七月(夏休み) 2
それほど広くない路地にも人がいっぱいの街を、斉藤センパイは迷いなく進んでいく。大通りに出ると人が多いのは変わらないが、広いぶんまだマシな感じになった。
「こんなとこでやってるんですね、そういうイベント」
「ん?意外?」
「まあ。なんかこう、オシャレな街ってイメージだったんで」
「だからこそ、かな。オシャレってサブカルと相性がいいから、わりと繋がってるんだよね。それにヒロインのメイクアップとフリフリドレスって女の子の憧れの原点だと思うし」
「そうなんですね」
オレには高い、ということしか分からないブランドのお店が連なる並木通りを進んだ先にあるビルが今回の目的地だ。一応マップで調べてきた。慣れた感じで歩くセンパイは、何度か来たことがあるんだろうか。
「センパイは──」
言いかけたオレの前で、センパイが急に振り返った。止まれずにドンッとぶつかってよろけるオレに構わず、今来た道を引き返していく。あっという間に人混みに飲まれて見えなくなりそうなセンパイの後ろ姿を慌てて追う。
ほとんど走るように進むセンパイの頭がなんとか見えるのを目印に追いかけて、ようやく追い付いたのが駅の改札前だった。センパイは一度も後ろを振り返らずにホームに向かって走っていく。オレも階段を駆け下りて、ホームを早足で端に向かって進むセンパイに声を掛けた。
「センパイ」
伸ばした手が軽くセンパイの肘に触れた瞬間、思いっきり振り払われた。こっちを向いたセンパイの顔が真っ青だ。びっしり汗をかいているのは、暑いせいだけじゃない。見開かれた目がオレの姿を捉えたようで、センパイは混乱した様子で周りを見回した。
「あ、あれ?あ……」
震える唇から意味を為さない言葉が漏れる。真夏の日差しの照り返す中で、寒さに耐えられないかのように両腕をさするセンパイの様子は、どう考えても異常だ。大して間をおかずにやってきた電車のドアが開くと、ぱらぱら人が降りてきた。センパイはどうしていいのか分からないかのように呆然としている。
「あの、乗りますか?」
「え?ええと、ああ、うん」
センパイの肘に手を添えると、今度は振り払われなかった。電車に乗り込みドアが閉まると、センパイは堪え切れなくなったのかその場でしゃがみ込んだ。どう声をかけていいのか分からず、オレも隣でしゃがむ。そっと背中に触れると、冷たい汗でぐっしょり湿っていた。
「あの、座ります?」
見かねた女の人が席を立って譲ってくれた。血の気の引いた顔でよろよろ立ち上がったセンパイは、そこに座って両手で顔を覆い、ぐったりうずくまってしまった。
「駅員さん呼びますか?」
「えっと、何かあったらオレが呼びます。ありがとうございます」
心配そうな女の人にお礼を言うと、その人は次の駅で降りていった。他にも降りる人がたくさんいて、センパイの隣の席が空いたのでそこに座る。しばらくそのままの姿勢でいたセンパイが顔を少し上げたのは、二駅ほど過ぎてからだった。
「ごめん……」
弱々しい声でそれだけ言うとまた顔を覆ってしまったセンパイに、何を言ったらいいのか分からない。何かから逃げた?怯えてる?怖がってる?何がどうなっているのか見当もつかないままもう二駅ほど進むと、途中でどんどん人を吐き出した電車は間隔調整だか何だかでしばらく停車した。平日の中途半端な時間で、同じ車両には離れた席に二、三人しかいない。ぴーん、ぽーんとホームに流れるチャイムの音が、やけに大きく響いた。
「いた、んだ」
ゆっくり顔を上げたセンパイがポツンと呟く。顔色はまだ悪いがさっきよりはマシだ。汗に濡れた前髪が額に張り付いている。
「ごめん、本当に」
「大丈夫です。あの、何がその、いたんですか?」
センパイの目がオレを見る。いや、見ようとした。こっちを向いてはいるが素通りする視線。唇が白くなるほどぎゅっと引き結ばれ、ごくっと唾を飲む音がオレにまで聞こえた。笑っているように震える掠れた声が、ようやく絞り出されてくる。
「あ、あ、あの子が」
あの子、という曖昧な言葉が指すものが、何故かすぐに分かった。じめじめ湿った暗い体育館。そこで、どこか懐かしそうに教えてくれた、センパイの昔のこと。
『あの子はね、小学校の時同じクラスで。』
昔好きだったあの子。センパイの心をズタズタにして、アクイとして今もセンパイを縛り付けている存在。
発車を知らせるチャイムが長々と鳴り響く。ドアが閉まり、電車がまた動き出した。




