夢を織るスキルは無能扱いで婚約破棄されたけど、蜘蛛の糸で夢の橋を架けたら国が滅んだ元婚約者が泣きついてきました
「無能な『夢織り』ギフト持ちのお前との婚約は破棄する!」
王城の大広間に、王太子アルフレートの声が高らかに響いた。
磨き上げられた大理石の床。ずらりと並んだ貴族たちの好奇と侮蔑の視線。その中心で、私は――シャルロット・フォン・エーレンフェルトは、静かに立っていた。
(ああ、来たわね。この日が。……で、その第一声、何回練習したのかしら)
内心、私はまるで他人事のように、その光景を眺めていた。
なにせ中身は四十路。前世で西陣織の下請け工房に三十年、糸と睨めっこしてきた職人・佐倉紬である。二十歳の令嬢の皮をかぶってはいるが、この程度の茶番で取り乱すほど、うぶな精神はしていない。
「お前の授かった『夢織』など、戦にも金にもならぬ無能ギフトだ! 私はもっと相応しい相手を選ぶ!」
アルフレートの隣で、栗色の巻き毛の令嬢がしなだれかかっている。男爵令嬢ミレイユ。鑑定S持ちの、可憐な顔をした女。
「あら、殿下。そんなにお怒りにならなくても……無能な方が去るだけですもの、ねえ?」
(無能ねぇ)
私は指先に絡めた一本の光る糸を、そっと撫でた。
(……この糸で吊り橋作ったら、余裕で戦車通せるんですけど。まあ、言っても信じないよね。鑑定ギフトが数値を読めないんだから)
夢織――人の見た夢や願いを糸に紡ぐ能力。誰もその価値を測れなかっただけ。強度、伸縮、光の反射。どれをとっても、現代の高性能繊維をはるかに凌ぐ『夢素材』だと、私だけが知っている。
「何か言い訳はないのか、シャルロット。泣いて縋るなら、今のうちだぞ?」
喚くつもりはなかった。むしろ、ちょうどいい。
「いいえ。何も。ただ一つ、確認させていただいても?」
「……なんだ」
「『戦にも、金にもならない』。――それが、殿下の最終的なご判断ということで、よろしいですね?」
「くどい! 何度も言わせるな、無能なギフトだと申しておる!」
いただきました。証言、確かに。
私は、ドレスの裾を優雅につまみ、一礼した。
「――わかりました。ギフトも、私も、この国には過ぎたものでしたね。お暇いたします」
静まり返る大広間。
「……は? お前、いま、なんと」
怒鳴りもせず、涙も見せず、ただ淡々と背を向けた私に、アルフレートは一瞬、言葉を失ったようだった。
(さて。じゃあ本気で糸を織れる場所を、探しに行きましょうか)
三十年、報われなかった。だが、それも今日で終わりだ。
「三十年、報われなかった。……でも、それも今日で終わり。皆様、どうかお元気で」
***
――同刻。大広間の隅、柱の陰。
ミレイユ・ド・ソラントは、扇の陰でくすりと笑っていた。
(……行っちゃうの? あの糸の価値も知らずに? ふふ、バカな女。せいぜい田舎で野垂れ死ぬといいわ)
鑑定S。それが彼女のギフトだった。あらゆるものの価値を、数値として読み上げる高位の能力。
だからこそ、彼女だけが気づいていた。シャルロットの織る糸の、異常な価値に。
(あの女、自分の糸の価値をわかってないのよ。無能扱いされて、のこのこ出ていくなんて)
鑑定の際に読み上げた数値を、彼女は今も忘れられない。強度、耐久値、魔力伝導率――どれも規格外。そこらの国宝など足元にも及ばない、まさに戦略物資。
(婚約破棄さえ成立すれば、あの女は用済み。糸の製法さえ奪ってしまえば、あとはこっちのもの)
アルフレートをたぶらかすのは簡単だった。目先の『役立つ・役立たない』でしか物を見られない、単純な男。
彼女は知らなかった。
夢織は、シャルロット本人にしか扱えないということを。価値を測れても、決して再現はできないということを。
奪えば自分のものになると信じた、その浅はかさが――やがて自分自身を滅ぼすということを。
まだ、誰も知らない。
***
辺境の渓谷都市、レント。
深い峡谷で二つに引き裂かれた、貧しい街だった。
対岸には豊かな鉱山。だが、その間を隔てる峡谷は魔物の巣で、橋を架けようにも職人が近づけない。人々は指をくわえて、届かぬ豊かさを眺めるしかなかった。
そんな街道の外れで、私は――見事に行き倒れていた。
(うっ……お金、底をついた……。令嬢の路銀って、こんなに脆いのね……)
公爵家は私を持て余していた。だから追い出されるように、この辺境まで流れてきたはいいものの、旅慣れない体はあっさり限界を迎えた。
薄れゆく意識の中、地響きのような足音が近づいてくる。
「……おい。生きてるか」
低い、腹に響く声。
見上げれば、身の丈六尺半はあろうかという大男。首筋と手の甲に赤銅色の鱗が走っている。竜人だ。強面。鋭い眼光。控えめに言って、山賊にしか見えない。
(あ、これ死ぬやつだ。糸織る前に死ぬやつだ)
覚悟した私の前に、ぬっと差し出されたのは――
湯気の立つ、木のお椀だった。
「……スープだ。飲め」
ぶっきらぼうに。だが、確かに温かい。
「あ……ありがとう、ございます」
震える手で受け取り、一口すすると、じんわりと体に染み渡った。塩気の効いた、素朴な味。
「……この街の外れで倒れるやつは珍しくない。放っておくと魔物の餌になる。それだけだ」
眉間に深い皺を寄せて、彼は目を逸らした。
(いや、優しいじゃないの。顔は怖いけど)
「私はシャルロット。……あなたのお名前は?」
「ガルド。ガルド・ドラケンハイム。この街を守ってる騎士だ」
守ってる、というわりに、彼は少しだけ寂しそうに峡谷の対岸を見た。
「守れてるとは、言えねぇけどな。……この街は、じきに終わる」
分断された街。届かぬ希望。
私は、スープの椀を握りしめた。
(――対岸へ、渡りたい。ねぇ。それって、みんなの『願い』でしょう?)
