林檎の木の下で、また
あの日、林檎の木の下で、俺たちは「共犯者」になった。
踏み越えてはいけないとわかっていた。けれど、踏み越えた先にあるものが、どこか甘い気がした。ふたりでなら、世界のすべてを裏切っても怖くないと本気で思えたんだ。
君が手を差し出して、俺はためらわずにその手を取った。
あれが始まりだった。
いや、堕ちた、という表現のほうが正しいのかもしれない。
禁断の林檎──俺たちは、世界のルールをひとつ壊したんだ。
次の瞬間には、ブラックアウト。
逃げ場のない場所まで追い詰められていたことに気づくのは、それからすぐだった。
「君のせいだ」
そんな言葉を、俺は吐き捨てたはずだった。
でも、本当は違う。君のせいじゃない。俺自身が選んだ結末だったんだ。
それでも俺は、君のせいにしたかった。
罪をなすりつけたかった。
だって俺ひとりだけが罪人になるのは、少し怖かったから──。
君は黙っていたね。
俺がどれだけ醜く君のせいにしても、ただ静かに微笑んでいた。
「秘密だよ」
君はそう言って、イチジクの葉の模様が刻まれたペンダントを見せた。
それが俺たちの“共犯者の証”になった。
堕ちていくことは、案外簡単だった。
誰も俺たちに手を差し伸べようとしなかった。
世界は俺たちに背を向けたし、俺たちもまた、世界に背を向けた。
落ちる、落ちる、どこまでも。
螺旋状の摩天楼の隙間を、俺たちはまるでダンスでもするように落ちていく。
もう何が上で、何が下かもわからなかった。
だけど、怖くなかった。
君と一緒だったから。
二人ぼっちだったから。
カーテンコールは、ない。
この堕落劇は、幕を下ろさない。
俺たちは、終わらせたくなかった。
狂気じみた幸福に浸りながら、どこまでも堕ちていたかった。
摩天楼のガラスの破片が降る夜に、君は言った。
「このまま、地の底まで行こうよ」
冗談みたいに笑う顔が綺麗だった。
その目は、もう正気なんかじゃなかったけれど──俺も同じだった。
その夜、ふたりでまた林檎を齧った。
もう味なんかしなかった。
ただ、かじる音だけが響いた。
お互いを確かめるように、その音に耳を澄ませていた。
鬼も仏もない世界で、誰かの正義は誰かの悪。
笑える話だった。
「善い人間」になろうとしていた過去の自分が馬鹿みたいだった。
蛇に睨まれたまま、一歩も動けずにいたあの日の俺は、もういない。
エデンの園に「空室あり」──そんな言葉を看板にして、この腐った街の入り口に掲げたのは君だったね。
誰かに見つけてほしかったんだろうか?
それとも、ただの皮肉だったんだろうか?
俺には、わからなかった。
でも君は、最初からすべて知っていた気がする。
この終わりのない堕落劇の結末を。
君自身の運命すらも。
ある朝、俺は気づいた。
君がいないことに。
気配も、声も、何もかもがなかった。
必死に探したよ。
だけど、君はどこにもいなかった。
ブラックアウトの闇に君は溶けたのか、それとも、俺だけが見捨てられたのか。
孤独だった。
二人ぼっちだったから強かったはずなのに、一人きりになった瞬間、俺は脆く崩れた。
世界の重力をひとりで受け止めるのは、重たすぎた。
俺はもう堕ちられない。
堕ちる先に君がいないなら、そんなもの、地獄ですらない。
あの林檎の木の下に戻った。
枯れていた。
たった数ヶ月で。
葉もなく、枝も黒く変色していた。
そこに君はいなかった。
でも……ペンダントだけが、ぶら下がっていた。
イチジクの葉の模様。
触れたら、冷たかった。
まるで、君の手のひらみたいに。
今もわからない。
君はどこへ行ったのか。
あの林檎は何だったのか。
罪とは何だったのか。
そもそも、俺たちは何から逃げていたんだろう。
世界か?
常識か?
それとも、ただ孤独が怖かっただけだったのかもしれない。
ペンダントを握ったまま、俺は最後の林檎をかじった。
甘くも酸っぱくもなかった。
ただの味のない果実。
でも、もう一度、かじった。
もうひと齧り、again。
君が残した最後のメッセージみたいに。
この身を任せて、落ちていこう。
今度はひとりで。
君のいない、終わらない堕落へ。
そして今も、俺は摩天楼の底で堕ち続けている。
誰も知らない地下の世界で。
カーテンコールのない舞台で。
秘密を抱えたまま。
共犯者の証を握りしめたまま。
君が帰ってくるその日まで──。
原曲 Creepy Nuts 堕天




