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 絵を描き始めたのは、いつの頃だった?

 鮒木は自問する。ペンタブを手に、繰り返し円を描きながら。

 制限時間の前半──鮒木はマインスイーパに触れなかった。

 描画ソフトで、ただただ円を繰り返す。当たりのついた円は次第に太り、轍は道に変わっていく。

 背後に立つ銀崎は、何も言わない。

 ライバルが三歳で始めたマインスイーパ。自分はその頃、何をしていただろうか。

 そう──絵を描いていた。

 ペンタブではなくクレヨンで、あらゆる物を描いた。目に付く物は全て、いや、想像の産物まで絵にした。クレヨンはやがて鉛筆になった。ペンタブを買ってもらったのは9歳の誕生日だった。

 漫画を読み始めた頃、神と称された漫画家の存在を知った。彼はフリーハンドで真円を描けたという。それからは暇さえあれば丸を描いた。真円になるのは稀だったが絵は上達した。

 毎日、休むことなく、描き続けた。

 手を止めなければ絵は完成する。それと同様に、いつか自分も辿り着けると信じていた。かすみに振られ、絵筆を折るまでは。

 その時間、十五年。奇しくも銀崎と同じ年月。

 それが鮒木の見出した、唯一つの勝機だった。

 芸事は、一日休めば自分で判り、二日休めば師匠に知られ、三日休めば客に判るという。半年のブランクを取り戻すには、圧倒的に時間が足りない。それでもやるしかなかった。

 悩みながら、手を動かせ。

 鮒木は微笑した──それもマインスイーパの真理の一つだ。

 手応えに変化が生じたのは、五分が経過してからだった。

 無数に描かれた円の軌跡に浮かぶ、真実のライン。意識せずとも手がそれをなぞるようになった。かつて手に馴染んだ感触だった。

 一旦、キャンバスをクリアし、真っ白な画面にペンを走らせる。

 刳り貫いたような会心の円が生まれた。手首、指、ペンが繋がり、一体化する感覚があった。

 鮒木は息を吐いた。

 マインスイーパのおかげだと思った。半年、手を遊ばせていたなら、こうはいかなかっただろう。

 ──やれる。

 描画ソフトを消し、鮒木は改めて地雷原に戻った。

 マインスイーパは、突然上手くなるような底の浅いゲームではない。

 地力の異なる銀崎に短時間で拮抗するには、常識を超えた挑戦が必要だ。そして銀崎の神眼に匹敵するような、超常的な武器が。

 言うまでもなく、この短時間で神眼など開眼すべくもない。

 物理的なハンドスピードを加速して、銀崎を追う──それが鮒木の結論であり、そのためのペンタブだった。

 ペンタブによるポインタ操作は、マウスを遥かに凌駕する。ブランクはあれど鮒木はペンタブの経験が長く、愛用のペンタブを使用する。

 思考速度では追いつけると確信していた。始めた頃はマウスを待たせ続けていたパネル読みは、経験を積むに従って加速し、今ではマウスを待つこともしばしばだ。ペンタブによる操作がどれほどの処理速度に至るか楽しみですらあった。イメージ通りならば革命的なタイムとなるだろう。それは天才・銀崎に比肩する領域のはずだ。

 しかし、その前に大きな壁があることを鮒木は予感していた。

 ゲームを始めてすぐに、予感は的中した。

 ボタンのクリック感覚──それが障壁の正体だった。

 ペンタブのペンには、マウスのボタンに等しい機能を持つ、小さなボタンが備わっている。パネルを展開するには、当然このボタンを使用する必要がある。

 だが、高速でペンを動かしながら、ペンに付いたボタンを連打すればどうなるか。

 これも当然の如く、ペン先は揺れ、精確な動きは不可能となる。

 開始前、銀崎が示唆した疑問がこれだった。

 長いキャリアの中で、銀崎がペンタブを試さなかったはずはない。試行錯誤の結果、マウスが最善という結論に至ったのだ。スピードは劣れど、ボタンクリックに負けない安定感を誇る、あのマウスに。

 絵描きの象徴であるペンタブを封印してきた鮒木も、ペンタブによるプレイを想定しなかったわけではない。軽すぎるペンと連続クリックの相性の悪さは想定していた。

 しかし──ここまで絶望的とは。

 クリックの振動でペン先は動き、無関係のパネルに飛ぶ。ペンに影響を与えない力加減を模索すると速度が落ちる。ペンタブが翼だとすれば、クリックは鳥を地に繋ぐ足枷そのものだった。

 単純なバーストを数回繰り返すも、進展はまるでない。

 じっとりと冷たい汗が、鮒木の顎を伝い落ちた。

 あまりにも無謀な挑戦だったのかもしれない。

 ペン操作とボタン操作の両立は、速度を問われぬ絵描きには出来ても、コンマ数秒に身を削るマインスイーパには不可能なのか。

 またしても画面が爆発した。初心者のようなバーストだった。

 制限時間が迫っている。

 このままでは、一度もクリア出来ないかもしれない。

 銀崎の視線に恐怖を感じた。

 今すぐ逃げ出したい。土下座してもいい。

 だが──それは絶対に出来ない。

 先刻の感動が鮒木を支えた。ノンフラグの大地に咲く真紅の花。

 振り返らずとも判る。銀崎は鮒木を諦めていない──恐らく、最後の時まで期待しているだろう。

 滑稽でもみっともなくても、最後まで足掻く。

 それは、ライバルとしての最低の礼儀だ。

 ──やってやるよ、くそ。

 鮒木は消えかけた炎を掻き立てた。怯懦は地雷処理者の恥だ。

 だが──どうすればいい?

