【三題話】ブラウン管テレビ・キャンギャル・貯金箱 『幸せの不幸の貯金箱』
『ブラウン管テレビ、キャンギャル、貯金箱』
この三つのキーワードからどんな物語ができるのか、ご自分で想像してから、本編をお楽しみください。
【予告】
わたしには、人には言えない秘密があるの。
それは、子どもの頃に「ブラウン管テレビ」で見ていた世界が他人事じゃないってこと。
つまり……。
誰かが悲しくて泣いちゃってる時、魔法の力でちょっぴりお姉さんにへーんしーん! バイトウィッチ「キャンギャル」オレンジ参上!
魔法の「貯金箱」に、小さな幸せを百個集めて、魔法の国の王子様にプレゼントするの。
ってことで、今日も幸せ集めに行って来まーす!
『ブラウン管テレビ、キャンギャル、貯金箱』お楽しみに。
(この予告は、本編と全く関係ないことがあります)
私の部屋のテレビは、壊れかけている。
バイトを終えてようやく帰って来たその部屋は、小さなアパートの私の部屋。一人暮らしの女子大学生の標準的なレベルから考えると、広さは普通、最新のセキュリティシステムなんかがない代わりに、家賃はまあまあ安い。
大学入学とともに持ち込んだ家具の大半は、私が実家で使っていた物で、どれもそれなりに年代物である。
特にひどいのが、このブラウン管テレビだった。
電源を入れると、頼んでもいないオートオフ機能が働いて、約三秒で電源が切れる。この機能の止め方は、マニュアルを端から端まで熟読しても、どこにも書いていない。経験則的に知っている裏ワザを使うしかない。すなわち。
「とりゃ!」
電源を入れてから自動的にオフになるまでの約三秒の間に、適切な角度から適切な衝撃を加える(右手を強めに振り下ろして本体上部の中央を叩く)。
ゆらゆらと画面を揺らした後、おんぼろブラウン管テレビはなんとか電源オンの状態を保持した。
今日はついている。
ひどい時には、十数回テレビを(かよわい女の子である私が)殴り続けなければいけない。
うん、今日はついている。
と思った瞬間、バイト中の出来事が頭をよぎった。
「訂正。今日は最低の日だった」
◆ ◆ ◆
私のバイトは、キャンペーンガールだ。
大学一年生の時、高校時代から三年も付き合ってきた彼と別れた。(原因は彼の浮気。信じられないことに二年と十ヶ月も浮気されていたことを、私は気付かなかったのだ)
そのショックは筆舌に尽くし難く、私は結構シャレにならないレベルで男性不信になり、人間不信になり、とうとう笑い方を忘れてしまうほどだった。笑い方を忘れてしまった私は、とっても長いあいだ暗くて静かな自分一人の世界に閉じこもった後――やがて、せめて嘘でもいいから笑おうと、このバイトを選んだのだった。
普段の私なら絶対に着ないような、体にぴったりくっつく、肩が出ていたり、おへそが出ていたり、まるで水着みたいだったりする、派手な色彩の服を着る。普段なら適当にまとめている髪も、可愛らしく結い上げたり、逆にストレートに下ろしたり、リボンをつけたり、装飾用の帽子を被ったりする。眼鏡も外す。
とにかく満面の笑顔を貼り付けて、普段より1オクターブくらい高い音程の声を、頭の軽そうな声音で飾り付けて振りまく。ついでに、試供品だとか、アンケート用紙だとか、ポケットティッシュだとかも振りまく。配りまくる。
「新製品です、お試し下さーい!」
駅前で、こんな格好をして、こんな大声で、まったく正気ではない。少なくとも、私の個性にも性格にもそぐわない行動を取っている。
最初はそう思っていた。
それでも、仕事だと割り切って無理やり笑っていただけなのに、バイトの効果か時間が癒してくれたのか、私は次第に高校時代のような明るさを取り戻して行った。笑えるようになって来た。
なんとなく続けているバイトも、時々は面白いと感じることも出てきたりしている。(正直なところ、結構良いお金が入ることも重要だ)
そして、新しい恋もした。
今付き合っている彼は、前の男とは正反対の、大人しくて、優しくて、誠実そうな人だ。
――と、思っていた。
ああ、そうだ。これが、今日が最悪の一日になった原因である。
ことの発端は、いつもと変らない、今日のバイトだった。
