表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

はなみ

作者: 和泉あかね

ビールから日本酒に変えて二本目で暖簾をくぐる西潟さんが視界の隅に見えた。店主に軽く手を上げて、グルリと店内を見渡してから私の向いの席に黙って座る。たばことライターを胸ポケットから出してライターが付くことをきちんと確認する。そしてやっと笑顔になる。


「もう日本酒ですか。じゃぁ急いで追いつかないとね」首を少し傾げながらウーロンハイと鳥のからあげを注文した。

いつも決まってこのメニューだ。この店は料理がおいしい。以前、旬のものは好まないのかと聞いたことがある。「いいんですよ。鳥のからあげは一年中あるから安心なの。ウーロンハイもね」。


 私が西潟さんとこの居酒屋で一緒に飲むようになってもうすぐ3年になる。最初はカウンターなどで隣合わせになれば挨拶する程度の仲だったのだが、西潟さんの話に私が相槌を打つようになり、私の話に西潟さんが頷くようになってからは、いつも店の一番奥のにある四人掛けのテーブル席で向かい合うようになった。会話をしながら飲むようになってからはまだ一年くらいにしかならない。西潟さんは人懐こい外見と陽気な声質とは対照的にかなり人見知りなのである。


 今日も野球選手と女優が別れただの、暫定税率がどうしたのでガソリンスタンドが混んでいるらしい。ぜひ並びたいのだが、車を持っていないのにガソリンスタンドに行くのが恥ずかしいんだよね。そんな取り留めのない話をしている。「西潟さん車ないの?」「そうよ、だってさ、車があったらあちこち行きたくなっちゃって大変だよ、きっとね東へ~西へ~ってさ」。変な節で歌いながら答える。西潟さんがどっか行ってしまったら嫌だな私の知らない街で、知らない人と向かい合ってウーロン杯を飲む西潟さんを想って泣きそうになった。そしてこの店で、一人で飲んでいる自分の背中を想像してみた。寂しすぎる。一人は嫌だよ……。声にならない声を出してみる。「西潟さんはきっと、北に行っても南に行ってもウーロンハイと鳥のから揚げだね」 「そうだよ。安定供給・安心価格だからさ。全国どこにでもあるでしょう。もしもなかったらそこら辺の鳥を捕まえて食っちゃうよ」  グイグイグラスを傾けながら笑っている。

 これといったきっかけは無いけれど、ここ最近西潟さんにキュンとすることが多くて困っている。胸だけならいいけれど、子宮がキュッと鳴くのでこれは本物なのかなぁとぼんやり考えることが多くなってきた。


 日本酒を四本を空けたころには、やっぱりキュッと鳴いてしまって、私はその切ない鳴き声が周りの人に聞こえないように、と祈りながら酒を飲む。割り箸袋を折ってみたりする。興が乗ってしまうと蟹などを作ってしまう。可愛い箸置きになったね。そうね、西潟さんのも折ってあげようか。

 「さくらちゃんはお酒強いね。飲んでも顔色変わらないしペースも落ちない。口説こうと思っていてもいつも僕さ、先に潰れちゃうんだよ。追いつかないよ、実際さ」 「そんなこと言って、私に恋しているわけじゃなしさ、実際さ」 キュッと鳴きながらも大人の私。小娘じゃあるまいし、こんな常套句でうれしいようじゃダメだな。「いや、僕は結構好きなのよ、でもさ、さくらちゃんダンナさんがいるでしょ。メンドウは嫌いなのよ。悲しむ人がでるのも嫌でね。優しすぎるのかな。でもさ、僕はね、好きなのよ実際さ」。


 ふと西潟さんの隣の空きイスに風呂敷に包まれた細長い箱があることに気付いた。いつも手ぶらなのに珍しい。話題を逸らすにはいいきっかけだ。


「その箱、何が入っているの」 「これ、家宝だよ。そろそろいいなと思ってさ、さくらちゃんに見せてあげてもさ」 箱を撫でながらフフフッと笑った。「家宝なんてよく言うわよ。ヤモメさんのお家にさ、お宝があるなら見せてもらおうじゃないの。私はテレビの鑑定団欠かさず見てますからね。見る目が肥えてるのよ。」 「嫌だね~、何でもお金に換算しちゃってさ。でもお店の中では見せられないよ、なんてったってカホウだからさ、実際」フフフンと笑いながら追加注文をした。それから日本酒二合とウーロンハイを三杯飲み干したところで西潟さんが声をひそめた。「これを見るにはさ、儀式があるんだよ。僕は一年ぶり、さくらちゃんは初めてなんだからね。カホウなんだから儀式が大切。そろそろ始めよう。店を出ようか」 そういうことになった。


 ふらつく足で外にでるなり西潟さんは向かいのコンビニに行ってしまった。もう十一時を過ぎていた。今夜、夫は出張で留守だから、まだ帰らなくても大丈夫だろう。壁に寄りかかりながらこんなふうに家のことを考えている自分がつまらない。もっと酒に、西潟さんに酔ってしまいたい。

 西潟さんがガサガサとビニール袋の音をたてながら戻ってきた。中身を見るとワンカップ酒とつまみが少々、それにビニールシートが入っている。


「こっちだよ。おいで」言われるままにその角を右、左、まっすぐ進んで斜め右。千鳥足で絡み合いながら歩いてゆく。周りが寂しい景色に変わり、外灯の数も減ってきた。一人だったら怖くて歩けない、こんな道。でも西潟さんとならどこまでも歩いていきたい。どちらからともなく、手をつないだ。少ししっとりした大きな手。舐めたらきっとお酒のように甘いのだろうな。それともウーロンハイのように苦いのか……。さっきから何度か踏んでしまった足も、案外大きい。そんな些細なことでも西潟さんが男性であるという欠片を見つけてしまうと、ドキドキする。