 いっそ、マウスに戻すか? 

 今よりまともなタイムにはなるが、銀崎に敵うべくもない。それが判り切っているからこその博打だ。勝ち目のないコース取りは、投了と変わらない。

 ならば──どうする?

 呼吸を止め、されど手は止めず、黙考する。

 クリックしなければ、ペンタブは軽快そのものだ。十五年続けた絵の技術を、マインスイーパに生かせば勝機があるはずだった。それを阻害する理由はボタンだ。マウスのクリック感には到底及ばず、クリックが移動を妨げる。マイマウスはクリック感優先で選んだ。専用のペンタブを探すべきだったか? そんなものがあるのか? 今更だ。時間はもう──

 瀕死の獣のように、鮒木は呻いた。

 このまま、惨めに終了時間を迎えるのか?

 マウスで勝てず、ペンタブでも勝てず……

 鮒木が瞠目したのは、その時だった。

 引き裂かんばかりにカバンを引っつかみ、乱暴にマウスを取り出す。

「……結局、マウスで行くのか?」 

 銀崎の問いに混じる微かな失望に、鮒木は笑ってみせた。

「いや──こう使う!」 

 言って、マウスを接続した。ペンタブを繋いだまま、別の端子へと。

 そして構える。

 右手にペンタブを、左手にマウスを──

「……なん……だと……っ!?」

 銀崎の驚愕を置き去りにして、卒然、ポインタが消失した。

 開開開放、展開──

 開開開開開放、展開、確定、確定、開開開開開開開放、展開──確定、確定──

 抑圧を逃れたペンタブが吼え、縦横無尽に閃いた。

 展開したパネルが広がったその先に、ポインタは移る。ポインタ速度が展開を凌駕したのだ。草原を吹き抜ける風のように。

 桁外れのスピード──まさに未知の領域だった。

 開開開開放──展開。確定、確定……

 その時──鮒木の左腕に激痛が走った。

 前腕の筋が攣りかけている。慣れない左手に与えた過負荷が原因なのは明らかだった。むしろ、よく動いているというべきだ。体で覚えたクリック感、厳選したマイマウスあればこそのぶっつけ本番だった。

 痛みを堪えながら、最初のクリアを果たす。

 タイムは自己ベストを大きく更新。銀崎の記録に後二秒と迫った。

 割れ方に恵まれれば手の届く距離だ。

 残り時間は僅か一分。勝機は次のプレイのみ。

 左手に構わず、鮒木は最後の地雷原に臨んだ。

 神はいた──最初のクリックで巨大な大陸が開いたのだ。

 脂汗を浮かべながら、鮒木は笑みを浮かべた。

 筋が収縮し、指が痙攣を始める。

 しかし、鮒木は止まらない。

 左手指の痙攣を抑えず、自らボタンに押し当てた。嵐のようなクリック。安全区域で小刻みに円を描きながらそのリズムを図り──ポインタを一閃させる。

 開開開開放、展開──

 痙攣による連打の逆利用、ポインタをクリックに合わせる戦術。

 ペンタブの超高速と、精緻な運用が揃ってのみ可能な対応だった。

 回転、開開放、開放、回転。回、回、開放──

 回、回、開開放、展開──

 回、回回、開開開放、開放開放、展開──

 展開──開放、壁、壁、回、回、開放。

 開開開開放、展開──


 ……… ……… …………


 加速する世界の中で、いつしか痛みは消えていた。

 極限まで研ぎ澄ました集中の最中で、他人事のようにその様を見つめる自分がいる。電灯の光が、オーロラのように宙を泳ぐ。

 悟りを得る境地とは、こんなものだろうか。

 鮒木は陶然とそう思った。

 自分は今日のために生まれてきたのかもしれない。今日のために絵を描き、恋をし、生きてきた。そして銀崎とマインスイーパに出会った。

 地雷原に生きる男を、今なら本当の意味で理解出来る。

 銀崎もまた、この世界を見たのだ。

 ──銀崎。

 俺は、マインスイーパが好きだ。大好きだ。

 今なら、何のてらいもなく言える。

 いや、言う必要すらない。

 伝わっているはずだ。そうに決まっている。

 鮒木は、笑った。銀崎もきっと──そう思った。



 火花を散らして、ポインタが弧を描く。 

    最後の一閃。

       限界の左手。

          クリック。

             展開しないパネル。 

                角に残された三枚。

              

                            『絶対二択』。 



 鮒木は、躊躇わなかった。 

 

 

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