「どうぞ、お試し下さーい!」
某メーカーの新製品のスポーツ飲料を配るのが、今日の仕事だった。
着ている服装は、スポーツ飲料のパッケージに合わせた、キラキラと光沢のある青と白。肩とおへそが出ているのが気に入らないが、爽やかさを演出するためか胸元の開きが控えめで、下は短いなりにズボンだったので、まあまあ合格点をあげられる衣装だ。時々、正気を疑いたくなるような露出の高い服を着せられる事があって(そういう時に限って、政治関係の集まりだったり、公共機関の主催するイベントだったりして、本気で日本の将来が心配になる)、そういう日は憂鬱なバイトがさらに憂鬱になる。
とにかくテンションを上げて、ノルマの分だけペットボトルを配ってしまおうと、笑顔を振りまく。ポケットティッシュやチラシと違って、試供品なんかは意外と早く配り終えることが多い。
さっさとバイトを終わらせて、彼に電話でもしよう。予定が合えば、夕食でも一緒に食べたいな、と思う。
そう言えば、私の部屋に遊びに来たいとも言っていたし、せっかくの機会だから……って、別に変な意味はないけれど。
とかなんとか、考えていた矢先のことであった。
「あれ? あの、すいません」
突然声をかけられたので、驚いて振り向く。
「はい、なんでしょう」
思わず応えてしまいながらも、たちの悪いナンパだったら嫌だなぁと考える。
これまでも何度か遭遇したことがあるが、ニヤニヤ笑いを貼り付けてバイト後の約束をとりつけようとしたり、怪しげな名刺をちらつかせながらお金と引き換えに映像関係の仕事(きっと考えたくもないようないかがわしい話に決まっている)をしないかと持ちかけたり、ひどい時には体に手を伸ばして来たりする。一度、バイトの後まで男が待ち伏せをしていたことがあった。本当に怖かったけど、バイト用の衣装を脱いで、普段の地味な私に戻ったら、声をかけられることもなく素通りすることができて事なきを得た。
とにかく、そんな男達が口にする言葉なんて決まっているのだ。
まず、『すみません』なんて声をかける。そして、次にこう言うのだ。『その服、似合ってますね』
「わあ、その服、似合ってますね」
その瞬間の私の気分を、正確に表現するのはとても難しい。
目が点になる、とも少し違うし、愕然とする、とも違う気がする(いや、愕然とはしたのだけれど)。ショックのあまり雷に打たれた、と言うほど強くないけど、もう少しじわじわ効いてくるような。
あー、つまり。
お決まりのナンパなセリフを言ったのは、大人しくて、優しくて、誠実な(はずの)私の今の彼だったのだ。
「スポーツ飲料の試供品ですか。バイトなんですね」
平和そうで幸せそうな笑顔なんぞ浮かべながら、へらへらと笑っている。
こいつ。
「バイトって何時に終わるんですか? 時間があればその後、一緒に夕食でも食べませんか?」
私だと、気付いていない。
あまりにも怒りすぎて、きっと私の表情は、笑顔のまま凍りついていたのだろう。だから、私が必死の思いで次のセリフを吐き出すために、作り笑いをする必要だけはなかった。
「新製品です。どうぞお試し下さいね!」
ペットボトルを押し付け、その勢いで彼を遠ざける。
彼は、(まったく頭に来ることに)どうして自分がそんな反応をされるのか全然分からないと言った表情をしている。
な、ん、で!
私だと気付かないのよ!?
普段絶対に着ないようなピチピチの服を着て、普段あんまりしないメイクをして、普段しているメガネをはずして、普段しない髪形で、普段出さないような声で、ペットボトル配ってるだけなのに。
どうして自分の彼女が分からないのよ!?
でも!
百歩譲って、それは許すとしても。(そう、ちょっとだけ冷静になれば、普段は地味で大人しい自分の彼女が、よもやキャンペーンガールの格好してキャンペーンガールの仕事しているとは思わないでしょうよ)
私というものがありながら、どうして他の女に(しかも、こんな頭の悪そうな光沢の服着て、頭の悪そうな高い声で、頭の悪そうなスポーツ飲料を配ってる、頭の軽そうな女に)声をかけるのよ!?
そんな人だとは思わなかった。
本当に。
ああ、本当に。
最っ低!
