炎竜の脈動――《ネブロス心臓室》への降下
熔湖の深淵から連なる火口管を抜け、カルデラ最奥へと続く竪穴に挑んだ一行。灼熱の籠もる空気が肌を焦がし、硫黄と金属の匂いが頭を割るように鼻腔を突いた。兄さまの門を超え、朱紅の血焔珠を砕いた直後──その先にあるのは「深淵の心臓」と呼ばれる、地獄の鼓動そのものだった。凍土に春を呼ぶ針を、ここで最後まで貫くために。意識が揺らぎそうな極寒と熔鉄の狭間で、仲間たちはひとつになって縄を握りしめる。
熔湖の第一祭壇が崩れたあと、洞窟の最深部へ通じる裂け目が露わになった。そこは、細い火口管が螺旋状に絡み合う天然の竪穴で、壁一面から朱橙の光が滲んでいる。
レナの魔力視でも温度と揚圧を測りきれず、空気は硫黄と金属の匂いで重かった。
「下層のマグマ溜が直接呼吸してる……」
彼女は額の汗をぬぐい、氷魔法で即席の“冷却環”を仲間の額に貼る。氷片はたちまち湯気を立てて融けたが、わずかでも脳を冷やさなければ意識が保てない。
ノーラが改造した投錨機でワイヤを竪穴に撃ち込み、ナスティアが火霊石爪で壁を削って足場を刻む。
俺・パサラ・ティーナの三人はロープの中央に位置し、セラとレナが後衛で耐熱結界を支えた。
ミレイは影走りで先行し、落石や火滴の流れを予測して影標を打つ。
竪穴を七分ほど降りた頃、満身創痍の岩肌が急に脈動を始めた。
ドクン――石壁を通じて心臓の拍動が聞こえる。
「ネブロス心臓室が覚醒しつつある!」ティーナの叫び声を、熱風がちぎる。
壁面の火口管からマグマの血管が膨張し、朱い脈動のたびに洞内が照明弾のように明滅する。
次の瞬間、竪穴が大きく揺れ、熔岩柱が噴き上がった。
ロープが焼け切れる寸前、ミレイの影が俺たちを包み、側壁へ転移させる。直後に垂直坑は赤い滝と化し、落下ルートを完全に塞いだ。
「影走りの足場が底をつく前に、横穴へ逃げて!」
ミレイの声に、ノーラが先頭で壁を蹴る。ナスティアが爪で風洞を開き、セラが火避け陣を即席で描き、レナが冷却氷を通路に埋め込む。
最後にパサラが光壁を展開し、ティーナの結界糸を重ねた。二層の防御が熔岩飛沫を弾き、辛くも横穴へ滑り込む。
そこは巨大な溶岩洞の天井裏。底面の熔岩海には、黒曜の環状リブが浮かび、中央に高さ三十メートルはある火山円錐がそびえていた。
円錐の頂に、赤黒い門柱――“心臓祭壇”と思しき石碑が刺さり、その上空を深紅の裂け目が脈動している。
「深淵門の原典……あれが開けば、氷国は灼滅する」
ティーナは震える手で胸の短剣を握りしめる。
「兄さまが守った春を、私が灯す。行こう、皆!」
ノーラが折れた剣を握り直し、静かに頷いた。熔風の大気は容赦なく肺を焦がすが、“歩を止めれば全てが終わる”――その確信が足を前へ押し出した。
巨大な火山円錐と深紅の裂け目が頭上にそびえる闘いの前哨。一歩でも足を止めれば、心臓祭壇の扉は全世界を灼滅へ誘うだろう。胸の短剣を握りしめ、仲間の呼吸を背に受けながら、ティーナの小さな祈りは確かな覚悟へ変わった。今こそ、深淵の奥底で“春の灯”を取り戻す瞬間が迫っている。足元の熔岩が怒涛のように吹き上がる中、一行は無言のまま、さらに深い暗闇へと歩を進めた。




