角明かし
6 握り飯
五番組のあの男は、私には高飛車な態度を取った。
流れるほどだった汗の訳は分からないが、なにか弱味を握られているに違いない。
私には、一方的に日取りを告げられ、話しは終わった。
屋敷に入り込む鎖の顔も分からず仕舞いだったし、紫を守るための、川蝉の動きの制限も気に入らなかった。
しかし、この男が下手人の本当の目的を聞き出してくれなければ、この仕事は終わらないのだ。
私は、紫の為の土産を買い、どう仕事を運ぶかを段取りしながら天神を目指した。
元締めが紫の名前をやたらと出したのは、私に対する戒めだろう。
結局紫が囮を務める事になってしまったこと、本人は喜ぶのだろうが、私は不本意だ。
心配でならない。
どちらにしても、まだ日があるから、明日からしばらくは、明現寺に出向く事にしよう。
和尚は、きっと厄介だと思うのだろうが、私はまだ仏に続く道に救いがあると信じていた。
学ぶほど、禅の中にある柔軟な心に引き付けられた。
厳しさは、大きな優しさに支えられていることにきづいたのだ。
だとしたら、人様に嫌われていることさえ、感謝してなくてはいけないのかも知れないな。
修行中の、未熟な私には無理なことだが。
考え事をしながらも、あられや、金平糖を買いながら、長屋を目指した。
私は、紫に嫌われたくなかった。
せめて、頼り甲斐のあるものに思われたかった。
周りの予想に反して、その感情は、劣情に結び付くものではなかったが。
陰陽の均衡を取るものがなんなのかはまだ分からないが、紫は私を真っ直ぐ立たせてくれる標石のように思えた。
もしも、鎖から解かれる幸運が訪れても、私は紫を自分のものにしようとは思わないだろう。
男女であるけれど、私と紫は同じものだと感じていた。
だから、余計に守りたいと思うのだ。
『今日は、ご機嫌が優れませんか?夜の丞の事、明かすおつもりかとひやひやしましたよ』
『お前も含め、ここには半人前の者しかいない。素人の番頭の方がよほどましだ』
おや酷い!私まで半人前とは!あの男は確かにそうだったが。
押しても成果があるようには思えなかったから、今日は退く。
これで良しとしよう。
厄介な仕事だが、旗本の隠居屋敷。
用心すれば、命のやり取りはしなくてすむ。
帰りに、夜の丞の舞台を覗いてみようか。
そんな気になった。
町のなかにはいつもの町人達が、飯を食ったり商売をしたり、変わらぬ町並みだ。
変わりがあれば、直ぐに分かるものだ。
見慣れぬ御棚や、奉公人、江戸屋敷の侍達の交代。
ただ歩き回るだけで、頭の中に蓄積されていく。
夜の丞の看板を眺めながら、町の様子にも目を配る。
観劇を止めて小屋までの道を歩き始めたのは、安普請の団子屋をみつけたからだ。
そこは、じい様が一人でやっていた蕎麦屋だった場所で、孫がどこだかの御棚で奉公していたはずだ。
確か誰かに貸す話を聴いていた。
団子屋なら、普請し直す事はないのに。
そう思ったからだ。
『お団子頂戴。ひとつお土産もね』
はーいと娘の声がした。
怪しくもないか?それならそれでよし。
借り手が見つかったなら、良き事だ。
ここの持ち主のじい様は、この前の人読みの時に見た相手だった。
ばあ様の腰が悪くて看病が大変なことを知って、孫が借り手を探していたところだったのだ。
出てきた団子も旨いし、心配ないか?
でも何かひっかかった。
誰かが気配を消している。
そいつの存在が知りたい。
私は、土産の団子を持って、じい様の長屋を目指した。
借り手がたしかな人間ならそれでよし、訳が分からないようなら、少し調べて見ようか。
じい様の長屋は、私の住む見世物小屋の先で、問屋の並ぶ小綺麗な横丁の手前だ。
蕎麦屋が流行ったせいで、暮らしは困っているわけではない。
孫の奉公人も、受け取った銭を全部じい様に預けるような堅物らしいから、心配なのは、地所の借り主だけだ。
半ば取り越し苦労だろうと、長屋の戸を開けた。
じい様が飯をよそり、汁と一緒に盆にのせているところだった。
奥の座敷には、もう灯りが点っていて、老夫婦の温かい日常が伺える。
『こんにちは、おばあさんの加減はどうですか?丁度お蕎麦屋の前を通ったら、団子屋になっててね。借り手を探してるって、ほらこの前ね、気になったもんだから』
『あらまぁ、水山先生じゃないか!いやなに、孫の話じゃ、若い夫婦者らしい。見ない顔だからどうだかって言ってたけど、とりあえす一月貸すって。でも何だか普請したってね。はじめから使う金があるなら、どっかに地所を見つけたらいいのにねぇ』
『そうですか。若い夫婦者ですか。夫婦者なら、まぁ家賃の心配はないでしょうね。頼りになるお孫さんがいるんだ。元さん、幸福者ですね』
『幸福者だなんて、ばあ様の腰が悪くてねぇ、それが心配でね』
幸福な人はいるものだ。
不幸な者ほど、人の幸福に敏感だ。
以前は落としてやりたいと思っていた私が、弟と出会った今は、人の為に尽くせるようになった。
それもまた、人生と言うものだろう。
『娘さんかと思ったが、女将さんか、私もたまに覗くようにしよう。じゃあお大事にね』
『ありがたい。孫も忙しいだろうから。助かりますよ、先生』
『先生だなんて、嫌だなぁ。ほんとは種子も仕掛けもあるんですよ。ないしょだけどね』
老夫婦には、なんの不便も無さそうだ。
後はこちらの事。
一先ず、小屋へ帰ろう。
団子屋で感じた不具合は、仕事が終わってから、ゆっくり解決することにする。
案外何処かから、逃げてきた駆け落ち者かもしれない。
鳶は何を捨てて行ったんだろう。
長屋の戸を開ける前、鳶は何かをごみ箱にそっと入れた。
まるで隠すみたいだった。
私は、だれにも言えないけれど、川蝉や、おさきさんや、鳶のように、親しく気心の知れた人の心が聞こえる時があるのだ。
私は鳶が心配だ。
それにさっきの、鳶の感覚は哀しみだったし、何だか心配だ。
覗いちゃいけないと分かっているけれど、私はごみ箱に近づいた。
ふたを開けると、笹の葉に包まれた握り飯らしきものが乗っていた。
ごみの上に、食べてもらえなかったおにぎり。
私は思わず手を伸ばした。
お坊さんの修業をしている鳶が食べ物を捨てるなんて!
熊笹の包みを開けてみると、おにぎりは、まだつやつやと美味しそうだ。
まるで私達みたい、誰にも知られず、ごみ箱の中で人生が終わるのを待っている。
私は、優しくて正しい鳶がごみになるのは嫌だった。
どんなに難しい勤めを任されても、鳶の力になって働いてやるわ。
私が潜り込んで、必ず下手人を見つけてみせる
。
紫は、しおむすびに食らいついた。
それは、紫の決意である。
怒りとも、哀しみともつかない感情が紫を支配していて、鳶に見られていた事に、最後まで気づかずにいた。