◆ ◆ ◆
以上、回想終わり。
つまり、私が、大人しさとか優しさとか誠実さを高く評価して付き合っている今の彼は、軽薄でナンパでどうしようもない男だったと、それだけである。
私は、大きく深呼吸をすると、握り締めた十円玉を貯金箱へと放り込んだ。
これは、最初にバイト代が入った時に、何を買おうか迷った挙句に手に入れた、陶器でできた可愛らしい貯金箱だ。当時、失恋の痛手で人生のどん底にいた私は、その貯金箱を『不幸の貯金箱』と呼ぶことにした。
バイト中でも、その他の何かでも、嫌なことや悲しいことがあった時に、その感情を深呼吸とともに十円玉に込めて、貯金箱に入れることにしたのだ。
バイトに遅刻して怒られた日にも十円玉を入れたし、しつこくナンパされた日にも十円玉を入れたし、バイトで着る衣装が事前の説明より明らかに露出が増えている時にも十円玉を入れたし、昔の恋人が知らない女と笑いながら歩いているのを見た日にも十円玉を入れた。
毎日毎日、数え切れないほどの嫌な事や悲しい事があるんだから、いつか私がこの貯金箱を壊した時には、十円玉がこの部屋を埋め尽くすことだろう。すぐに、億万長者になってしまうことだろう。
本気でそう思っていた。
だけど、今日のもやもやした気持ちは、十円玉では消し去ることはできなかったようだ。
だめだ、なんとか気を取り直してテレビでも見よう。
彼と一緒の夕食もなしだ。
あんなヤツ知ったことか。
「……」
ちょうど、帰ってきてから点けっぱなしになっていたテレビの中では、名探偵が不可解な事件の謎を解決するシーンの真っ最中だった。関係者を集めて、彼は事件の概要を語りだす。
「……」
なるほど、そんな凶悪な事件があったのか。
そして、ついにクライマックスである。名探偵は、右手の人差し指をぐいっと突き出し、ある人物を指差す。『この凶悪極まりない計画を実行できる人物は一人しかいません。それは、あな――』
ぶっつん。
おんぼろテレビの、オートオフ機能が作動した。
「あああああ! 滅茶苦茶いいところだったのに!」
思わずテレビに駆け寄って、その上部中央をバンバン叩きまくる。なんだか、今日の嫌な出来事が、十円玉には納まりきらずに拳に宿っているようだった。若干、自分でも八つ当たり気味な気がしてくる。
ぱちん、とスイッチが入った。
『おっしゃる通り、俺がやりました』
ぶっつん。
犯人の、苦渋に満ちた自白を一瞬だけ写して、テレビは完全に沈黙した。もう、叩いても蹴っても無駄だということが分かった。(なぜなら、うっすらと白い煙が立ち上り始めたから。驚いてコンセントを引っこ抜いたら、やがて煙も出なくなった)
「あああ……」
本当に最低だ。
どうして私のまわりには、こんなに嫌なことがあふれているんだろう。どうして、こんなに悲しいことがあふれているんだろう。
「もう、やだよぉ……」
そう。
こう言う時は、この悲しみを十円玉に込めて貯金するに限る。そうだ、そうしよう。
と、不幸の貯金箱に手を伸ばした瞬間。
がっしゃん。
「あ」
貯金箱を、落として割ってしまった。
なんなんだ。どんだけ最悪の日だよ。
「もう良い。わかった」
私は開き直ることにした。
「こうなったら、今までためた不幸を全部使い切ってやる。コンビニまで走って行って、不幸を全部お菓子に変えて、朝までヤケ食い大会をしてやる。バカ彼氏とも別れてやる。お菓子食べまくりで、太りまくって、『衣装が着られなくなりました』ってバイトも止めてやる」
正直、太りまくるのは嫌かも、と思ったけれど、細かいことは気にしないことにした。不幸を全てお菓子に変えてやる。全部食べてやる。
「って、あれ――?」
破片に気をつけながら、拾い集めた十円玉は――。
「なによ、これ」
たった24枚しかなかった。
240円也。
たったの。
「あーあ」
世の中には嫌なことがあふれていて、悲しいことがあふれていて、私の周りの嫌なことや悲しいことを、全部お金に換えて貯金したら、すぐに億万長者になれると思っていた。そうやって、不幸な自分に、ちょっとでもごほうびをあげられると思っていた。
でも。
たった240円。
これじゃあ、まるで。
「私の不幸なんて、大したことないみたいじゃん」
そう呟いてみた。
そうしたら本当に、大したことではなかったような気がしてくるから不思議だ。
このまま呆けていても仕方がないので、貯金箱の破片だけは片付けて、その240円を持って、とにかくコンビニまで行ってみることにした。
◆ ◆ ◆
最悪な日には、最悪な出来事が重なるらしい。
