♡ チョコレート ♡
休み時間のざわめきが、校舎の中にこもっていた。
上からも、下からも。
声と足音が、階段に反響している。
俺は、その階段に座っていた。
段の縁に腰を下ろして、背中を少し壁に預けて。
両隣には、二人。
一人は、ちょっと太めで、やけに落ち着いた雰囲気のやつ。
もう一人は、細くて、なんでも知ってそうな顔をしてるくせに――たぶん、チーズ臭い。
ベアーと、マウス。
今日はどういうわけか、三人の中で俺が一番注目されてるらしかった。
……理由は、考えないことにする。
たぶん、この二人が、俺にとって一番それっぽい存在なんだと思う。
いわゆる、親友、みたいなやつ。
ただし。
こいつらは、空気も読まずに、いつでも好き勝手なことを口にする。
それが、致命的な欠点だけど。
……まあ。
慣れてるから、いいけど。
「なあ、兄弟。
一つだけ忠告してやるけどさ。
女の子ってのは――チョコレートみたいなもんなんだよ、兄弟。マジで」
……ベアーは、何かを食べてる時――
というか、だいたいいつもだけど――
なぜか「兄弟」をやたら連呼する。
「……それって、どういう意味だよ。ベアー」
俺は段の縁を見つめたまま言った。
まだ、頭の中はぐちゃぐちゃだった。
「さあな」
ベアーは、黄色い菓子パンをもう一口かじる。
「でも、チョコはうまいだろ」
もぐ。
「……んま」
「いやいや、ベアー。
お前が女の子に興味示すの、初めて見たんだけど」
マウスが、いつもの調子で口を鳴らした。
歯と唇を、かちかち鳴らしながら。
「……は?
いや、違うだろ、兄弟。
女の子の話なんて、してないし」
「してたよ。ベアー」
「あ。……ああ、ほんとだ」
一拍。
「まあ、でもさ。
ただ、チョコ食べたくなっただけだ」
その瞬間、頭の中に浮かんだ選択肢は――
全部、逃げるやつだった。
走る。
消える。
雷に打たれる。
階段を転げ落ちる。
……いっそ、花火でも使って、ここから吹き飛べたらいいのに。
それから、ふと思った。
……まあ。
腕とか、脚とか、胴体とか。
ずっと美雪がくっついてくるよりは――
今のほうが、まだマシかもしれない。
そう考えたら、少しだけ落ち着いた。
……でもさ。
よく言うだろ。
「来てほしくない人のことを考えるな」って。
考えた瞬間、呼ぶんだよ。
即席カルマ。即発動。
――そして、その通りになった。
背後。
階段の、上のほう。
足音が、一つ。
振り返る前に、分かった。
……いた。
実際のところ。
説明は、これだけで足りる。
美雪は、俺たちの後ろ――
同じ階段を、上から下りてきて。
そのまま。
何の前触れもなく。
背後から、俺を抱きしめた。
首に、腕。
背中に、体重。
段差ごと、ぴったり。
あったかい。
……あの、嫌なあったかさ。
俺は、それが嫌いだ。
「チョコレート?」
腕を組んだまま、ベアーが誇らしげにうなずいた。
「そうだ。チョコだ」
美雪は、そのまま一段下りてきて。
俺たちと、同じ高さに来た。
……近い。
距離感がおかしい。
ベアーとマウスは、反射で少しだけ体を引いた。
踏まれるというより、
押しつぶされるのを避けるために。
……正直に言うと。
あいつ、たまに加減を知らない。
「たまに」って言ったけど。
かなり、だ。
俺は反射で、体を強張らせた。
離れたいのに、離れないやつ。
……分かるだろ。あれ。体が勝手にやるやつ。
正直。
体が自動でやってくれるなら、もっと別のこともやってほしい。
たとえば――
「これは、お前が思ってるようなやつじゃない」って、ちゃんと伝えるとか。
でもまあ。
残念ながら。
生物学は、そこまで進化してない。
「ほんとに、そんなにチョコが好きなの?
りゅーじくん」
「そうそう。
りゅーじ、かなりチョコ好きだよな」
マウスが口を挟んだ。
にやっとした笑み。
眼鏡の奥が、妙に光って見えた。
「間違いない」
すぐさま、ベアーが重ねる。
「もう、チョコまみれだろ」
……最悪だ。
気づいた時には――
美雪は、バッグを探っていた。
どうやら、俺たちの一段後ろ。
……いつの間に。
気づかなかったのが、逆に怖い。
そして、都合よく。
本当に、都合よく。
チョコレートを取り出した。
……一本じゃない。
板だ。
まるごと、一枚。
包みを開いて、
ぱきっと割る。
三かけずつ。
順番に。
「いる?」
まずは、ベアーに。
「うおお、ビッグ! 見ろよこれ!!
りゅーじ、お前の彼女、最強じゃん!!」
ベアーはそう言いながら、
三かけのチョコを受け取った。
三歳児が、棒付きキャンディをもらった時みたいな顔。
なのに、テンションだけは路地裏の不良。
マウスも、同じく三かけを受け取る。
「……ありがとうございます」
妙に控えめな声。
さっきまでの顔を知ってる身としては、信用ならない。
そして――
最後に、俺。
三かけ。
差し出される。
……取ろうとした、その瞬間。
すっと、手が引かれた。
「だーめ」
「だめだよ、はーにー」
そう言って、美雪は――
その三かけを、そのまま口へ。
がぶ、じゃない。
軽く、かじるだけ。
三かけ全部。
半分、外に出たまま。
その状態で、平然と。
「……ほら。食べて」
正直。
あれに、ちゃんと返事をする気力はなかった。
だから――
小さく、ため息。
指先で、
美雪の口からはみ出てる部分をつまんで。
てこの原理。
ぱき。
二つに割って、
つまんだほうだけを、口に入れた。
「……いや。いい」
結局――
食べるしかなかった。
一口、かじる。
それで、美雪は満足したらしい。
また、俺の腕に――ぴったり。
……戻ってきた。
「教科書通りだな。チョコ好き」
「うん。
相当、チョコ好き」
ベアーとマウス。
二人とも、助ける気はゼロ。
むしろ――
完全に、楽しんでる。
……やめてほしい。
普通に。




