角明かし
5 顔合わせ
『紫さん、それじゃあ行ってきますよ!相手の都合で仕事は直ぐには始まらない。今日はゆっくりできるから、二人で夕げを味わいましょう。なにか買って帰りますから』
『うなぎとしじみを買ってあるわ!後は好きなもの買ってきて!』
何を怒ってるんだろう?わたし。
鳶は、家族でも恋人でも何でもないのに。
ましてや、好きだと思っている訳でもないのに。
同じ屋根のしたに暮らしても、共に鎖の1つとして生きるなら、繋がりは持てないのがさだめだった。
そう分かっていながら、紫の心は、徐々に変わって行った。
おさきさんの言葉は、図星だった事になる。
紫はわざと自分の気持ちには気づかない振りをして、日々をやり過ごしていた。
それに、正確にはおさきが心配していたのは、鳶の方だった。
年頃の男子なら、誰だって紫をどうにかしたいと思うだろうから。
『いつもすみません。それじゃあ今日は、煎餅でも買って帰ります。この法衣もぴったりだ。本当にありがとう』
鳶は鳶で、いつまで経っても変わらない。
訳の分からない答えしか返してくれなかった。
私を頼りにしない事この上無いし、いつも仕事をさせまいとする。
今度こそ、仕事をしてやるわ。
紫は、いつものように息巻いた。
郭の門の前に捨てられてから、今年で十六年。
御棚の仲間から声をかけられる年になっていた。
本当に、番頭の娘だと信じている者にとっては、可愛らしく優しい紫は、またとない良き花嫁候補だったのだ。
『じゃあ行ってきますよ!お前の舞台がひけてからにするから、安心してお勤めなさい!お師匠には、恩人が伏せっているから、少し帰るとでも言っておいた方がいい。少し長丁場になる』
『兄さんそれでいいのかい?あたしは大丈夫だよ!』
『心配しなさんな!さっきも言ったが、相手は知れてるんだ。ただ厄介なだけ。時間がかかるだけのことさ』
夜の丞は、安心したように頷くと、そのまま出て行った。
芝居の事は良く分からないが、弟には才能があるらしい。
何度か看板を見に行ったが、今では五枚目まで上がって来ている。
何事も起こらない事を祈る。
ただ、気まぐれの悪さが過ぎただけなら、それこそ千両箱で方が着くのだから。
弟と一緒の仕事で、命に関わる大仕事だけは、どうしても避けたい。
仕事の話しは、漏れたら首が飛ぶほどの大罪だ。
だから、元締めの別宅ですまされる。
その屋の主は、大黒屋の女将さんよりかなり年上だったし、綺麗でもない。
どうしてこんな人とと、誰もが思うような人だ。
元締めは、その人と会っても口を利かないし、入り浸っていると言う話も聞かない。
鎖の仲間達は、元締めにも秘密はあるんだと、そう思って納得していた。
この人と、元締めの濡れ場なんて想像が出来ないから。
別宅の主に通された離れの、お茶室には、ちらっとだけ見たことのある男と、元締めがいた。
おや、気の早い人だ。
口には出さなかったが、水山はそう思った。
自分の方が早く着くはずだったからだ。
元締めとも、八番組の鎖とも、あまり長話はしたくなかった。
自分と元締めで、できるだけ話をまとめておきたい。
そうすれば、弟の事も感付かれずにすむし、なにより有利に進められる。
でもまぁ、相手だって組の頭を努めている。
当然と言えば当然だ。
彼だって仲間の為、いい加減な気持ちじゃないって事か。
『やぁ二人とも、お早いことだな。仕事となるとそうも行かんのようだが』
何だか、いつもの様子ではないようだ。
元締めの言葉にトゲがある。
かそれでも、水山は、軽い口を利くことを止めなかった。
『いやぁお久しぶりです!三日も会わんと、そんな気が致しますわ!夜の丞とも話していたところで』
なんとはない挨拶のつもりだった言葉に、東次郎はなぜか噛みついた。
『余裕綽々じゃないか。水山先生!今度の看板も良い絵じゃないか!私はお前の絵も、夜の丞の舞台も大好きでね!早く次のが見たくて仕方がないんだ。えぃ?』
『嫌ですよ元締め。私は絵師には成れなかった身の上です。ちっとばかしのおふざけを咎められるとは、驚きだ』
水山は、八番組の男に弟の事がばれるのも気持ちが悪いと思いながら、東次郎の機嫌を見た。
『いやなに、ただの仕事じゃ無いじゃないか。まぁお前達は罪人じゃ無いから、我が儘ぐらい聞いてやるが。もう少し感謝してもらいたいね』
どうしてだか、東次郎の気が立っているらしいのは確かのようだ
それでも、鳶は何も言わなかった。
それが、彼の良いところであり、また欠点でもある。
恐らくは、鳶自身自分を信頼出来ないでいるからだろう。
最期の最期、命の果てるときに勝つのは、自分を可愛がれる人間だけだ。
このままでは、こいつは生き残れない。
東次郎の評価はそうであった。
『まぁ良いか!さっさと仕事の話だ。相手は知れてる。松平忠政様の江戸屋敷で起きている奇っ怪な事件を調べて欲しい。娘を拐っては、ひんむいて帰すって、例の事件だ』
『ちょっと待って下さい。ひんむいて帰すって!そんな仕事…』
『そんな仕事大切な妹にはさせられないかい?だったら、川越の仕事もおんなじだ。それだって、お前さんの妹が危険に曝されることにかわりないじやないか。決まりをつけずに戻るとは、とろくさいことだ』
『そんな!川越の仕事は、果たしたつもりです。元締めの命令は、伝えたつもりです』
『子供の遣いじゃないんだよ!はぐれものをどうするか、お前さんだって分かるだろう。何人いるか、頭は誰かくらいは調べて来なさいよ』
いつもの通りのやり取りだ。
この人も、私も罪人じゃ無いから、こうやって押さえ込もうとする。
勝手に怒らせておけばよい。
五番口組の頭はまだ経験が浅いらしい。
そんなに汗をかいたら、つけこまれる。
少し顔色を変えるくらいでちょうどいいんだ。
鳶は、東次郎が好きではない。
寺の和尚にも嫌われているのだと気づいた時には、深く傷ついたけれど、元締めのやり方にはすでに慣れていた。
『ひんむかれるのが嫌なら、その前に解決したらいいだけの事でしよう。違うかい鳶。そのために川蝉がいるんでしょう』
『分かりました。そんなこと絶対させませんから。水山さんもよろしくお願いいたします。中に一人入ってもらいます。腰元が先の病で減ったらしいから、一人入れるはずです。その辺よろしくお願いいたします。日時はおまかせしましょう』