指先の光る糸が、ぴくりと震えた気がした。
***
「――長生きはするもんだ。こんな糸を拝める日が来るとはな。嬢ちゃん、これをどうやって作った?」
冒険者ギルドのマスター、ドグラス・ヘッセンが唸った。五十代、熊のような偉丈夫が、度の合わない片眼鏡をかけ、震える手で私の織った糸を掲げている。
ことの始まりは、街の人々の願いを織り込んだ、一枚の漁網だった。
『対岸へ渡りたい』『家族を食わせたい』『この街を、もう一度豊かにしたい』
願いが強いほど、糸は強靭になる。それが夢織の真価。
私はまず、街を囲むように魔物避けの糸を張った。魔物は糸の結界に近づけず、街に静かな安全が戻った。次に、その糸で漁網を編み、防具を仕立てた。
「切れないんだよ、この網が。魔物の牙でも、剣でもだ」
ギルドで換金しようとしたら、この騒ぎである。
「企業秘密です」
(前世の撚糸技術と夢織のかけ合わせ、なんて言っても伝わらないしね)
ドグラスは正式な鑑定にかけ、そして絶句した。
「……規格外だ。値がつけられん。国宝級……いや、それ以上だぞ、これは」
周囲の冒険者たちがどよめく。
「無能ギフトなんて、どこのどいつが言ったんだ、こんなもんを!」
私は、思わず小さく笑ってしまった。
(無能ねぇ。ようやく、正しく測ってくれる人に出会えた)
三十年。前世で誰にも評価されなかった技術が、今、初めて正当な値をつけられた。
胸の奥が、じんと熱くなる。
「さる、見る目のない王太子殿下ですわ。……ドグラスさん、私、この街に橋を架けたいんです」
「橋だと? あの魔物の巣を越えて、対岸へか?」
「ええ。この糸で。人と人を、つなぐ橋を」
ドグラスは片眼鏡の奥で、目を細めた。
「……がめつい俺が言うのもなんだが。嬢ちゃん、あんた、いい職人だ」
傍らで、十歳の孤児の少女――ノラが、きらきらした目で私を見上げていた。
「糸のおねえちゃん。ほんとに? ほんとに、対岸に行けるの……?」
私は、彼女の手首に切れない糸のブレスレットを結んでやった。
「ええ。あなたの願いが、いちばん強い糸になるのよ、ノラ」
***
峡谷に、風が吹き抜ける。
街中の人々の夢を織り込んだ糸は、朝日を受けて七色に輝いていた。
「……本当に、行くのか。落とすなよ。落ちたら、俺が拾いに行くからな」
ガルドが、翼を広げながら唸る。赤銅色の鱗が、緊張でわずかに逆立っている。
「あら。心配してくれるの?」
「……うるさい。行くぞ」
照れ隠しにぶっきらぼうに言い捨てて、ガルドは大きく羽ばたいた。
糸を咥え、風を切り、峡谷を越えていく。
見守る街の人々。祈るように手を組む老人。息を呑むノラ。
そして――対岸の岩に、糸が結ばれた。
一本、また一本。
人々の願いが、光の橋となって、二つに引き裂かれた街をつないでいく。
最後の一本が張られたとき。
峡谷の上に、まばゆい橋が架かった。
夢を織った、蜘蛛の糸の橋が。
「……橋が」
誰かが呟いた。
「橋が……橋が、架かった!」
ノラが叫んだ。そして、真っ先に駆け出した。
小さな足が、橋を踏みしめる。しっかりと。決して、落ちない。
「わあ……! わあ……! おねえちゃん、渡れたよ! ちゃんと、渡れたよ!」
子供たちが後を追い、老人たちが、涙を流しながら渡り初めをする。
何十年も、届かなかった対岸へ。
「よかった……生きてるうちに……渡れる日が来るとはなぁ……」
腰の曲がった老人が、橋の上でむせび泣いた。
その隣で。
ガルドが、そっと目元を拭っていた。赤銅色の鱗が、薄紅色に染まっている。
「ガルド、あなた、泣いて――」
「……砂だ。目に砂が入った」
「……そう」
私は、笑いをこらえた。
峡谷を渡る風が、七色の橋を優しく揺らす。
(――佐倉紬。あなたの三十年は、無駄じゃなかったのよ)
指先の光る糸が、朝日を受けて、静かに輝いていた。
***
夢の橋は、物流を生んだ。
渓谷都市レントは、対岸の鉱山とつながり、瞬く間に交易の要衝として急成長した。
私の糸は、各国が奪い合う戦略物資となり、いつしか人々は私をこう呼ぶようになった。
