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プロローグ 1

 窓から差し込む夕日が廊下を照らす。

 長い長い廊下を、オレは一人で歩いていた。左手側には教室が並ぶ。引き戸の窓がオレンジの光を反射して、中は全く見えない。ずっとずっと遠くまで、同じ景色が続く。廊下を歩くのにも飽きてきた。いつまで歩けばいいんだろう。

──そもそもオレ、何で歩いてるんだ?

 オレの足が止まった。何で、どこに向かって歩いているんだっけ?考えがまとまらない。頭の芯に何かが詰まっているみたいに重い。振り返ると、やっぱりどこまでも廊下が続いていた。オレンジ色の強烈な光に照らされて、床にはくっきり黒い影ができている。

 はっきりしない頭でまた正面に向き直る。右側には窓。左側には教室。オレンジの夕日。それしかない。誰もいない学校の廊下に、ただ一人。オレだけしかいない。帰らなきゃ。そう思ったけど、足が動かない。帰るって、どこへ?どっちに行けばいい?何も分からなくなって、呆然と立ち尽くす。

 窓の外から音の割れた音楽が聞こえてきた。夕方の、帰宅を促す音楽。感情のない声が呼びかける。

──外で外ででで外ででとでで

──遊んでででんで遊んでい遊でいるいるるるいる

──お子さんたちたちお子お子たちさんたちはたちはははちは

──おうちにちにちにおうちにににに

──帰りま帰りま帰りりましょ帰りましょうしょうしょうしょううう

 わんわん反響する音が消えると、廊下はしんと静まりかえった。オレンジの光がどんどん傾いていって、墨を流したように床が真っ黒になった。影はじりじり壁を上っていく。いずれ真っ暗になる、と思うと、恐怖で叫びそうになった。心細くて泣きそうで、でもどうしたらいいのか分からない。手のひらにじっとりと汗が浮かんでくる。

 唐突にそれはいた。

 教室を三つくらい挟んだ向こう。膝くらいまで闇に呑まれた廊下の真ん中に立っている。ブラウン系でまとめた服装の、たぶん同い年くらいの女の子だ。オレンジの光に照らされて、ストレートの髪が金色に輝いている。それなのに、顔は全く見えない。

 ヤバい、と理屈抜きに分かった。ぐるっと向きを変えて、元来た方向に走り出す。太腿くらいまで廊下に溜まった闇が足に絡まって上手く進めない。掻き分けるように進むと、女の子もついてきた。ひらりひらりと、オレが必死に進むのと同じ速さで、同じ距離を保って歩いている。焦れば焦るほど、闇は体にまとわりついた。腰まで闇に埋もれたオレの横に、教室の引き戸が見えた。上の方に『オレンジ LV.1』と書いてある。取手を引くと、戸はあっさり開いた。

 闇に押されるように中に入ると、LEDに照らされた教室内にはまばらに机が散らばっていた。椅子はびっしり整然と壁際に並べてある。黒板の前にはやけに背の高い教卓が置いてあって、その上に猫がいた。

 いや、猫のような何かがいた。

 ぱっと見て頭は猫だと認識したのだが、よく見るとそれはどう見ても猫ではない。白でも黒でもない変な色をしていて、大きさは猫くらいではあるが体のバランスがおかしい。尻尾もやけに平らだ。何よりもその目。目が、何と言えばいいのか、目というものを知らない人が聞きかじった知識で作ってみたガラス細工、というか、とにかく目ではない。それの、口、であろう空間から音が出る。

「やあ」

 性別の分からない、人間の声だった。猫のような何かは、目のような何かをオレに向け、話しかけてきた。

「こんにちは。それとも、こんばんは、の方がいいかな?高野柊真」

 それは、誰かの名前を呼んだ。聞き覚えのある名前。ぼんやり教室内を見回すオレの目に、オレンジに染まる窓に映る子供が見えた。ブレザーの制服を着た、小学生みたいな背丈の男の子。少し長めの髪が首にかかり、虚ろに開いた目でこっちを見ている。この子が、高野柊真。そうだ。オレは、高野柊真。中学二年。今日は学校が終わって、それから、それから……?

「困ったことになったね。このままでは帰れない」

 そうだ。帰れない。闇はどんどん深さを増していて、引き戸の向こうは首まで埋まるくらいになっている。それに、あれがいる。あの、女の子。あれがいたら、帰れない。

「帰りたいかい?高野柊真」

 帰りたい。帰らなきゃ。だって、音楽はもう鳴り終わってしまった。早く帰らないと、大変なことになる。

「帰りたいなら、力を貸すよ。高野柊真、君は帰りたいと望むかい?」

 それの、夕日と同じ色の目がオレをじっと見つめる。帰りたい。そう、口に出して伝えなきゃ。オレの口がぱくぱく開く。なかなか言葉にならない。息がただ漏れる。早く伝えなきゃいけないのに。早く伝えないと、あれが来る。

 教室の戸がガタン、と鳴った。闇はもう天井まで埋めている。その闇を背負って、さっきの女の子がいた。ギリギリ教室には入ってこない位置で、じっと立っている。顔は見えないのに、オレを見ているのは分かる。

 あれは、ダメだ。急がないと。早く。言わなきゃ。

「さあ、君の意思を教えてくれ。高野柊真」

「か、帰──」

 教室の窓ガラスが粉々に砕け散った。オレンジ色の光が、破片と一緒に教室中に散乱する。窓の外をみっちり満たしていた光の中から、窓ガラスを砕いたものがぬるっと突き出してきた。

 それは、剣だった。捻くれて曲がり歪み錆だらけでボコボコだったけど、剣だった。長い長いそれが教室の中程まで届くと、その柄を握る手が見えた。金属質な光沢を持つレースに縁取られた黒い手袋が、オレンジ色を砕きながら教室に入ってくる。黒い服を纏った腕が、肩が、重たいオレンジ色の光の壁を押し除けて教室に差し込まれ、そして、ずるりと全身が姿を現した。

 黒いドレスの女の子だった。ぴったりした上半身に対してスカートはふわっと広がっていて、前は膝丈くらいだが後ろは床に引き摺っている。全体にレースが巻き付いていて、何かの模様を描いていた。ヘッドドレスというのか、頭も黒い布で覆った上からレースが巻き付き、長い黒髪を一つにまとめている。

 黒い女の子が大剣を一振りすると、教卓と机がまとめて吹っ飛ばされた。猫モドキはひらりと飛び降り、教室の隅にちょこんと収まっている。赤茶色に錆びつき歪んだ剣が、オレとブラウンコーデの女の子の間に突き立つ。

「じっとしてて」

 オレのことを見もせずにそう言うと、黒い女の子はグッと低く腰を屈め、大剣を握り直した。ダンッと踏み出す彼女に遅れて、錆びた屑鉄の塊のような剣が横薙ぎに飛んでいく。その鉄塊が教室の壁ごと闇を吹き飛ばし、廊下の向こうの窓からオレンジの夕日を引っ掛けてブラウンの女の子目掛けて振り下ろされた。

 キャアッと悲鳴とも嘲笑ともつかない声を挙げてブラウンの人影はオレンジ色に燃え上がり、掻き消すように消えた。

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