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第36話 ギンロシの大陸の仙人⑩


 ライオンヘアーのゴリラ体型の男の名前は、エヌロクと言った。


 その風貌は野生そのもので、時折、本物の野獣と見間違われることすらあるが、歴とした人間だ。もっとも、その中身が人間の枠に収まっているかは怪しいところだが。


 彼は生まれつき常識を破壊するほどの怪力を持って生まれた男で、幼少期から青年期にかけて彼が積み上げた武勇伝は数知れず、もはや凄惨な叙事詩に近かった。ここ気聖の地においても、まだ気聖を身に宿さない時から気聖使いと闘いそして勝利を収めたという信じ難い伝説を残していた。


 ただただ、純粋なまでに強い男。


 そんな彼が天井の山の6号目まで辿り着いのは僅か1年の事であり、それはハムラの実に5分の1の年数であり、その偉業に対して彼は曰く「ただ前に進んで敵を倒し続けていたらいつの間にかそこに居た」との事だった。その強さは先程の通りであり、新聖気のハムラを簡単に一蹴する程であった。


 そんな彼はこの日、ハムラが魔獣やら謎の女子高生やらと色々とあったこの日、天井の山で仙人を除いた中で最強と呼ばれている3人の内の1人をついさっき倒したのであった。


 そうあの時、ハムラと遭遇した際に彼の拳にへばりついていたあの白目の男。あれこそがこの山の誰もが恐れる……いや、恐れた最強の1人だったのだ。


 最強を喰らい、エヌロクは今、現在の気聖使いにおける頂点に立った。


 ──故に、彼は当たり前に、そして本能的に渇望する。

ならば次はこの地の主だろ、と。


 ロシ仙人。


 直情的で、今までに一度も負けた事がない彼に待つという選択肢はなかった。


 そして、そうと決まればエヌロクの行動は早かった。


 今すぐ。


 最強との激闘を終えたばかりの肉体は、至るところが裂け、骨も軋んでいて満身創痍(ハムラとの闘いは体力が少しも消耗していないので無関係)だ。だが、今の彼は苦痛など微塵も感じていなかった。奪い取ったばかりの最強の気聖が全身を駆け巡り、脳髄を焼き、神経を狂わせるほどに滾らせていたからだ。


 これではまるで空腹のあまり理性が消えてただ食欲のみで動く野獣だ。いや実際にそうなのだろう。何故ならエヌロクの全身から噴き出す気聖は、周囲の空間を歪ませるほどの殺意の熱量を帯びているのだから。


 手負いの獣が最も獰猛であるように、今の彼は、残酷に、そして圧倒的に仕上がっていた。



 ◇◇◇



 天井の山の頂上ではミヨクがまだ仙人と雑談をしていて、ゼンちゃんとマイちゃんは飽きずにまだ泳いでいた。


「ところでお前、ずっと風呂に浸かっているけど、のぼせたりしないのか? 俺と話を始めてから2時間くらいは経ってるぞ」


 ミヨクがそう言った。


「ホッホッ。その前から入っているのでもうかれこれ4時間になりますよ。けれど心配は無用です。儂は気聖を使って体温調整とか自由自在なのですから。だから猛吹雪の時とかでも真っ裸で眠ったりしますよ」


 体温調整が自由自在な仙人。ミヨクはそれを、それは人間としてどうなんだろうと思いつつも、猛吹雪の時に真っ裸で寝るのってどんな気分なのだろうかと興味をそそられていると、ふとある異変に気付き、続いてゼンちゃんも泳ぐのを止めてミヨクに視線を向けてきた。


「ミヨク、なんかスゲーのが近づいてきてるぞ」


「うん、そうだね。凄い殺気だね。ゼンちゃんよく分かったね」


 マイちゃんは何も気づいていないようで、まだ楽しそうにバシャバシャと泳いでいた。


「へへ。そりゃそうだ。なんてったってオイラはマイより50年くらい年上だからな。このくらいの事は分かっちまうぜ。へへ」


「うん、そうだね。でも相手が魔法使いじゃないのに大したものだよ」


「へへ。そうか? へへ。大した事ねーよ。へへ」


 ゼンちゃんが珍しく照れ笑いをし、ミヨクもなんだか嬉しくなり、仙人に視線を移すとこう言った。


「って事で俺は、そろそろ世界の時間を止めて山を下りるよ」


「……おや急ですね?」


「そりゃあね。どう考えてもお前の客だろ? 俺は邪魔したくもないし、邪魔になりたくもないからな。でも、あれだな……いるんだなお前に闘いを挑んでくる気聖使いって? 殺気って事はそういう意味だろ? 俺はお前って基本的にはこの大陸にとって良い存在のようなものだと思っていたから、ちょっと驚いているよ」


 仙人の気聖による恩恵によって人が集まり栄えた大陸。更には魔法を使えない普通の者たちの強化も担うという正に救世主のような存在。


「ホッホッ。それはいますよ。人の考え方は色々ですからね。ただ気聖使いで多いのは、ある程度まで強くなったら国に戻って王に使える者や、国に雇われて戦闘員になる者、このままこの地での闘いが好きになり残っている者、の3択でしょうかね。儂に挑んでくる者は稀ですが、でも儂はそれをとても楽しみにしているんですよ。だってここまでの道のりは相当に長いですからね。儂の気聖で人がどれ程の成長を遂げたのか。それを確認できるのは嬉しいじゃないですか。ホッホッ」


「……なるほどな、お前がそれで満足しているなら俺はそれでいいんだ。ただ“俺は戦うのが嫌だから時の魔法使いになった”から、お前はどうなんだろうと思っただけで。まあ、でも分かったよ。俺もラグン・ラグロクトの件で忙し……いや凄く忙しい訳じゃないけど、ほどよくは忙しいから行くよ。どうせお前は今の見た目からもまだまだ長生きしそうだから、また来るよ」


「そうですか。儂はここから動けないのでそう言っていただけるのは嬉しいのですが、そうですか……分かりましたミヨク、それにゼンちゃんとマイちゃんもまた会いに来てください」


「うん。じゃあ、また。ただその時はその悪趣味(水着姿の笑顔のファファルたち)なのは無しだから」


「えー、儂のFF軍団は駄目ですか?」


「FF……って、やっぱりファファルじゃないかよ!! ま、いいや。殺気の主がすぐそこまで来てるから、じゃあね」


 ミヨクはそう言うと、ふと、急に、突然、仙人の前から消えた。


 時の魔法。


「ホッホッ」


 仙人は一つ笑い、それから温泉の中のFF軍団を全て消した。


「……久しぶりの挑戦者です。儂も出迎える準備をしますか」


 仙人は温泉から上がり、白い褌を冬の風に靡かせた。そして、ほんの一瞬、その老いた肉体に圧を加えた。


 刹那、天井の山全体が震えた。


 仙人の足元から全方位に向け、目に見えるほどの衝撃波が爆発的に迸る。


 1メートルは優に積もっていた新雪が、まるで意思を持って逃げ出すかのように一気に吹き飛ばされ、山頂の岩肌が剥き出しになった。


「ホッホッ」


 静寂の中で、仙人はただ1人、飢えた野獣の到着を嬉しそうに待った。


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