一名認識完了しました。普通科部門の方は左の入り口から、特待部門の方は右の入り口から教室へ向かってください。クラス編成は入り口正面に貼り出しております』
それだけ言うと画面は消えた。
「じゃ、俺こっちだから」
玲也は爽也の目を見ずに歩き始めた。ここでこれ以上爽也といたら、ますます劣等感を感じるだけ。
それにさっき周囲を見た時から、あのねばねばと同類であろう怪物があちこちに蔓延っているのが否応なく見える。頭痛はしないが、あの異形のバケモノを見るだけで吐きそうだ。
「なんなんだよ一体……」
なによりおかしいのは、周りに同じような反応をする奴がいないことだ。それはつまり玲也にしか見えていないという事か。それともそのゲテモノはここじゃ当たり前なのか。
すぐ後ろを杏が歩いている気配はするが、振り返る必要はない。どうせ自分は何も話せないし、なるべく何も考えないように前だけ、進む道だけ見て歩く。
キキキ、キイイイィ、ギキキキッとガラスを爪でひっかくような不快音。
ふわふわと宙を漂う見るからに気持ちの悪くなりそうな奇形。
なんなんだ、この学校は。
左の入り口をくぐり、目の前の電子掲示板を見上げる。
普通科は二組から五組までの四クラス。玲也は五組、杏は四組だ。
「どうやら、クラスは違うようだな」
「……ああ」
本気で高校生活は真っ暗だ。他人以上友人以下の杏すら違うクラス。周囲はみんな他人だ。
おまけに頭がおかしくなったのか、変なものがずっと見え続けててさ。
「玲也」
「……なに?」
杏は何も言わず玲也に銀の腕輪を差し出した。幅一センチ厚さ三ミリほどの薄い金属でできている。表面に一本だけ薄い溝がひかれ、そこに半透明の青い石が嵌めこまれている。手にとると、金属のひやりとした冷気が心地よい。
これは何だと目で尋ねる。
「本当は校内に入る前に渡す予定だったのだが。すまない」
それを腕につけてくれと促される。やや不審に思いながらも素直につける。
「……!」
その瞬間、異形のバケモノたちが目の前から綺麗サッパリ消え失せた。
「これは一体……」
「まあ、なんだ。お守りの類だと思ってくれれば、今は構わない。もう時間がないからな。詳しい話は後だ。ここの奴らはとくに害はない。案ずるな」
そう言うと、杏は教室へすたすたと歩き始めた。玲也は慌ててついていく。
「ちょ、桐田さん」
足速い。すごい人混みの中、向こうは普通に歩いているのに、こちらは軽い駆け足だ。人を押しのけてなんとか追いかけて話しかけるのにいっぱいで、いつもなら気になる周りの目なんて構う余裕もない。
「なんだ?」
「桐田さんも見えるの」
あいつら、ばけものが。
杏は急に止まり、俺に振り返った。
空色の瞳にまっすぐ見据えられる。
「見える。ずっと昔からな。今も」
それだけ言うと、四組の教室へ入っていった。