「ここだよ」。 突然目の前に大きな壁が現れた。「この壁に目をつけていたんだ。分譲地のよう壁なんだけどね、売れ残ってるみたいでさ、このご時勢だしね。人が周りにいないからいいんだよ」。


巨大な暗いコンクリートに囲まれて、儀式という言葉を聞くと、空恐ろしくなってくる。一体何をするつもりなのか。私は三十にもなって、こんな飲み屋でしか会わないおじさんについて歩いて、どうかしてしまったのではないか……。


「ここに掛けよう。ここに広げよう」詠うようにいいながら少し湿った地面にビニールシートを敷き、細長い包み箱から一幅の大きな絵を恭しく取り出した。それは見事な桜だった。満開の桜が繊細な筆でダイナミックに描かれている。


「月明かりで見ると綺麗なんだよ、このカホウはさ。見とれちゃうでしょ実際さ」 儀式って桜の下での宴会なの?そうだよ。失礼でしょ、こんなに綺麗な桜と満月があるのに飲まないなんて。日本人はずーっと昔の平安時代も縄文時代もこうしてきたんだからさ」 言われて空を見上げると大きな満月。きっと満月はドキドキしながら西潟さんについて歩く私を静かに見下ろしていたのだろう。「縄文時代も桜はあったの?」あったさ、きっとね。

 ワンカップ酒を飲みながらの二人だけの花見が始まった。酔いがまわると口数も増えてきた。

僕はね、並びたいんだよ、ガソリンスタンドにさ、そして言うんだよ。「偉い人達!国民の声を聞きたまえっ!」。そこに丁度さ、テレビニュースの取材がきているんだよ。女性レポーターもね。綺麗な人だといいな。 でも西潟さんは車があると、私の知らないところへ行ってしまうんでしょ。私の知らない人とこうして酒を飲んでしまうんでしょ。「私は車で西潟さんが行っちゃうと嫌だな。だって一人で飲むと寂しいしね」桜の下なら平気だよ。寂しくないよ僕がいなくても、大丈夫だよ。「ダメよ西潟さん。そばにいてよ」。カップ酒をグッと飲み干した。飲まないと、酔わないと。ねぇ西潟さんも飲んでよ。


 風が強くて、雲の流れが速い。少し肌寒いけれど火照った身体にはちょうどいい。「ほら、桜が散ってきたよ。ワンカップの中に落ちているよ。カホウの桜を飲もう」。 西潟さん、これは絵だよね。絵の桜がどうしてひらひら降ってきたのかな。風が吹くだびに桜が舞っている。私は桜の花びらをお酒に浮かべて飲み干す。ワンカップを三つ空けたころ、西潟さんがゴロリと横になった。 「こうして桜を見上げると、さらに綺麗だよ。見てごらん」。 私も隣に横たわった。見上げると桜、満月、ときどき流れ雲。雲が満月の光を遮る瞬間、私と西潟さんはキスをした。明るいところではダメだよ。だって僕は日陰者なんだよ、いつでもさ。抱きしめられると西潟さんの鼓動が聞こえる。その鼓動は小川のようだ。私はその川を流れる笹舟。ゆらゆらどこへ流されるのか…。

 「絵の中に入りたいね。絵の桜が降ってくるのだからきっと入れるよ。ずっと春でさぁ、西潟さんと毎日お花見して過ごすんだよ」 「そうそう、この絵には入れるんだよ。でも入ったら最後、帰ってこられない。それにね、この桜はいつも満開じゃないんだよ。今だってヒラヒラと散っているでしょ。ずっと春なんてこと無いんだよ、実際さ」。 その後もたびたび雲がかかるとキスをした。


 西潟さん、去年は誰とカホウを見てたの?「野良猫とだよ。猫とお花見したんだよ。僕は優しいからね、ちゃんとキャットフードも用意してあげたんだよ。たけど寂しかったな」。来年も一緒に見られるかな。西潟さんはフフフンとだけ笑った。少し鼻にかかった声だったから泣いていたのかもしれない。

 月がだいぶ傾いてきた。「ミヤビミヤビ。でも、もうそこに朝がきちゃった。男はね、明るくなる前に帰らないと、それが貴族のお約束なんだよ」。 酔っ払い貴族がポキポキ関節をならしながら立ち上がる。長いこと横になっていたような気もするし短かったような気もする。酔いがまったく醒めていない。この酔いは酒のせいか、桜のまやかしなのか。ぼんやりした頭の片隅で考えてみる。どちらでもいい。これからきっと、私と西潟さんは手をつなぐ。そして酔ったまま少し涙を滲ませながら、どこかへ帰るのだろう。どこに帰ろうか、私、本当は桜の絵に帰りたい。足と手を絡めながら傾く月を追いかけていく。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 読ませていただきました。 二人の距離感が絶妙で良いですね。 設定もおもしろく引き込まれました。 それにしても二人とも酒強すぎですね(笑) では、今後も執筆、応援しています
[良い点]  不思議な桜の描写がきれいだなと思いました。やっぱり幻想的な花だなとしみじみしました。  ファンタジーでいいですね! 面白かったです \(^ー^)/ [一言]  お久しぶりです。いかが…
[一言] 好きになった人が人妻だったら、こういう付き合い方になるのかな…。さくらちゃんには物足りないかもしれないけれど、西潟さんがこういうスタンスでいてくれるから一緒に居られるのでしょうね。 でも、…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