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 三限目の授業が、車窓の風景のように流れていく。

 出席こそしたものの、今の鮒木には無関係の事象だった。

 昨日、腹底に引火した何かは、今や溶岩と化していた。

 ありえない敗北と、最後の銀崎の台詞が甦るたび、やり場のない怒りが蒸気のように脳裏を焼く。他者とコミュニケーションを取らずに生きてきた鮒木にとって、それは生涯最大に等しい屈辱だった。

 鮒木がにわかに現実を認めがたいのも、無理はない。

 半年もの間、寝食を削り、マインスイーパに打ち込んできた。

 やり込みすぎたと、自嘲するほどだった──実際、ネットで稀に見かけるマニア達の記録と比べても、鮒木のタイムは遜色ない。法学部主席、生徒会サークルとヨット部を兼部する多忙な人間が、片手間でやっているレベルなど、とうに追い抜いてしまったと考えた鮒木の判断は、そう責められたものではない。

 銀崎に圧勝し、かすみを奪う権利を与えられながらも、何も求めることなく、その場を後にする──勝つことを前提にした、自己愛過分なそんな未来を描いていた昨日の自分に殺意すら覚えた。

 かつてない怒り──だがそれは、今に始まったものではない。



 大学入学以前──公立高校時代。

 今と同じ、小太りの体格と内向的な性格から「オタク」と陰口され、学校生活を孤独に過ごす少年がいた。

 同じクラスには、天真爛漫で面倒見の良い少女がいた。当時から誰にでも好かれる、大輪の花のような存在だった。

 湖の上澄みと泥土のように、生涯交わることはないと思われた二人は、美術の授業で初めて、言葉を交わす。ペアとなった少年の描いた自画像に感激した少女は、「ファン一号になる」と宣言したのだ。

 少年が幼少から絵を描いていたと聞いて、少女はさかんにその絵を見たがった。パソコンで描いているからと断った際には、家に押しかけるとまで言い出したほどだ。少年が必死に断ったのは、気恥ずかしさと人慣れしない故だったが、悪い気のするはずもない。

 以後、少年はイラストを描き上げてはプリンタで印刷し、定期的に少女を訪れるようになった。

 普段は自分の手の届かぬ、グループの中心的な美少女が、その時だけは少年に寄り添い、目を輝かせて話を聴いてくれる。

 思春期の少年にとって、それが特別な意味を持つようになることに、長い時間はいらなかった。

 少女の期待に沿うべく、少年はイラストに没頭した。文字通り寝食を忘れる熱中ぶりだった。受験が近づいてからは流石にペースを落としたが、それは少女と同じ大学に通うのに必要な、学力向上に時間を割いた結果だった。人知れぬ情熱を勉学に注ぎ続けた末、少年は、一ランク上と評された大学に合格した。入学式で再会した少女は目を丸くしたが、少年が同じキャンパスに通うことを祝福してくれた。

 これが小説や脚本ならば、地味な少年の恋物語の幕開けとして申し分なかっただろう。

 しかし、現実は残酷だった。

 時間割も決まり、大学の授業にも慣れてきた五月中頃。

 少年こと鮒木は、少女こと横井かすみから、まったく唐突に恋人が出来たことを知らされた。

 相手は代議士の息子で法学部主席の秀才肌。ヨット部のホープとして期待され、学内に友人を持たない鮒木すらその名を知る有名人だった。

 「おめでとう」の一言が遅れた理由を、悟られずに済んだのは幸運か。そうではないのか。

 その日の帰り道、鮒木はイラストを全て破り捨て、川に流した。

 生涯、絵など描くまいと決心し、今に至る──


「……ここは試験に出すから、メモを取るよう──」

 音量を上げた教授の声が、鮒木を教室に連れ戻した。

 重要発言を受け、にわかに騒がしくなった大教室の端に、かすみと銀崎の横顔を見つけた。かすみとは時間割をほぼ合わせていた。授業のたび、同席する二人の姿を、後半年は見なければならない。

 絵筆を折った後、鮒木からかすみに話しかけることはなくなった。無邪気なイラストの催促も、曖昧な返答で断り続けた。ささやかな復讐でもあった。

 それでいて、教室に入れば、かすみの姿を追う自分がいる。

 近すぎず、遠すぎない席を取り、耳でかすみの声を追う。

 マインスイーパを始めたきっかけも、同じだった。

 級友との会話で銀崎が話題となった折、全方位の才能の例えとして、俎上に載せられた、無価値の象徴。

「銀崎くんは、マインスイーパもちょー上手いの」

 誇らしげなかすみの笑顔の輝きは、今でも憶えている。

 それは、語るのも恥ずかしいきっかけだった。

 マインスイーパでの勝利に、価値を見出す者など皆無だろう。

 だが、鮒木はそれでいいと思った。

 だからこそ、絶対に負けられない。

「では、次に別冊のOOページを開いて──」

 バタバタと周囲は教科書を取り出し始める。鮒木も鞄を開いたが、その目的は違った。

 ──いいとも。次は遠慮なしだ。

 黒く重い、拳銃のようなマウスが、その手にあった。

 ──二回戦は全力で取る。決勝戦でねじ伏せる。

 天才が何だ──俺なら、出来る。

 手に馴染んだ感触が、自信を甦らせる。

 マウスを戻した鮒木の指が、教科書でない何かに触れ、停止した。

 ルーズリーフに並んで鞄に収まった、大判サイズの箱。ビニール袋に包まれたそれは、あの日、捨て損ねた唯一のものだ。されど持ち帰る気にもなれず、あの日から鞄の片隅を占めている。

 自分にとってのマインスイーパは、これと同じなのだと、ふと思った。

 銀崎に勝てば、きっと捨てる気になる──そう思った。

 

 

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