プロローグ 2
夕暮れと呼ぶには少し早い教室には、整然と机が並んでいる。運動部の声が遠くから聞こえる。教卓の前には暗いグレーのブレザーにチェックのスカート──うちの中学の制服姿の女の子が一人。それと、猫モドキが教卓の上にいた。
「わりとあっさりだったね。これでしばらくは無い?」
「どうだろう?最近はパターンが読みにくいんだ」
猫モドキはさっきと同じように人間の声で話している。女の子は教室を見回してオレの姿を見つけ、猫モドキに向き直って、バッとまたオレの方を見た。見事な二度見だ。
「え、何でいるの?」
「彼は僕と話したからね。君が乱入しなければ契約成立だったんだけど」
まん丸な目でオレを見つめる彼女に、猫モドキが後ろから話し掛ける。なんだこれ?現実なのか夢なのか、よく分からない。あんなよく分からない生き物は存在しない。さっきまでだったらともかく。
さっきまでだったら?
思ってみて初めて、さっきまでも異常だったことに気付いた。どこまでも続く廊下。重たい闇。変な教室。ブラウンコーデの、女の子のような何か。全部異常だ。全部異常なのに、今まで何の違和感もなく当たり前だと受け入れていた。どっと変化する認識に頭がぐらぐらする。
「え、大丈夫なの?」
「僕にとっては問題は無いね。君達にとってどうかは分からないけど」
オレに構わず女の子と猫モドキは話し続けている。どうしたらいいのか分からないでそのやり取りを見ているうちに、女の子の顔を知っていることに気付いた。三年生の、名前はたしか……。
「斉藤、センパイ?」
呼び掛けると、センパイはくるっとオレの方を見た。輪郭のはっきりした黒い瞳。長い髪を素っ気なくまとめ、飾り気が無いのに目を引く顔立ち。学年関係なく人気があって、オレのクラスでも時々話題に上がる人だ。
「何かな?後輩」
センパイがニッと笑う。どこか挑発的なその顔の向こうで、表情があるのかどうかも分からない猫モドキもオレを見ていた。
「えっと……」
まだ頭がぼんやりしている。どうしたらいいのか分からずバカみたいに突っ立っているオレを、センパイはただじっと見つめている。顔が熱い。俯いてしまったおれの視界に、近付いてくるセンパイの足が映った。
「今日はもう遅いから帰ろうか。話はまた今度、ね」
「えっと、ハイ」
そう言うとセンパイはひらひら手を振って教室を出ていった。猫モドキがオレの周りをぐるっと一周して、センパイの後を追う。ただ一人教室に残されたオレの耳に、夕方の放送が聞こえてきた。
わんわん反響する声が消えた後も、闇が重さを増すこともなく。五月に入って間もない、まだ明るい西日が教室に差し込んでいる。足元に落ちていたカバンを拾って、オレも誰もいない教室を後にした。