――『糸の聖女』と。
(聖女ねぇ。中身四十路の元・下請け職人が、ずいぶん出世したものだわ)
そんなある日。
街の門前に、みすぼらしい馬車が一台、停まった。
降りてきたのは――見覚えのある二人だった。
「シャルロット……! ああ、シャルロット、会いたかった! 頼む、糸を売ってくれ! 王国は、もう限界なんだ!」
王太子アルフレート。かつて婚約破棄を高らかに宣言した、あの男。
だが、その姿は見る影もなかった。得意げに掲げていた宝石の指輪は、指から消えている。質草に消えたのだろう。
その後ろに、青ざめたミレイユ。
「シャルロット様……お願いです、どうか、あの糸を……! 私、私はただ、数値を読み上げることしか……!」
夢織を失った王国は、代替の糸を作れなかった。ミレイユの鑑定Sは、価値を読むだけ。生み出すことも、育てることもできなかった。詐術も、とうに露見していた。
他人の才能を奪えば、自分のものになると信じた女。その浅はかさが、今、彼女自身を滅ぼしていた。
私は、糸を紡ぐ手を止めなかった。
ただ、静かに顔を上げて、二人を見た。
喚きもせず。責めもせず。淡々と。
「……無能なギフトでしたよね?」
「え……」
「戦にも、金にもならない。そう、おっしゃいました。大広間で、大勢の前で」
「そ、それは……あの時は、私も気が動転していて……!」
アルフレートの顔が、みるみる青ざめていく。
「無いものは――お売りできません」
静寂。
風が、七色の橋を渡っていく。
「そんな……待ってくれ、シャルロット! 私が悪かった! あの時は――」
「お引き取りを」
私は、再び糸に目を落とした。
もう、彼らを見ることはなかった。
(この糸で吊り橋作ったら、余裕で戦車通せる。……ほら、言った通りになったでしょう)
失ってから気づいても、遅いのだ。
三十年、黙って評価を待っていた私が、いちばんよく知っている。
***
王太子たちの馬車が去っていったあと、街には、いつもの穏やかな時間が戻ってきた。
私は工房で、いつものように糸を紡いでいた。
隣には、ノラ。切れない糸のブレスレットを揺らしながら、私の手元を食い入るように見つめている。
「おねえちゃん、そこ、どうやって撚るの?」
「こうよ。指の腹で、優しく。糸に、願いを聞くの」
「願いを、聞く……」
真剣な横顔。
(技術を継ぐ者、か。……前世じゃ、下請けのまま終わったのにね)
報われなかった三十年が、こうして次の誰かへつながっていく。
それだけで、この人生は、生き直す価値があった。
「シャルロット。……その」
工房の入り口で、ガルドが立っていた。
いつものように、眉間に深い皺を寄せて。だが、その頬が――赤銅色の鱗が、うっすらと薄紅色に染まっている。
「あら、ガルド。どうかした?」
「……ここに。ここに、いてくれ」
言いよどむ。大きな手が、所在なげに宙をさまよう。
歴戦の竜人騎士が、峡谷の魔物を単騎で狩る男が、たった一言に、これほど苦戦している。
「ここに……?」
「お前の織る夢が……俺、好きだ」
工房に、静寂が落ちた。
ノラが、目を丸くして私とガルドを交互に見る。
私は――思わず、微笑んでしまった。
(四十路の胸が、まさかこの歳でときめくとはねぇ)
指先で、そっと糸を撫でる。光る糸が、優しく震えた。
「ええ。私、この街の夢を織るの、性に合ってるみたい」
ガルドの鱗が、耳の先まで真っ赤になった。
「……っ、砂だ! 目に!」
「ふふ。今日は、風もないのに?」
「うるさい……!」
「おねえちゃんとガルドさん、なんだか鱗、おそろいの色になってるよ!」
ノラが、けらけらと笑った。
窓の外では、七色の橋が、今日も人と人をつないでいる。
前世で報われなかった職人が、異世界で、糸を、街を、そして人の心をつないで、生き直す。
解放と、自立と――ささやかな恋の、予感。
(さて。次は、どんな夢を織りましょうか)
私は、また一本、新しい糸を紡ぎ始めた。
この街の、明日の夢を。