家を出てすぐに、ばったり会ってしまったのだ。
軽薄なことが判明した、彼に。
「わ、偶然ですね」
幸せそうで平和そうな笑顔をへらへら浮かべて、彼は話しかけてくる。
私は当然無視だ。
ちょっとキャンペーンガールの格好をしているだけで私と気付かないような男。というか、頭の悪そうな格好をしたキャンペーンガールなんかをナンパしようとした男。
そんなやつ、知ったことか。
「……何か、怒ってます?」
なにやら察したようで、彼がそう口にした。
それで、カチンと来てしまった。もう限界だった。何もかも叩きつけて、これで終わりにしてやろうと思った。
「そう、バイト先で嫌なことがあったのよ」
「ああ、バイトやってたんですね」
白々しく彼が笑う。
「何で今まで話してくれなかったんですか?」
それは。
きっと止められると思ったから。キャンペーンガールの頭悪そうな仕事は、大人しくて優しくて誠実な彼の好みではないと思ったから。
「男ってさ」
私は言ってやる。
「キャンペーンガールが着ているような、光沢のある、足が出てたり、胸元が開いてたり」
「肩が出てたり、おへそが出てたり?」
勝手に合いの手を入れてくる。
「そう。そういう頭悪そうな格好が好きだよね」
彼は、要点をつかみかねているのか、首を傾げてみせる。
「うーん、僕個人としては、そういう派手な服装よりも、キミがいつも着ているような落ち着いた服装の方が好きですね」
じゃあ、なんでナンパなんかしたのよ!?
この嘘つき!
「でも――」
「もう良いわ。もう知らない」
男なんて、どいつもこいつも最低。
もう知らない。
「昼間のキミの格好も、意外な良さがありましたね。なんだか頑張っている人特有の魅力というか。って、これはただのノロケですかね」
え?
「そういえば、ああ言うバイトは、見かけによらず規則が厳しいんですね? そうとは知らず話しかけたりして申し訳ありませんでした。知り合いなんかと話し込んではいけないんですね。確かに、仕事中ですからね」
何やら一人で納得している。
え?
ちょっと待って。
つまり、彼は、私が私だと分かった上で声をかけて来たと言うこと?
私が私だとわかった上で、『服装を褒め』て、『バイトが終わる時間を尋ね』て、『夕食の約束を取り付けよう』としたということ?
気付いてくれていた。
ナンパでもなかった。
「な、なんなのよ! もう!」
「何なんですか?」
彼は笑っている。
ああそうだ。この大人しくて、優しくて、誠実そうなところを好きになったのだ。
私は一人で、バカみたいだ。
「なんでもないわ。それより、これ」
私は、じゃらじゃらと十円玉を渡してやる。
「缶ジュース二本、買ってきて」
「これ、全部十円玉ですね。何かの嫌がらせですか?」
「これは、私の不幸の結晶なのよ」
ふっふっふと笑ってやる。
肩をすくめて自販機に向かう彼の背中に、
「私はオレンジジュースね。あなたの分はおごり」
私の不幸、240円也。
あっと言う間に(というには、十円玉を自販機に入れる手間がかかってしまったが)、私の不幸は缶ジュース二本になってしまった。
まあ良いか。
不幸の結晶は、ちょっとだけ酸っぱくて甘い飲み物と、ちょっとだけ苦くて甘い飲み物に変った。なかなか悪くないかもしれない。
「何がなんだか、良く分かりませんが。ごちそうさまです」
彼が缶コーヒーを飲んでいるタイミングを見計らって言ってやる。
「夕食まだだったら、今から私の部屋に来ない?」
狙い通り、彼は盛大にむせた。
「……げほげほ。怒ったり誘ったり、一体何なんですか?」
「深い意味は、今となってはないんだけどね。それに、もう全然怒っていません」
私は、ちょっとした決意とともに、彼を部屋に呼ぶことに決めたのだった。
そう、終わり良ければ全て良し、というバラエティ番組の一発逆転システムみたいな言葉がある。昔の人も、良いこと言うじゃないか。
私の最悪の一日を、最高の一日に変えてみても――変えようとしてみても、良いはずだ。
「部屋のテレビが壊れちゃったのよ。それを、粗大ゴミに出そうと思ったの。
知ってるかしら――?」
私は、(あまりの訳のわからなさに)彼がどんな表情を浮かべるかを楽しみにしながら、次の言葉を口にする。
「ブラウン管テレビって、そりゃあもう、重たいんだから」
お楽しみいただけましたら幸いです。
なお、お題の3つのキーワードは、友人達によるリクエストです。
近いうちに、このような形でお会いできることを楽しみに。
それでは、また。