熔湖の第一祭壇――灼焔に揺らぐ深淵
《ルビコン・クレバス》最深部へ続く通気孔を抜け、灼熱の溶岩河を駆け抜けた先に待ち受けていたのは、燃え盛る血焔を宿した《血焔珠》が支配する円形の熔岩湖だった。凍土に咲いた春を繋ぐ鍵は、その赤黒い脈動を止めることにある──兄の門柱を突破した一行は、溶岩と闇の縁で最後の戦いへと臨む。
洞窟の底に広がっていたのは、円形の熔岩湖だった。
湖面は赤く煮え立ち、粘度の高いマグマがゆっくりと渦を巻く。その中央に黒曜の島――そして石碑が一本、刃のように突き立っている。石碑の頭頂で《血焔珠》が脈打ち、赤黒い光柱を天井へ伸ばしていた。
ティーナが膝をつき、喉を灼く熱気の中で呻く。
「門柱の幼体……霜瘴が冷却していた珠が、ここで熱核に成長したんだわ」
珠がこのまま過熱すれば、氷原全体が“灼熱型の深淵門”に置き換わる。
ノーラが剣を構え、島へ渡る岩棚を探すが、湖面の対流が激しく足場がない。
「影渡しだ、ミレイ!」
ミレイが頷き、黒翼を広げて影走りのマーキングを島際へ撃った。
だが影が結び終わる前に、湖面から煤混じりの黒炎が噴き上がる。そこに溶岩を纏った人影――ヴァルザールの分躯が五体、炎を滴らせて立ち上がった。
どの個体も身長は三メートル。鎖鞭を振ると溶岩を遠心力で射出し、当たれば装備も血肉も一瞬で熔ける。
第一波。ノーラとナスティアが二体を引きつけ、鞭の軌跡を読んで足場を確保する。火花の雨が鎧を溶断したが、二人は踏みとどまり、ミレイが影となって背後へ回る。
第二波。セラが炎式を構築し、欠片が吐き出す熱を一点へ誘導。珠の周囲に「熱の空洞」をこしらえ、レナが−200℃の逆相氷を打ち込み、膨張と収縮で珠を脆化させる。
第三波。脆くなった珠へ向け、パサラが光壁を破裂寸前まで収束。俺は光槍を形成し、ティーナは結界糸を捩じり込む。
「今!」
ナスティアの咆哮。ミレイの影刻印が背面で炸裂し、珠に蜘蛛の巣状の亀裂が走る。ティーナの糸が亀裂へ潜り、俺の光槍が貫通――
血焔珠が砕けた瞬間、紅い閃光とともにブレイズ・シェイドが悲鳴を上げ、熔岩湖へ沈んだ。熱核の暴走が止まり、湖面の色が少しずつ鈍い褐色へと落ち着く。
呼吸一つで肺が焼ける熱気の中、石碑が崩れ始める。亀裂の奥から黒曜のプレートが滑り出た。
セラが拾い上げ、凝視した。
「これは……“本懐”の印。祭壇はまだ下だわ」
プレートにはさらに深部――カルデラ直下の《ネブロス心臓室》への断層座標。そこはマグマ溜自身が脈打つ“心臓”だという。
テキストの最後に刻まれた真紅の紋章を、ティーナが指でなぞる。
「兄さまの鎖は切った。でも私自身の枷は……まだ奥にある」
彼女の結界糸は焦熱で焼け、指先も霜瘴の黒痕で爛れている。それでも瞳は消えない焔を映していた。
ノーラが折れた肩鎧を外し、ティーナの手を取る。
「行こう。あなたの春を迎えに」
パサラが翼で二人を包み、熱を遮る。ミレイは影の道を湖の対岸へ伸ばし、ナスティアは手負いの腕を無理やり動かして次の足場を探した。
俺はプレートを背嚢へ収め、まだ赤い湖面に目をやる。そこには消えかけた影が最後の笑みを浮かべ、下層へ沈んでいった――。
熔湖の轟きが鎮まり、代わりに地下から低い鼓動が聴こえ始める。
灼熱と深淵、その本流が、俺たちをさらに深い暗闇へと呼んでいた。
破砕された《血焔珠》の残骸とともに熔岩湖が静寂を取り戻し、黒曜のプレートが浮かび上がる。そこに刻まれた断層座標は、まだ終わりではない証拠。真紅の紋章をなぞるティーナの瞳には、兄の鎖を解いた先に待つ「もうひとつの枷」を見据える決意が灯っていた。
熱と氷、深淵の鼓動が暗闇の奥で呼び声を響かせる。次なる《ネブロス心臓室》へ――春を迎えるための試練は、まだ終わらない。




